中国研究者はすべて、中共に買収されているのか

2007/09/10
更新: 2007/09/10

【大紀元日本9月10日】中国のメディアは、当局から「自己検閲」を義務づけられているが、「自己検閲」は中国国内のみならず海外の研究者にも及んでいるようだ。香港科学技術大学社会科学部の経済学者カールステン A. ホルツ氏は、米誌「ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」(4月号)上で、欧米の中国研究者が「自己検閲」を宿命づけられている実態を明らかにし、国際社会を巻き込んでいく中国経済の発展に、中国共産党のマフィア的な政治システムが厳然と存在しているとして、中国研究者に警鐘をならした。

ホルツ氏の論文の概要は次の通り。

中国を研究する学者というものは、著者も含めて、習慣的に「親中派」になっており、これはある時には意識的に、またあるときには無意識的に行われている。こうなってしまうのも、われわれ学者たちがその生存環境に適応しようと中共に媚びるためだ。こういった研究課題は提出するが、これはしないでおこうとか、こういった事実は報告するがこれはやめておこうとか、どのような言葉を使おうかとか、何をどのように教えようかといったことばかりだ。

外国の中国研究者はまず、データを収集するために中国にいる学者に協力しなくてはならず、そうして共同研究を共著する。調査は、中共当局が指示するやり方で進めなくてはならず、調査内容は、政治的に中共が許容する範囲のものでなくてはならない。中国にいる中国研究者にとって、これらは至極当然なのだ。欧米の研究者にとって、他に選択の余地はない。

中国を研究する学者が独自に研究を進めようとしても、同じような制限を受ける。欧米の中国研究者の一部には、中国人と結婚して中国に親族がいたり、中国にアパートを所有していたりする。こういった中国語を母国語としない中国研究者たちは、北京語を学習するために多年を要するばかりか、取り返しのつかないほどの財力を投入して自らの事業を達成しようとする。私たちは、これら中国との「コネ」を通じて、内部情報を得るのであり、その利益を守るために、中国との関係を保護しようとする。そうすれば、皆が満足するのだ。欧米の読者は、学術界の最新の観点を目にすることができ、私たちは仕事上の成功を収め、中共はわたしたちを広告塔にして、自分たちを宣伝する。中国は、知識界全体がひとつの動機に動かされている、という点で非常にユニークだ。つまり、中共を怒らせることは、してはならないのだ。

もし私たちが協力的でない場合、その結果がどうなるかは明白だ。わたしたちは、中国側のパートナーを失うばかりか、中国を研究する段になって邪魔が入るだろう。香港市立大学でマーケティングを研究していた准教授・李小民氏は、米国の市民権を持っていたにも関わらず、、中国公安に五ヶ月間に渡り拘留された。罪名は「国家の安全に対する危害」であった。李氏自身の解釈によると、この罪名に心当たりがあるとすれば、中国の政治制度に対する批判的な見方や、台湾に渡り、台湾の経費で政治的に敏感な問題を研究し、中国でデータを収集したことだという。香港市立大学は、李氏に対して何ら支持をせず、李氏は釈放された後、渡米し、バージニア州のオールド・ドミニオン大学で教鞭を執った。人々は、五ヶ月間の拘留期間中に中共公安がどんな心理的な手を使っったのか、結局どんな手で彼を沈黙させたのかと疑問に思うだろう。このような圧力は、香港の知識界に常に加えられてるのだ。

中国を研究する学者は、その専攻によって受ける影響も違う。経済学者と政治学者は、比較的容易に、頻繁に中共のタブーに挑戦し、時には激烈なものになっている。しかし、社会学や人類学の学者にとっても、しばしばグループ研究や少数民族の文化研究となると、禁止区域に抵触することがある。

私たちの自己検閲には多くの方法がある。例えば、私たちは、欧米に関する質問を聞き、中国に関するものは回避する。私たちは、努めて基本的な経済学的指標をもって国営企業の利潤を解釈しようとしているが、実際にはその他の角度、例えば管理経営陣(中共が任命した管理層)の質とか、企業が直面する政治的な規制や、企業と所有者、その従業員、納入業者、及び顧客との談合や癒着を指摘した方が早いのだ。しかし、中共が国営企業や政府傘下の企業に対し、いかに隠然たる影響力があるかという情報を、いかにして集めることができようか。そんな証言をする人など根本的にいるはずもないのだ。

