7月1日から、プラスチック製買物袋(以下、レジ袋)の有料化が全国で義務付けられ、無料配布は禁止される。経済産業省(経産省)によれば、レジ袋の有料化制度は「プラスチックごみの削減」が目的であり、「廃棄物・資源制約、海洋プラスチックごみ問題、地球温暖化などの課題に対し、プラスチックの過剰な使用を抑制し、賢く利用していく必要がある」のだそうだ。
しかし、プラスチックごみの削減を主張するのであれば、買い物をした後のレジ袋の中に入っている弁当や菓子など、個々の商品の包装を簡素化したほうがはるかに効果的なのは誰の目にも明らかだ。また、レジ袋の多くはポリエチレンでできており、多くのユーザーはそれをごみ袋として再利用している。ポリエチレンのゴミ袋/レジ袋は自治体の焼却炉で高熱で燃焼されればダイオキシンも発生しないばかりか、生ゴミを燃やす際の燃焼補助剤にもなっている。したがって、レジ袋のみをやり玉に挙げて、その削減が環境対策になると主張するのはかなりの無理がある。
したがって、環境やエコという観点からしても、環境対策としてレジ袋(のみ)の削減を目指すことの愚は、かなり前から識者の間では半ば常識とされてきた。しかし、“環境”ないしは“環境問題”という単語は、多分に人々の感情を刺激するものであるためか、レジ袋に関しても、規制推進派(将来的には廃止すべきとの主張も含む)と容認ないしは現状維持派との間では、なかなかかみ合った議論にならない/ならなかった。
そこで、本稿では、環境問題とは別の観点から、レジ袋有料化を制度として義務付けることの何が問題なのか、簡単にまとめておきたい。
誤解のないように言っておくが、筆者は、それぞれの店が自分の判断でレジ袋を有料で販売することには反対しないし、レジ袋をもらってなにがしかのお金を請求されたら素直に支払う。ただし、レジ袋を有料にするのか、無料で提供する(そのコストは別の形で商品等に転嫁されている)のか、その選択は、あくまでも、それぞれの店の経営方針なり、扱い商品の性質、顧客対応のための行動オペレーションや万引対策などを総合的に考慮して、彼らが自主的な判断すべきものである。そうした個別の事情を無視して、国や自治体が制度として、レジ袋の有料化を義務づけるのは、『日本国憲法』でも保障された経済的自由権の侵害に当たるのではないか。ましてや、今回の新制度では、店側がレジ袋を無償で配布することを禁じているのだから、なおさらである。
レジ袋有料化は事実上の増税
レジ袋を義務的に有料化するということは、国が新たな規制を作るということだ。また、環境やエコを大義名分に、広く国民から強制的になにがしかのお金を集めるのは、事実上の税金といってもよい。
また、今回のレジ袋問題に関して、小泉進次郎環境大臣は、「レジ袋有料化をきっかけとしたライフスタイル変革を進める」としているが、その小泉大臣と環境省は“炭素税”の導入に熱心であることが知られている。
炭素税は“温暖化対策”を名目に、欧州などで導入されている税で、国などが二酸化炭素の排出量に価格をつけたうえで、企業や一般国民が排出量に応じて税金を支払うというのが基本的な仕組みだ。わが国でも、2004年前後に検討されたが、経済成長を阻害するとの財界の猛反対で実現しなかった。そのかわり、2012年、エネルギー関連業に限定的に負担を求める地球温暖化対策税(課税額はCO2、1トン289円)が導入された。
しかし、その後も炭素税を完全にはあきらめきれなかったのか、2018年、環境省は環境相諮問機関として“カーボンプライシングの活用に関する小委員会”を立ち上げ、炭素税の議論を活発化させている。
科学的な根拠があいまいなまま、「レジ袋削減は環境に良いことだから、レジ袋の有料化を義務付けるのもやむを得ない」ということになってしまうと、そこから「エコと言えば国民は黙って金を出す」、「環境対策といえば国民は文句を言わない」という空気が醸成され、炭素税の導入へとつながる懸念が大いにある。
レジ袋有料化が世論誘導の一手段であり、炭素税導入の地ならしであると指摘すると、意識の高い“環境保護”論者からは、“滑りやすい坂理論”だとの批判が必ず出てくる。
しかし、東日本大震災の後には、明らかに復興を阻害することが予想されていながら復興税が導入されたこと、社会保障財源の確保を名目に第二次安倍政権は消費税率を二回あげたが、実際には、社会保障費は消費税を含む一般財源で賄われており、消費税が社会保障財源であるというのは詐術に等しいものとなっていることを、我々は経験から知っている。
そうした経験を踏まえて、あらためて、レジ袋有料化についての政府の広告を見てみると、名前をつらねている5省の中には財務省がしっかりと入っている。財務省が入っているのはあくまでも建制順にすぎないとの説明は成り立つかもしれないが、それでは、そもそも、なぜ財務省が入っているのか。やはり、財務省の方針に合致するからこそ、同省はレジ袋の有料化に熱心だと考えるのが妥当であろう。ここから、彼らが炭素税の導入をはじめ、“環境”名目での増税をにらんでの地ならしとして、今回のレジ袋有料化を位置づけようとする思惑が透けて見える。
消費増税がそうであったように、炭素税が導入されても、果たしてそれが純粋に温暖化対策に使われるかものなのかどうか。少なくとも、筆者は大いに懐疑的である。
