AIが普及するほど人間の創造性は価値を増す? ジェボンズのパラドックス

2026/10/19
更新: 2026/10/19

論評

経済の世界では、直感に反する現象がしばしば起きる。中でも分かりやすい例が、既存の資源をより効率的に使えるようにする技術革新である。直感的には、効率が上がれば資源の使用量は減るように思える。だが現実には、逆に増えることがある。

これは「ジェボンズのパラドックス」と呼ばれる。蒸気機関をめぐる有名な議論に由来する。蒸気機関の登場によって、石炭をそれまでよりはるかに効率よく利用できるようになった。当時は、石炭の使用量が大幅に減り、石炭産業の生産も縮小するとの予測が広がった。

しかし経済学者ウィリアム・スタンレー・ジェボンズは逆の見方を示した。石炭を以前より効率よく使えるようになれば、その用途が広がり、結果として石炭への需要はむしろ増えると考えたのである。

そして、その予測は当たった。この教訓は、さまざまな分野に当てはまる。ある技術革新によって従来のものがほとんど不要になるように見えても、実際には逆に、その価値が以前より高まることがある。

高級ブランド品の偽物を考えてみよう。ナイキのスニーカー、グッチのアクセサリー、ルイ・ヴィトンのバッグや旅行かばん、ロレックスの腕時計など。世界には、偽造品によって成り立つ巨大な市場が存在する。一つのブランドが、それらを完全に排除することは到底できない。私はトルコのある都市で、本物を売る店と偽物を売る店が、見た目はほとんど同じ商品を、まったく異なる価格で平然と販売している光景を見たことがある。

経済学者は長年、この現象を研究してきた。実証研究の結果は、ほぼ一貫している。

偽物が出回っても、本物の価値は下がらない。むしろ逆に、本物の評価は高まる傾向にある。本物の価格が上昇するのもそのためであり、高級ブランドが偽物を過度に取り締まらない理由の一つでもある。

なぜ、そうなるのか。

偽物は二つの意味でブランドの宣伝になる。

一つは、そのブランド名を広く知らしめることだ。もう一つは、企業や業者が時間と資金を投じてまで模倣しようとしているという事実そのものが、「それだけ真似する価値がある」という市場へのシグナルになることである。

その結果、本物を買える消費者は真正な商品を探し出し、本物かどうかを確かめ、手に入れたことを誇ろうとする。

結局、本物の価値は以前より高まるのである。

コカ・コーラ社も19世紀末の創業初期から、この現象を経験していた。有名な秘密のレシピがあったにもかかわらず、多くの模倣品が登場した。同社は偽物を取り締まり、当時の他社には再現しにくい独特で美しいボトルを開発するなど、さまざまな対策を講じた。

それでもコカ・コーラへの需要は伸び続けた。模倣品の存在は、何十年にもわたってむしろ本物の伝説を強めていった。

やがて「The Real Thing(本物)」という言葉が、同社を象徴する広告メッセージとなった。

現在、中国をはじめ世界各地には、昔の巨匠たちの名画を模写する大規模な工房が存在する。その市場は拡大を続け、模写作品への需要も伸びている。

しかし、それによって原作の評価が下がることはない。むしろ逆である。

模倣や偽造の存在自体が市場へのシグナルとなり、消費者の関心を、模倣される「本物」へと向かわせる。

ここまで説明してきたのは、AI、あるいは超知能と呼ばれるものについて考えるためである。もっとも、「AI」という呼び名はすでに定着したように思う。

AIが広く使われるようになってから、まだ数年しかたっていない。それでも、私たちが一日に読む文章の多くは、すでに人間ではなく機械によって書かれている可能性がある。動画や映像作品でも同じことが起きている。広告や音楽制作でも、AIは大きな役割を果たすようになった。

その結果、創作に携わる人々の間には、自分たちの存在そのものが脅かされるのではないかという不安が広がっている。

自分たちは完全に置き換えられてしまうのか。

出版社でさえ、どれが人間の手による作品なのかを見分けにくくなっている。先週には、ある賞の候補になっていた書籍が、実はAIによって生成された文章だったことが判明したというニュースもあった。関係者にとっては面目を失う事態である。

