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政府支出をGDPに含めるべきではない

2025/03/18
更新: 2025/03/18

国民所得勘定に関する授業を初めて受講したときから、政府支出がGDP(国内総生産)として計算することに強い疑念を覚えていた。この計算方法は、第一次世界大戦後、政府支出増加と財政赤字によって世界恐慌を克服しようとしていた1934年にスタートした。

その2年後、世界を代表する経済学者、ケインズもその方針に賛同した。需要がどこで生じるかは問題ではない。大事なのは需要が存在し、貨幣を刷ってでも、市場の貨幣量を確保することだ、と。

それから、政府の統計局は民間生産と政府支出を混ぜこぜにして計上するようになった。政府はこの計算方法を正当化するモデルを提示していたが、全く論理性に欠けていた。

そもそも、政府自体は何も生産することができず、税収、手数料、インフレーションなどを通じて、民間セクターが生産した富を得ているにすぎない。政府の収入は、常に民間の犠牲の上に成り立ってる。

政府がすべきこととそうでないこと、あるいは、生活を豊かにする上で政府にしかできないことについて議論することはできる。ただし、政府の収入源は民間が生産した富であるという事実だけは揺らがない。

ならば、国内総生産を計算する際は、政府支出の分も考慮すべきだと考える者もいるだろう。実際その通りで、財政支出を総生産から差し引く方がはるかに適切な計算方法だ。

しかし、1934年当時のフランクリン・D・ルーズベルト大統領が打ち出した「新経済(ニューディール)政策」は突如として人気を博した。同政策に大きな影響を与えたのが、ケインズの論文『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936)だ。本書は複雑かつ難解で、回りくどく、大量の造語や歪んだデータが散りばめられ、最後には「全ての投資は政府がコントロールすべきだ」という狂気の結論を提示していた。

その当時、ケインズの論文とマクロ経済モデルが支持され、経済学者らは一連の仮定に基づいてケインズの理論を漠然と理解可能なものへ書き換えた。

第二次世界大戦が勃発し、支出、徴兵、配給、爆撃などの影響を考慮した「国民所得勘定」なるものがつくられた。そして驚くなかれ、まさに戦争真っ只中という時に、すさまじい経済成長を遂げていたというのである。

これが事態をややこしくした。戦時下の人々は貧しく、苦しい生活を送っていたはずだ。しかし、データを見ていた経済学者らは、戦争こそが世界恐慌からの脱出に貢献したと言い放った。この言説は数十年間支持され続けたが、一部の歴史学者が再検討した結果、それが統計上の「みせかけ」にすぎないことが明らかになった。

しかし、政府はこの計算方法を使用し続け、債務は膨らむ一方だった。1962年、私の指導教員であったマレー・ロスバード氏は著書『人間、経済及び国家』で国家の生産高に対する計算方法がまったく筋違いだと指摘し、経済学者はデータの計算方法を修正するか、データ収集をストップするよう訴えた。

「自由市場の淘汰を受けない公共サービスに対して、その生産性や有効性を評価する方法は存在しない……。また、政府の税収と財政赤字が企業の生産活動にとって負担であることを理解すべきである。政府の活動は生産活動に貢献するどころか、むしろ略奪に近いことをしている。すなわち、政府は国家の生産活動に何も貢献しておらず、かえって民間の富を搾り取り、それを非生産的な活動に投じているのだ」

政府支出をGDPに含めるという考えが唱えられ、それが数十年の間に現実化したことは驚愕に値する。現米商務長官のハワード・ラトニック氏は、将来的に政府支出をGDPから除外する可能性があると語った。

実に良い知らせだ。当然、これに反対する者もいる。

とある経済学者はGDP計算方法の見直しについて、トランプ政権の印象を上げるための数字の操作だと非難した。「政府の統計データに手を出すとはありえない。しかし、トランプ政権はそれを企んでいる」

なにが「ありえない」のだろうか。100年間、その計算方法を採用してきたから? その100年間こそが間違いだった。戦時中に好景気を迎えていたという言説も、バイデン政権で経済の好転を実感できなかったのも、すべては統計上のまやかしに起因する。

1世紀にわたる誤りを経て統計データが修正されることになれば、1930年代、ひいてはさらに過去の記録も見直しができるかもしれない。修正の結果、特に戦間期の統計データは実に暴露的なものとなるだろう。

2020年以降、我々の生活はどれほど豊かになっただろうか。それは、実に期待外れだったと言わざるを得ない。同様に、1990年代、1960年代のデータを再検討すれば、興味深い結果が得られるだろう。

数十年の間、経済学者たちもこの失敗まみれで不適切な経済評価モデルを修正すべきだと頭ではわかっていた。しかし、それを成し遂げるには果敢で成熟した政権が歯を食いしばって実行する必要があった。まさに今、トランプ政権が歴史を変えようとしている。

政治的な動機があるかどうかは、ここでは問題ではない。いずれにせよ、誰かがやらなければならなかったのだから。国民には経済の真相を知る権利がある。

1950〜80年代にかけて、経済学の教科書は口を揃えてソ連のGDPがアメリカを上回ると予想していた。一体どうしたらそのような結論にたどりつくのか? まさに、当時のソ連は政府支出をGDPにカウントしていた。戦車は動かず、コートや靴の品質は劣悪で、穀物の収穫量が公表数字を下回っていたことは言うまでもない。数字が全ての経済学者は、ソ連の統計を鵜呑みにした。

数字を信用するのは良いが、統計手法についても批判的になる必要がある。我々は、それをこの前のパンデミックで学んだではないか。それは、公衆衛生、気候変動、経済学の分野にも当てはまる。嘘つきな政府が長く続きすぎた。支持率を落とすような真実だとしても、我々国民はそれを知る必要がある。

私はこの変化に期待しているし、トランプ政権がやり遂げることを願っている。既存のGDPに加えて、GDP-G(政府支出を控除したもの)を作ればいいだけの話だ。決して難しくはない。恐れることは何もないのだ。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
ブラウンストーン・インスティテュートの創設者。著書に「右翼の集団主義」(Right-Wing Collectivism: The Other Threat to Liberty)がある。