日本経済が長期のデフレに苦しむ中、増税は経済成長を抑制し、景気を落ち込ませるマイナス面が大きいことは、すでに多くの日本人が身をもって証明している。したがって、日本の国力を増強させたいと真剣に考えているなら、新税ないしは増税につながりかねない芽は早めに摘んでおくべきだ。そのためにも、国の制度として、レジ袋の有料化を一律義務化することにも、国民は反対の声をあげねばなるまい。
エコバッグは不潔? ほおっておけば雑菌の温床に
また、新型コロナウイルスの感染拡大を予防することが全国民にとっての喫緊の課題となっている現状では、衛生面からは、むしろ使い捨てのレジ袋を奨励したほうが適切ではないかとの指摘がある。
もちろん、エコバッグを使っている人の中には、毎回、洗濯・除菌して常に清潔になるよう心掛けている人もいるだろうが、現実には、それは少数派で、多くの人はなかなか洗濯などしていないだろう。
昭和30年代までは、買い物籠に新聞紙や経木でくるんだ肉や魚を入れて持ち歩き、帰宅後、荷物を出した後も駕籠自体はそのまま放置して、そこから雑菌が発生して衛生面のトラブルが生じることは珍しくなかった。その後、家庭での冷蔵庫の普及とあわせて、毎回新品のレジ袋を使い捨てにする習慣が定着していったことで、衛生環境は劇的に改善された。
じっさい、ツイッター上では、コンビニ店員の中には、客からエコバッグに商品を入れるように言われてバッグの中を見たところ陰毛が付着していた、エコバックそのものが黄ばんでいて異臭を放っていたなど、レジ袋ではなく、エコバッグを使うのが明らかに不潔な例も多く報告されている。また、米国のカリフォルニアでは、しばらく前にレジ袋の有料化を始めて、大半の利用者がエコバッグを使うようになっていたが、昨今のコロナ禍でエコバッグが不衛生であることが取り沙汰されると、多くの店ではレジの係員が客のエコバッグに触れることを拒否し、使い捨てのレジ袋が復活しているという。
このような指摘をすると、自分のエコバッグは清潔さを保っているから大丈夫だという反論もあるのだが、公衆衛生というのは、どれほど個人が衛生に気を使っていようと、誰かが“穴”をあけてしまったら元も子もない。外出時に必ずマスクを着用している人たちは、自分の感染予防もさることながら、万一気づかずに感染していたとしても他人には感染させてはならないとの意識を持っていると思われるが、絶対にマスクをしない人たちがそうした意識を共有することはあるまい。それと同じことで、「自分は気を使っているから大丈夫」は公衆衛生では通用しない。
そもそも、新型コロナウイルスで我が国の感染者・死者が他国に低水準で抑えられてきたのは、多くの国民が、政府や自治体の指示に従い、不要不急の外出を避け、外出時にはマスクを着用して社会的距離を取り、帰宅時にはうがい・手洗いを励行するなどの行動に努めてきた結果である。梅雨に入り、ただでさえ食中毒などが増加するこの時期に、拙速なかたちでレジ袋の有料化が制度として義務付けられてしまうと、上手の手から水が漏れる如くコロナ対策に穴が開き、いままでの成果が水の泡になりかねない。
さらに、もともと、レジ袋有料化の義務付けを前に、経産省は3月から説明会を開始するとしていたが、ウイルス感染防止を理由に開催を無期延期にしたまま、7月1日の制度開始が間近となった現在なお、説明会を開催する気配がない。あるいは、すでにひそかに開催したのかもしれないが、多くの国民に周知せぬまま、アリバイ作りでこっそり説明会を開催したことにしたというのなら、これほど国民を馬鹿にした話もあるまい。
じっさい、6月18日付の『中日新聞』には、「業界団体から何も連絡がなく、自分も周りの経営者も最近まで例外など制度を勘違いしている部分があった」との鮮魚店の声が掲載されていたが、現場に十分な説明もないまま、オペレーションの大幅な変更を伴う施策が強行されてしまえば、現場が大混乱に陥るのは当然のことだ。
こうした現状を考えるなら、すくなくとも、説明会を延期した日数分だけは新制度の実施も延期するというのが筋ではないのか。
筆者とて、なにも環境問題の重要性は頭から否定するわけではないが、現在のわれわれにとっては、衛生問題は、まさに国民一人一人が生きるか死ぬかの問題であり、緊急性が高いことは言うまでもなかろう。エコも環境も、まずは命あっての物種である。
国民の生命財産を守ることが国家の最低限の義務であることは言をまたない。そうであればこそ、現在のような拙速なかたちでレジ袋有料化を義務付ける動きには、賛成できる要素は何一つない。
執筆者 内藤陽介
1967(昭和42)年東京都生まれ。郵便学者。東京大学文学部卒業。世界各国・各地域の郵便資料である切手を通じて、歴史・文化・民族・宗教・社会などから時代背景を分析している。「郵便学者・内藤陽介のブログ」を2005年からほぼ毎日更新。執筆活動や講演、ラジオ、ネット動画チャンネル等で世界情勢に関する幅広い知見を示す。著書に『日韓基本条約』(えにし書房)、『みんな大好き陰謀論』(ビジネス社、7月4日刊行予定)ほか多数。
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