私たちは、中国の経済機構とその発展が、あたかも欧米の経済と同じであるが如く論じている。中央と地方に膨大な「価格管理」の規制があったために、官僚たちは権力をもってしまい、価格が市場において自然に決定するプロセスを邪魔してしまった。しかし、私たちが中国中央の公表する数字を目にするとき、額面上では商品90%の取引価格が、市場で決定されるとしている。私たちは、中国語の「市場」が、欧米では「マーケット」として翻訳されていることに何の抵抗もないのだが、中国当局がでっちあげた市場と欧米のマーケットが同じであるはずがない。

これに類似して、私たちが中国の会社法を目にするとき、これが中共の本当の腹積もりでないことが分かる。中共は依然として会社組織に対して号令を発している。これを深く理解して初めて、人々は動かしがたい証拠を見つけることができる。中共の陜西省委員会と陜西省政府は、2006年に連合して指示を発し、国有企業の党支部が企業決済の一切に参与するよう明確に要求した。この指示では、全省の国有企業では、最高経営責任者と党支部の書記が同一人物であるよう要求している。国家レベルでは、世界中に投資する中国のトップ企業50社を束ねる人物は、中共政治局が直接任命している。経済学者たちは、もし欧米において与党中央が、企業活動にいちいち関与していたら、一体何を意味するのか、という疑問を抱くこともない。

中国中央銀行の最高経営責任者であり党委員会書記の周小川氏は、江沢民が唱えた「三つの代表」を取り上げて、声高に「全面的に中央銀行業務を促進する」と中文で発表した。彼は欧米の論理に反発して、「三つの代表」がマクロ経済を指導する指標であると論じた。しかし欧米的な銀行業務の考え方でこの人物をみるとき、中国中央銀行の実際の貨幣政策、中国の貨幣操作による経済へのインパクトなどは、欧米のそれと全く同じなのだ。

私たちが幼稚なのであろうか。或いは私たちは、中央銀行長の第二の身分、いや恐らくは第一の身分である、党委員会の書記というものを見ようとしないのかもしれない。私たちは、無意識の内に理解しがたいものを回避しようとしていないか。あるいは、欧米の経済概念やわたしたちの本性に合致しないものを見ようとしていないのではないか。

どの記事を見ても、中国の収入格差が日増しに開いている原因を探っている。中国にはすでに、年収が一億元(1,300万ドル)を越える人たちが3,220人おり、そのうちの2,932人が党高官の子弟である。国家の五大主要産業である「金融」「外貨貿易」「不動産開発」「大型工事と警備業務」、これの主要ポストの85%-90%は、彼らが独占している。

改革や調整が新しく施行される度に高官とその家族は肥え太っていく。二重帳簿、返済不履行、国有財産の横領、会社の自己資金と従業員の厚生年金使い込みなどをやっている。農村の土地を強制的に接収して都市に組み入れる作業は、すでに地方官僚の「食い物」になっている。また地方官僚らは、本来閉鎖されるはずの廃坑同然の石炭抗に大量の投資をしているが、彼らがどうやってその元金を捻出したのかは誰も知らない。

経済情報が一般的に不足していることが私たちの研究を限定している。特定の課題に関する統計は、党中央委員会と国務院の指示により、国家統計局がデータ収集する。これらの情報が一般に漏れることはない。一般に公開される統計の本質は、大いに疑問が呈されるところだ。官報の統計数字とは別に、各級政府部門のそれぞれが、内部情報を統制している。公布される情報は、往々にしてプロパガンダで、伝えられる断片的な情報には政府の意向が込められている。その結果、中国経済を研究する学者らは袋小路に陥り、正確な調査を諦めたり、方便としての仮説経済モデルを打ち立ててみたり、完全な競争であると言ってみたり、新技術により最大の利潤がもたらされただとか、消費と金融を制限して最大の利潤がもたらされるとか等々と言っている。こういった方法では、中国の本当の姿を映すことは困難だ。 

