諸葛孔明――預言者か(中)【千古英雄伝】

諸葛孔明は若い時に友人と遊学(よその土地や国に行って学ぶこと)をしていました。当時、天文学に造詣がある殷馗(いんき)という人がいましたが、彼は星の群れから、異常に明るい星をみて、占星象(天文学)からその星が大賢者であると占い、そして、見にきたところ、孔明とその友人たちを見かけました。殷馗は「星群の兆しは皆さんのことでしたか」と感嘆し、占星象を皆に教えました。

じゃんけん【ことばの豆知識】

「じゃんけん」の語源は未だよくわかっていませんが、代表的なものに「両拳」説があります。 中国で古くから行われてきた酒席の遊びに、二人が互いに出す指の数を予想して言い当てる『猜拳』(さいけん)と言うのがあり、江戸時代に長崎に伝来しました。その『猜拳』でチョキを表すものを「両拳(りゃんけん)」と言い、それが訛って「じゃんけん」になったというのです。

【ゴルバチョフ】戦争せずに世界を変える (3)

中国共産党はソ連の弟であり、中国はソ連崩壊後、世界に残る最大の共産主義国家です。 ソ連最後の指導者であるゴルバチョフ氏もまた、中国に結び目を残していきました。 北京とモスクワの関係は1950年代に崩壊し、長い間相互訪問はありませんでした。1989年6月4日の天安門事件の前夜、開放と政治改革を唱えたソ連共産党書記長ゴルバチョフの北京訪問により、両国の関係は融和されました。 彼の平和的な政策により、中国は北方国境の軍事的圧力を緩和することができ、何百万人もの中国軍の武装解除につながったのです。

【ゴルバチョフ】戦争せずに世界を変える (2)

ソビエト連邦崩壊後、ゴルバチョフ氏は主に社会活動や文学活動に従事していました。 ドイツ映画『時の翼にのって / ファラウェイ・ソー・クロース!』で自身を演じ、数々の賞を受賞しました。 ゴルバチョフ氏が自ら出演した一連の映画で、国際社会での知名度はさらに高まりました。

諸葛孔明――預言者か(上)【千古英雄伝】

諸葛亮(紀元181年〜234年)、字(あざな:本名以外につける別名)は孔明、劉備の名軍師で劉備を補佐して漢の復興を謀りました。劉備は「三顧の礼」をもって、諸葛孔明に「天下三分の計」を教わり、魏、呉、蜀の鼎立(ていりつ)時代へ導きます。『三国志』全般で「三」という数字が注目されていますが、「三」は中国文化の本質に根ざしたものです。

【ゴルバチョフ】戦争せずに世界を変える (1)

2022年8月30日、ソビエト連邦の崩壊をもたらしたミハイル・ゴルバチョフ氏が、長い闘病生活の末にモスクワで91歳の生涯を閉じました。 ゴルバチョフの死と同じ日、かねてから彼を共産党崩壊のアンチテーゼとしていた中国共産党は、第20回共産党大会の開催日程を発表しました。

銘茶伝説:最上のお茶「大紅袍」の由来

美しい景観を誇る中国・福建省の武夷山(ぶいさん)は、ウーロン茶発祥の地であり、その中でも「大紅袍」(だいこうほう)というお茶は、「茶王」と称されるほど有名です。

2000年前の中国に科学技法が存在!?秦朝の兵器はなぜ錆びないのか

湖南省のある展示会では、兵馬俑と一緒に発掘された青銅剣、銅矛、銅の大弓などの青銅の兵器が飾られました。これらの兵器は2000年余り埋められていたにも拘らず、新品のようにピカピカ光って、まったく錆びた痕跡がありません。専門家は、これらの兵器の錆びない原因が化学クロムメッキ技術で処理されたからだと指摘しています。

雲南-きらびやかで美しい民族風情-

雲南省は中国の南西部にあります。面積39.4万平方キロメートル、最高峰のカロボと最も低い場所の標高差は6740メートルあります。滇東部地方は雲貴高原の一部であり、典型的なカルスト地形で、南部には多くの盆地と湖があります。滇西部地方は横断山脈の南部にあたり、高山と深い谷が交互に並んでいます。

出世【ことばの豆知識】

「出世街道まっしぐら」「出世コース」。中国の人がこれを見たら、どんな「街道」、どんな「コース」を連想するでしょうか。中国語の『出世』には大きく分けて二つの意味があります。

冬季の食養生 山芋鶏湯【料理】

今年も、いよいよ冬本番になりました。このメニューは、冷え性、疲れやすい、皮膚が乾燥しやすい、アレルギー、風邪を引きやすい方の体質改善に効果があります。

漢字の神奇と奥妙な生命

中国人が文書を敬愛することは天性となっています。普段から使った紙は、敬意を持って「敬紙亭」(場所の名前)で焼かなければならず、幼い頃から、父母に紙を踏みつけたり,その上に座ったりすることは神聖な文字を深く侮辱することだと言い聞かされてきました。

シューベルトの「野ばら」

フランツ・シューベルトの「野ばら」は他の曲ほど有名ではありませんが、その誕生の背後には、感動的な物語があります。

緻密で雅やかな蘇州古典庭園

蘇州古典庭園は中国の江蘇省蘇州市にある歴史的な庭園で、多くは個人の趣味として地元の名士によって造られました。春秋時代の紀元前514年に始まり、五代十国時代に徐々に造成され、宋の時代に熟成し、明の時代に集大成しました。

