東日本大震災からまもなく10年が経つ。宮城、岩手、福島など東北沿岸部で被害が大きかった地域を、同じ場所から捉えた写真を掲載する。
2011年3月12日に福島県南相馬市で発生した巨大津波によって打ち上げられた、広い範囲に渡るがれきを見ている地元住民 (上) 。同じ場所で、ほぼ10年後の2021年1月25日に撮影(下)。
未曾有の災害を引き起こした大地震は、2011年3月11日14時46分頃に発生。三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130キロメートル付近で、深さ約24キロメートルを震源とする地震だった。地震の規模を示すマグニチュードは9.0で、日本国内観測史上最大規模。アメリカ地質調査所によれば1900年以降、世界でも4番目の規模の地震だった。
2011年3月13日、宮城県名取市の仙台空港の外で撮影。津波が襲ったのち、がれきの中にある民間航空機(上)。ほぼ10年後の2021年1月26日に同じ場所を撮影(下)。
政府資料によると、地震によって発生する津波の全てを正確に予測することは困難とされている。東日本大震災で被害を免れた多くの例は、可能な限り早く高い場所に逃げるという、津波襲来時の避難の原則に従ったケースだった。東日本大震災では、押し寄せる津波が当初予測された数値よりも遙かに高い例が多くあったという。防災当局は、日頃から、国土交通省が発表しているハザードマップで危険箇所や避難場所をチェックするよう促している。
2011年4月16日に津波によって岩手県大槌町の2階建ての観光施設に漂着した船 (上) 。そして、ほぼ10年後の2021年1月27日に撮影(下)。
津波は一度だけでなく複数回にわたり襲来し、第一波より第二波や第三波など後から来襲する波の方が高いケースもある。 防災当局は、津波警報・注意報が出された場合、いったん波が引いても解除されるまでは避難を継続するよう周知している。
2011年4月6日、岩手県大槌町を見下ろす丘から撮影した。建物は消失し、がれきが打ち上げられるなど、津波による被害の模様がわかる (上) 。2021年1月28日、同じ場所から同じアングルで撮影した (下) 。
2011年3月14日に岩手県大船渡市で津波の被害を受けた沿岸部。建物の上に船が乗り上げている(左上)。ほぼ1年後の2012年1月15日、同じ場所で撮影。まだ残骸が残る(右上)。被災から2年後の2013年2月19日、大型船の接岸が可能になった(左下)。10年後の同じ角度から。向かいの山は開発が進んでいる(右下)。
2011年3月18日に宮城県南三陸町の津波被災地で、がれきの中を歩いているレスキュー隊員の姿(左上)。ほぼ1年後の2012年1月14日に同じ地域を撮影(右上)。その2年後の2013年2月20日(左下)と10年後の2021年1月26日(右下)に撮影した。
2011年4月20日、岩手県釜石市の津波被害を受けた地域で、満開の桜の木(左上)。ほぼ1年後の2012年1月16日に同じ地域を撮影。桜の木は取り除かれていた(右上)。それから2年後の2013年2月18日(左下)、10年後の2021年1月27日(右下)。
2011年3月29日、岩手県陸前高田市では津波により多くの松が流されたが、一本だけ残った10メートルの松は「奇跡の一本松」と例えられ、人々に希望を与えた(左上)。ほぼ1年後の2012年1月15日 (右上)には残っていたが、2年後の2013年2月19日、一本松は枯れて処理された(左下)。約10年後の2021年1月27日、現在「奇跡の一本松」は記念公園となり、復興の記念碑として人工の松が立てられた(右下)。
陸前高田市によると、一本松のあった地域は「白砂青松の高田松原」と呼ばれ、約350年前に7万本の松が植林された。防潮や景観のために、市や市民が長らく保護してきた。1940年には国の名勝に指定された。
2011年3月11日、地震と大津波が襲い、陸前高田市も死者、行方不明者2000人の甚大な被害をもたらした。唯一耐え残った「奇跡の一本松」もまた、その2年後の2013年に枯死が確認されたが、一本松の力強さから復興を祈念するモニュメントが建てられた。建造物は一本松の幹に腐食加工やレプリカを添えて、可能な限り一本松の素材が再利用されたという。
(大紀元日本語ウェブ)
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