その他の中国経済の研究者たちは、あからさまに党の好意を受けている。私たちは、政府高官とのコネを使うこともできるからだ。実際に考察する段になると、私たちは地方政府と地方党委員会から熱烈な接待を受け、ある時などは、車一台に、政府高官と地方官僚を紹介されたことがある。彼らはさらに企業の社長も紹介してくれたが、想像した通り、その答えは当たり障りのないありきたりのものだった。接待してくれた人たちは、信じられないくらいに尽くしてくれていたが、わたしはついに「パンドラの箱」を開けるのを止めた。さらにこれらの中共幹部にインタビューする輩は、無意識のうちに中共の道具に成り果てるか、もしくは政府内部の暗闘の道具になっている。

私たちが使用する言葉は、中共が内心に持つ本音と心象的に合致しているものだ。「法と政府に対して敵対する陰険な秘密結社」とは、中共の本質をよく表現していないだろうか?ウェブスター大辞典によると、これはマフィアの定義だ。

私たちが中国「政府」という言葉を使用するとき、さらに多くの説明を要しなくても、「政府高官」の95%が中共党員であり、主要な政策決定はこれらの人々が党務工作会議上で決めている。政府人事部と党委員会組織部は実際は同一人物であり、監察部と中共紀律委員会も実際は同一、中華人民共和国中央軍事委員会と中国共産党中央軍事委員会もまた100%同一だ。中国政府は、中国を管理しているのだろうか。では一体、中共の一機関として中共の決定を執行しているだけなのではないか?「政府」という言葉を使用するとき、あたかも中国「政府」が、その他の政府と同じように、特に欧米社会の政府のように正確に事を行っているように思っていないか。それを「中国的な特色のある政府」、ひいては「マフィアの手先としての代表」として見たほうが、より正確なのではないか。では誰が、中共が中国を統治する合法性、ひいては中共の統治方式に疑問を呈するのか。 

中共「マフィア」という言葉は、私たちの思想にぴったり当てはまる。私たちは、以下のようなことになぜ疑問をさしはさまないのであろうか。中国共産党は共産主義者の集団なのではない。人民代表大会は、人民を代表していない。人民解放軍は人民を圧迫している。裁判官は中共から任命され中共に服従している。私たちが「天安門事件」を口にする時、それは中共に順応するためであり、それが党に対して過剰に服従しすぎに見える時、私たちはそれを「天安門大虐殺」と呼ぶ。

欧米のどの教科書が、中国の政治システムについて論述しているだろうか。そのような教科書は、中共が事実上で政府要員と国会代表を任命しているのを分かっているのか。そのような教科書は、こういった政治プロセスと私たちが欧米で理解している政党、政府と国会とは同じでないということを指摘しているだろうか。中共の指導下で、私たちは欧米の政治用語を中共製のイミテーションに当てはめてしまって、中共の偽装工作を却って合法化している。私たちは、中国の憲法自身が謳っている言葉で中国を呼ぶこともしていない。いわゆる、「独裁国家」だ。(中国は、労働者階級と農民とが創りあげたプロレタリアートによる独裁体制だ)。

私たちは、政府の職位と中共の官位とが売買されている事実を指摘しているか?黒龍江省のスキャンダルでは、省レベルから県レベルまでの官位の「時価」が明らかになったが、このリストはどの教科書にも載っていない。一般に知られた官位売買の事実は、十分に翻訳されなかったようだ。政府の職位を売買するセールスマンたちは神をも恐れない所業で、これらマフィアたちの統治と口封じのやり方は、想像をはるかに超えている。

正常でないことでも、中国では正常なこととして受け取られる。ハッカーたちが、香港大学宛てに来た電子メールを収集していた。それらは大学のサーバーから寄せられたものであったが、偶然に電子メールを消去したことから、彼らの所業が発覚する2005年6月まで続いた。ハッカーたちは、大陸のインターネットサーバー3箇所のアドレスから来ていて、これら三つのIPアドレス全ては、国営の通信会社のものであった。

