諸葛亮(紀元181年〜234年)、字(あざな:本名以外につける別名)は孔明、劉備の名軍師で劉備を補佐して漢の復興を謀りました。劉備は「三顧の礼」をもって、諸葛孔明に「天下三分の計」を教わり、魏、呉、蜀の鼎立(ていりつ)時代へ導きます。『三国志』全般で「三」という数字が注目されていますが、「三」は中国文化の本質に根ざしたものです。
中国では古来より事を成就するのに必要だと言われてきたのが、「天の時」「地の利」「人の和」です。曹操が天子(皇帝)を側に抱えて諸侯に命令を下して「天の時」をとり、孫権が地理的に有利なことから「地の利」をとり、劉備が諸葛孔明を得て「人の和」をとったと考えられます。すなわち『三国志』の「三」は「天の時」、「地の利」、「人の和」を指しています。
老子の『道徳経』には
人法地、地法天、天法道、道法自然。
(人は地を法とし、地は天を法とし、天は道を法とし、道は自然は法とする)
とあり、つまり、人は地に従うもの、地は天に従うもの、天は道に従うもの、
そして道は自然に従うもの、という意味です。
孫子の『孫子兵法』には
一曰道、二曰天、三曰地、四曰將、五曰法、
(一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。)
と述べられ、その重要な要素の順番が「天、地、人」となっています。『三国志』でも「人の和」としての諸葛孔明が死んだ後、まもなくして蜀が滅び、次に呉と、結果として「天の時」を占めた魏が中国全土を統一しています。
正しい例ではありませんが、二十世紀後半、世界の経済が急成長する時期を「天の時」を占めたと考えれば、天の意向に逆らい、文化大革命などが起こった中国は逆に経済の後退を見せたといえます。その中でも特に急成長を見せた日本などの国が「地の利」を占めたとすれば、急成長の時代には有能な企業家ではなくても「地の利」に乗って成功した事業は少なくありません。現在、日本で最も唱えられているのは「人の和」即ち「人材」です。
知恵を駆使して強大な曹操軍を翻弄した諸葛孔明は、現在でも抜群の人気を誇っています。諸葛孔明は奇怪な衣装に身を包み、宇宙の神秘を次から次へと語ると言われていますが、実は道家出身の修煉者なのです。
諸葛孔明は諸侯の情況をよく知り、色々な人の心理をよく利用していました。しかしながら当時は現在のように、テレビがあって、有名人の顔を見るなどということもなかったので、天下の情勢に精通した諸葛孔明の学識には不思議なところがあり、深く考えさせられます。
(つづく)
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