こうした技術革新が、創作に携わる人々に深刻な問題を投げかけていることは間違いない。

ただし、AIが何を得意としているのかを考える必要がある。

AIは定型的な作業に極めて強い。それらを自動化し、時間やその他の資源を節約する。こうした用途で使えば使うほど、AIはまるで奇跡のように感じられる。

数年前なら数か月かかっていた仕事が、今では数分で済むことさえある。

一方で、AIにはできないことがある。

創造的に考えること、洞察に富んだ判断を下すこと、真の想像力を働かせること、そして道徳的な意識を持つことである。

AIがそれらをできるかのように振る舞ったとしても、それは人間を模倣しているにすぎない。

人間の精神には、創造のひらめきがある。新しい発想を生み出す力があり、愛、恐怖、戦慄、嫉妬、怒り、悲哀、そして自らを犠牲にしてでも他者を思いやる心といった、人間ならではの経験から生まれる深い感情を伝えることができる。

こうした点で、人間はこれからも優位性を保ち続けるだろう。

つまり、AIによる粗製乱造のコンテンツが世界を埋め尽くし、その出力がどれほど見事であったとしても、人間の創造性から生まれた本物の作品には価値が残り続ける。

そして、その価値はこれまでの例と同じ方向に進むと考えられる。

蒸気機関の普及によって石炭需要がかえって増えたように、あるいは本物のルイ・ヴィトンのバッグの価格が上がり続けるように、人間による本物の創作物も、より高く評価されるようになるだろう。

偽物は本物の価格や価値を下げない。むしろ逆に、本物への需要を一段と強める。

既存の資源をより効率的に使える技術が、その資源への需要を増やすのと同じである。

もちろん、AIによって多くの仕事が失われないと言っているわけではない。とりわけ、定型的な計算や反復作業に依存してきた仕事は大きな影響を受けるだろう。その中には、むしろなくなっても惜しくない仕事もある。

一方で、私たちはすでに、創造性の乏しいAI生成動画に飽き始めている。AI画像も、その独特の癖が見慣れたものとなり、すでに新鮮味を失いつつある。

こうした新しい現実には、私たち自身が適応していかなければならない。

それでも私は、生の交響楽が再び脚光を浴び、本物の油絵がこれまで以上に評価され、真に卓越した才能を持つ作家への需要も一段と高まると考えている。

本物を選べるのなら、誰も偽物を欲しがらない。

壮大な大聖堂に響くパイプオルガンを想像してみてほしい。あれは全身で体験する音であり、ほかに代わるものはない。

自宅で録音を聴くことはできる。しかし、それは実際にその場で聴く体験に比べれば色あせている。スマートフォンで聴くデジタル音源なら、本物の体験からさらに遠ざかる。AIが生成したバッハ風の楽曲なら、なおさらである。

人間の精神が生み出す天才性と、それを物理的な形にする最も直接的な表現。その原点から遠ざかるほど、私たちの心を揺さぶる力は弱くなる。

市場は今後、人間が作った本物であることを証明し、それを示すための、さらに高度な仕組みを発達させるだろう。

高級ブランドが偽物との区別のためにホログラムやブロックチェーン認証を導入してきたのと同じである。すでに「人間が制作した」ことを示す認証や、作品の由来を追跡する仕組みも生まれ始めている。そこに高い価格がつくのは、単なる懐古趣味からではない。

消費者が、本物の人間の意識とのつながりを強く求めているからだ。

創作の仕事は、これから二つに分かれていくだろう。

一方は、AIをいわば「精神の蒸気機関」として使い、定型的な作業を任せることで、人間にしかない力を、その人ならではの個性が表れた作品づくりに振り向ける人々である。

もう一方は、制作を全面的にアルゴリズムへ委ね、やがて市場が敬遠する大量のAI生成コンテンツに埋もれていく人々だ。

経済的に成功するのは、AIが創造性を置き換えるものではなく、補完するものだと理解する人々である。AIが定型的な制作を担う一方、人間の判断力、道徳的な勇気、想像力の深さは、より希少で、より価値の高いものになっていく。

ジェボンズのパラドックスが示しているのは、効率化が価値を減らすのではなく、何が本当に希少なのかを浮き彫りにするということだ。

AIによって凡庸なものが大量に、しかもほとんど無コストで生み出されるようになればなるほど、本物の人間の洞察がいかに希少であるかが際立つ。

苦しみを芸術に変え、愛を作品として結実させる人間の営みもまた、いっそう貴重なものになる。

私たちが向かっているのは、人工的な模倣によって現実の世界の価値が失われる未来ではない。むしろ、本物であることそのものが究極のぜいたくとなる未来である。

それは、機械には生み出せず、アルゴリズムでは最適化できず、どんな模倣品にも再現できないものだ。そして逆説的ではあるが、それこそが最も希望を感じさせる経済的なシグナルなのかもしれない。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
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