厠の火事【ことばの豆知識】

 【大紀元日本6月13日】「中国語ではトイレのことを『厠所』<かわやどころ>と書きます」と言うと、「<かわや>って何ですか」と来る。「川屋」(川の上に掛けて作った小屋)とか、「側屋(かわや)」(家の側

見知らぬ人【ものがたり】

仕事で出張をする度に、「社会の治安がよくないから泥棒などに気をつけてね」と妻はいつも私に言います。 出張に出たある日の夜、私は地方のある宿泊所(一部屋に大人数が寝泊りする安い宿)に入りました。案内された部屋には、私の前にすでに1人の見知らぬ客がいました。

約束【ものがたり】      

ある鉱山労働者が採掘の最中に、誤って爆弾に触れてしまい、その爆発によって亡くなりました。家族はわずかな補償金しかもらえませんでした。大黒柱を突然失った一家の家計は火の車となり、専業主婦だった妻は、どうやって幼い子供を養っていけばよいのか、悩みに悩んでいました。そんなとき、夫が生前働いていた採掘班の班長がやってくるとある提案をしました。

一網打尽【ことわざ】

北宋の仁宗の時、宰相呂夷簡が、保守政策を実施して財政難をもたらしました。そこで、范仲淹(はん ちゅうえん)をはじめとする革新グループが、積極的に時弊を正し、新しい政策を推進するために、蘇舜欽(そ しゅんきん)を集賢院の校理官(官名)の任に就かせ、上奏官(官名)をも兼ねさせました。

子供の心を育てるために

これは、現代社会ではちょっと珍しいことですが、実際に中国であった話です。主人公の李文さんは、重慶市沙坪八区のある文科系高校の卒業生です。今年17歳の彼女は、物心がついてからずっと貧乏な暮らしをしてきました。李文さんはとても優しい子で、「貧しい両親」に自分がほしいものをねだったことは一度もありませんでした。

「比翼の鳥」と「連理の枝」の由来

「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」。これは、中国唐代の詩人白居易(=白楽天、772-846年)の長編叙事詩「長恨歌」の中の有名な一節で、安碌山の乱が起きて都落ちすることになった玄宗皇帝が最愛の楊貴妃に語ったと詠われているものである。

和尚打傘【ことばの豆知識】

文化大革命の最中、中国を訪れたアメリカ人ジャーナリスト、エドガー・スノーに、毛沢東が「私は『和尚打傘』だ」と語りました。これを、同行の通訳が文字通り「傘をさす和尚」と訳したことから、いつの間にか「破れ傘を手に雨の中を一人行く孤高の僧侶」ということになり、毛沢東は崇高な人物として全世界に伝えられました。

君子の謙虚【伝統文化】

孔子もかつて「その善なる者を選びこれに従い、その善ならざるものにして、これをあらたむ」と戒めたように、他人の良い面を自分が習う手本とし、他人の良くない面を自分の戒めとして、さらに自分の良くない点を改めるべきなのです。

チンギス・カンーー世界貿易の原型を築く(中)【千古英雄伝】

チンギス・カンの3男、オゴデイの養子である楊惟中は知略に長け、二十歳にして西域30以上の国々に赴き、政令・條格の布告、人口調査による戸口の登録など、現地の統治体制を整え、大きな功績を収めました。この他にも、楊惟中は活版印刷伝播の重要な功臣でもあったのです。

空手【ことばの豆知識】

子供の習い事として根強い人気のある「空手」、最近は、護身術として習いに来る女性も多いようです。ところで、空手はなぜ「空手(からて)」というのでしょうか?

チンギス・カンーー世界貿易の原型を築く(上)【千古英雄伝】

当時、金軍や西夏軍はもともと火薬や大砲の製造方法を知りませんでした。宋王朝との戦争を通じて砲車や各種の石弓、燃料、狼牙棒など様々な軍用整備を鹵獲し、その後、製造し出しました。 後にモンゴルが西夏、金を攻める際、数多くの腕の優れた大工や職人を捉えました。チンギス・カンは、職人を殺さない主義であったため、モンゴル軍の武器や装備が発達し始めたのです。

掃除婦が語る最高の幸せになる方法!

ある日、華やかなドレスを着た貴婦人が精神科医のもとを訪れ、自分の人生は幸せではなく、空虚でつまらないと感じていることを訴えました。 すると、医者は床を掃除している老婦人を呼び、貴婦人に言いました、「あなたが幸福を見つけるために、メアリーに話してもらいましょう。よく聞いてください」

情報を抱いた渡り鳥【季節の便り】

春は渡り鳥が移動する季節です。春を告げるツバメが生まれ故郷の日本に、一羽ずつ単独飛行で帰ってきます。オスたちが先立ち、それから数日遅れてメスたちがやって来ます。2月下旬には日本の南のお空(鹿児島辺り)にその姿を現します。

中国の墨の由来

古代中国で、まだ墨のなかった時代には、文字を書いたり絵を描いたりするのはとても不便でした。周の宣王の時代に邢夷という人がおり、絵を描くことに優れていました。ある日、彼は手が汚れてしまったので、近くの小川まで手を洗いに行きます。その時、傍に何か真っ黒なものが落ちているのを見つけ、拾い上げたところ、ただの松炭だったので捨てました。

前世を記憶する老僧

ある老僧が屠殺場を通りかかった際、涙が流れるほどの深い哀しみを覚えました。人々はとても不思議に思い、なぜ哀しんでいるのか、老僧に尋ねました。 すると、老僧は次のような話を始めました。