中国では、外国人留学生が寄宿するドミトリーの管理要員に公安が含まれており、外国人留学生を監視しながら、これら学生の電子メールを翻訳している。ある上海の教育機関内では、キャンパス内のコンピュータからインターネット検索で「江沢民」とタイプするすると、三回以内でキャンパス中のコンピュータ・サーチエンジンが自動的に落ちる。党はすでに「インターネット警察」数万人を雇用しているという情報もある。電話は、系統的に録音されていなくとも、盗聴されている。電子メールは、フィルターにかけられ、時には配達されない。こういった状況下では、党が好まないことを無意識に回避しようとしても無理からぬ話ではなかろうか。

党のプロパガンダは、私たちの考えに深く浸透している。「社会の安定」あるいは最近の「調和社会」は、無条件に中国で受け入れられている。しかし、国内で毎日200件以上の暴動が起きていても、社会が安定しているとか、調和社会とでもいえるのか。所謂「調和社会」とは、マフィアの統治を受け入れることに過ぎないのでないか。

「中央は正しいが、地方は間違っている」は、もう一つのプロパガンダであり、これは外国人研究者たちに何の疑問もなく受け入れられ、研究上の疑問を特徴づけ形成している。しかし、党がマフィアだとすると、そのような微妙な相違点があるはずもなく、外部の学術研究者に報告する際には、中共が恐るべき二面性を備え、汚い腹積もりであると言う事が想像できる。

私たちは、改革開放の成果について見ているが、その手段については不問にしている。党の経済成長というマントラは、国を富ませ改革を成功させる唯一の手段として頑なまでに認められている。誰も成長を達成した政治的システムを揶揄しようとしない。マフィアは、中国をより効果的に統治しようとしているが、それがどのように実行されたのか、副作用はどのようなものかなどは懸念されない。私たちは、中国国内の強制労働収容所に罪もない人たち、特に法輪功の愛好者たちが裁判もなしに送致されて、臓器を収奪されている事実を明白に知っているのに、かえってその調査と教訓をないがしろにしようとしている。私たちは、中国の政治体制において「大躍進時代」に30万人が犠牲になった責任、そして「文化大革命」で150万人が殺害された責任を無視している。欧米の学者は二度も思考停止に陥ったが、これは一体誰のためか。

学術界がやらないとしたら、では一体誰がやるのか。世界銀行とその他の国際組織もまたやろうとしない。なぜなら、彼らもまた中国との取引で利益を得ているからだ。銀行家のコネとは、中共との緊密な連携でできており、彼らが実際に研究プロジェクトをやろうとすると、最後の報告と公開声明は必ず中共の審査を通さなくてはならない。欧米の投資銀行に属する調査部門もまたやろうとしない。なぜならそのような部門もまた、中国とのビジネスにかなりの部分依存しているからだ。

一体これでいいのだろうか。中国の研究者たちが、当局がやっている政治的内容を見て見ぬふりをし、かつまたその政治的システムがそれらの研究を制限しているが、それでいいのだろうか。もし私たちが仮に、党が喜ぶような方式で欧米に中国を紹介し、自己検閲をしては偏狭な回答をして、中国の政治システムを神聖化しているが、果たしてこれでいいのだろうか。

中国の経済規模は、2008年から2009年には米国のそれを越えるものとみられている。中国は、欧米諸国の経済がますます介入する「二人三脚の国」になっている。中国国内産業の約25%は、外資のものであり、私たちはその廉価な商品にますます依存するようになっている。最終的には、私たちの年金さえもが、中国での増産のために多国籍企業に投資され、それらが中国の経済成長に依存することになるだろう。しかし欧米社会は、この国とその統治者たちを知っているのか。どの時点、どのようなチャンネルを通して、党の指導層が人権と市民権に対して違った考えを持ち、欧米の政治的システムと欧米の自由に影響を与えることがあるのだろうか。そして、中国の研究者たちは、程度の差こそあれ、誠実にものを考えたり教えたりせずに、飯を食うことばかりが先行しているが、これこそが罪ではなかろうか。

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