多過ぎる「同姓同名」、中国社会の命名の悩み

中国では一文字の名前が多すぎるため、同じ苗字と名前を持つ人が数多くいます。陜西省の西安市だけで、「王波」という全く同じ発音で同じ漢字の名前を持つ人は4000人以上もいます。

杯中の蛇影【1分で読める故事成語】

河南の長官・楽広には親しい友人がいますが、久しく連絡を取っていません。ある日、その訳を聞くと、「前におそばで、お酒をちょうだいした時、飲もうとすると、杯の中に蛇がいるのが見えて、気分が悪くなった。して、そのお酒を飲むと、病気になった」というのです。

黄山 中国で最も美しい絶景の名山

黄山(こうざん)は、中国安徽(あんき)省、黄山市の南部に位置し、東北から南西の方向に連なる山々です。中国五岳( 華山、 泰山、衡山、亘山、嵩山)と呼ばれています。崋山の険しさ、泰山の雄大さ、衡山の雲の眺め、亘山の滝などを全て備えた、中国でも有数の景勝地です。

二人の画家【ものがたり】

同じ画家を師として絵画の学習に励んでいた張さんと丁さんは、共に才能に溢れ、努力家でした。師匠は持っている技芸のありったけを弟子に伝授し、二人はやがて絵画の大家となりました。その後、二人の師匠は思い残すことなくこの世を去りました。

役夫の夢【1分で読める故事成語】

周王朝に尹という人物がいて、莫大な資産を作っていました。その下で働く者は、朝早くから夜遅くまで、少しも休む暇がありません。 ある年寄りの召使が、手足の力はもう尽きているのに、次から次へと仕事を持ち込まれ、こき使われていました。昼はうめきながら働き、夜は疲れきってぐっすり眠ります。

これであなたもサラサラ髪に!!覚えておきたい14のヘアケアポイント

髪の毛はショートでもロングでも、ストレートでもカールしていても、乾燥したり油っぽくならないよう、普段からヘアケアに気を遣っている方は多いのではないでしょうか。 髪を大切にしたい、自然な方法で維持したいと思っていても、なかなか時間がないのが現状です。 では、あなたの髪を維持する最も効果的で自然な方法は何でしょうか?

信じるか否かはあなた次第――1つの深く考えさせられる【神話】

大昔、地蔵菩薩は世の中に下りて来て、その時のほとんどの人々が仏陀を信じないことを目の当たりにしました。そこで菩薩は、一人だけでも仏陀を信じている人を見つけて、済度しようと決心しました。

四千年前、パンダを副葬

湖北省地質研究所研究員・武仙竹氏によると、発掘時に副葬品の中に発見された動物の骨格をブタの下顎骨と誤認し、その後の検定で、骨格がパンダのものであると確定されました。

仏教芸術の宝庫――敦煌莫高窟

「敦煌莫高窟」(とんこう ばっこうくつ)、甘粛省敦煌市内の莫高窟と西千仏洞の総称で、中国の有名な三大石窟の一つです。現存する石窟の中では世界一大きな規模であり、完全に保存された仏教芸術の宝庫といえます。

餃子のお話し

餃子は悠久の歴史を持つ食べ物であり、昔から中国人に好まれています。中国人の間では“餃子の右に出る程美味しいものはない”という俗語があり、餃子はなくてはならないご馳走なのです。

チンギス・カンーーグローバル化を提唱(上)【千古英雄伝】

1995年12月、米紙「ワシントン・ポスト」は、「Man of the Millennium」に選ばれたのはチンギス・カンであることを報じました。その理由は、チンギス・カンはグローバル的な観察力で、ヨーロッパとアジアをつなぐ自由貿易圏を切り開いたことです。インターネットがまだない700年ほどの昔、チンギス・カンはすでにグローバル的な情報流通の道を開き、各国間の距離を縮めたのです。

英国人夫婦がキッチンの下から希少な金貨を大量に発掘

英国人夫婦が3年前にキッチンを改装した時、偶然にも床下から大量の歴史的金貨を発見しました。

まるで「うっとり顔」花の匂いを嗅ぐ愛らしい犬

犬は嗅覚が優れていて、いつも嗅ぎまわるのが好きです。 アメリカには、あらゆる花や植物の匂いを嗅ぐことが最大の楽しみという2歳の犬がいます。

深刻な状態の迷子羊、あるファームによって一命を取り止める

オーストラリアのビクトリア州に住む人々は、以前、ある一匹の健康上の問題を抱えながら野生をさまよい、体に深刻な負担がかかるほどの重い毛を伸ばした羊を見たことがあります。 地元の動物保護団体に知らせたところ、一週間ほどかけてこのかわいそうな羊を見つけ出し、26kgもの羊毛を削り取ることができました。

チンギス・カンーー勇士を引き付ける魅力(下)【千古英雄伝】

時は流れ、ジュルキン氏族という部族が新たにテムジンが率いるモンゴル部に加盟しました。宴会の間、テムジンの弟・ベルグテイは遊牧民の重要な財産である馬を巡視していました。ジュルキン氏族の者が窃盗を働いているのを見かけて、その場で逮捕しました。