漢字を理解して天機を知る『説文解字』

「...倉頡(そうけつ)が文字を作ったとき、天は栗を降らせ、鬼は夜に泣いた.... 」(淮南子) 「倉頡(そうけつ)」とは、4千年前、天上から人間に文字をもたらした人物だと伝えられています。この伝説によれば、倉頡は黄帝の史官で、四つの目をもち、異なる次元が見え、物事が持つより深い意味を読み取ることができたといいます。

縁結びの神様【 月下老人】

中国では仲人のことを「月下老人」、略して「月下老」とか「月老」と呼ぶことがあります。これは、「月下老人」が世の男女の縁結びの神様だと伝えられているところからきていますが、そもそもこの神をなぜ「月下老人」と呼ぶのでしょうか?その典故は『続幽怪録』にあります。

婚姻の起源

人類は古くより、「婚姻」という手段によって、その血脈を後代に伝えてきました。前漢の学者・劉向(りゅうきょう、前77-前6年)が『烈女傳』で、「夫婦は人倫の始まりなり」と著しているように、人倫は夫婦に始まり、人類社会の組織はみな夫婦を基本としています。そして、男女を夫婦として結びつける婚姻制度は、人類の最も重要な社会習俗の一つだと言えます。

元気【ことばの豆知識】

毎朝ジョギングを欠かさない近所のお年寄りに「お元気ですね」と声をかけ、しょんぼりしている友人を「元気出せよ」と励まします。普段何気なく使っているこのことば、よくよく考えてみると何とも不思議なことばです。

カナダの弁護士「人類に新年の最高の贈り物をくれた李先生に感謝します!」

カナダの弁護士ジョエル・エティエンヌ(中国名:周易天)氏は、李洪志先生の『なぜ人類が存在するのか』を読んで感動し、「人類に新年の最高の贈り物をくれた李先生に感謝します!」と、興奮気味に話した。

寛容と我慢【伝統文化】

中国では寛容と我慢が、一種の伝統的な美徳として称賛されてきました。孔子は「薄責于人、則遠怨矣」と語りました。曰く、他人を責めないで、理解と寛容の気持ちで接することができれば、自分も悩むことなく、穏やかな心情を保つことができるという意味です。

終生を託された人の道【伝統文化】

春秋戦国時代、斉国に晏嬰(あんえい)という名声の高い賢明な宰相がいました。斉国の君主である景公にはとても可愛がっている娘がおり、晏嬰の有能さを知り、娘を晏嬰に嫁がせようと考えたのです。そこで、景公はわざわざ晏嬰の家を訪れ、二人は胸襟を開いて心行くまで杯を酌み交わしました。

諸葛孔明――預言者か(下)【千古英雄伝】

諸葛孔明は色々な著作を残しましたが、中でも預言書とされる『馬前課』が最も有名です。一課が一つの時代を指し、わかりやすくなっているのです。

寛容は人心を掴む【伝統文化】

人は間違いを犯すものであり、皆欠点を持つものです。寛大な心で他人を許すのは一種の美徳であり、そうすれば、憎しみを溶かし、悪縁を解き、敵を友に変えることができるのです。

貪らないことを宝とする【伝統文化】

宋の時代に、ある人が一つの宝石を手にいれます。彼はこれを斉の大夫・子罕(しかん)に献上しようとしましたが、子罕はこれを受け取りませんでした。「この玉は宝石の専門家に鑑定してもらった本物の宝石です。あなた様に献上したいのです」といいます。それに対して子罕は、「私は貪りを宝としません。あなたは宝石を宝としているので、もし宝石を私にくれたら、私たちは二人とも、自分の宝を失うことになります。それならやはり各自で宝を保管したほうがいいでしょう」と答え、宝石を受け取りませんでした。

諸葛孔明――預言者か(中)【千古英雄伝】

諸葛孔明は若い時に友人と遊学(よその土地や国に行って学ぶこと)をしていました。当時、天文学に造詣がある殷馗(いんき)という人がいましたが、彼は星の群れから、異常に明るい星をみて、占星象(天文学)からその星が大賢者であると占い、そして、見にきたところ、孔明とその友人たちを見かけました。殷馗は「星群の兆しは皆さんのことでしたか」と感嘆し、占星象を皆に教えました。

じゃんけん【ことばの豆知識】

「じゃんけん」の語源は未だよくわかっていませんが、代表的なものに「両拳」説があります。 中国で古くから行われてきた酒席の遊びに、二人が互いに出す指の数を予想して言い当てる『猜拳』(さいけん)と言うのがあり、江戸時代に長崎に伝来しました。その『猜拳』でチョキを表すものを「両拳(りゃんけん)」と言い、それが訛って「じゃんけん」になったというのです。

【ゴルバチョフ】戦争せずに世界を変える (3)

中国共産党はソ連の弟であり、中国はソ連崩壊後、世界に残る最大の共産主義国家です。 ソ連最後の指導者であるゴルバチョフ氏もまた、中国に結び目を残していきました。 北京とモスクワの関係は1950年代に崩壊し、長い間相互訪問はありませんでした。1989年6月4日の天安門事件の前夜、開放と政治改革を唱えたソ連共産党書記長ゴルバチョフの北京訪問により、両国の関係は融和されました。 彼の平和的な政策により、中国は北方国境の軍事的圧力を緩和することができ、何百万人もの中国軍の武装解除につながったのです。

【ゴルバチョフ】戦争せずに世界を変える (2)

ソビエト連邦崩壊後、ゴルバチョフ氏は主に社会活動や文学活動に従事していました。 ドイツ映画『時の翼にのって / ファラウェイ・ソー・クロース!』で自身を演じ、数々の賞を受賞しました。 ゴルバチョフ氏が自ら出演した一連の映画で、国際社会での知名度はさらに高まりました。