党大会前、胡・江派閥激闘風雲録=四人組を裁いた元老を盛大に記念

2007/08/19
更新: 2007/08/19

【大紀元日本8月19日】8月8日、中国の窓口と言われる政府系英字紙のチャイナ・デーリーが、北京五輪関連の報道で、国内外を驚かせた。「中国は世界に五輪参加を誘う」との見出しで、「今週、日光が深い霧を初めて破った際、北京市民百万人は次から次へと公園に向かい、祝賀活動を行った。その時、天安門広場周辺が厳重に防衛されていた。1989年、この場所で軍隊は民主的なデモ活動を鎮圧して、大勢の死傷者が出た」と記した。

この記事は数時間後、チャイナ・デーリーのウェッブサイトから取り下げられた。天安門虐殺事件を北京当局から自らメディアで認めるのはアラビアンナイトのような非現実の話しだと思い、記者の単なるミスだと片付ける人が多いが、北京当局が最近、今まで政治タブーとなっていた人物を公に記念する動きは意外にも多い。例えば、中国軍隊側が最近、解放軍設立80周年の記念活動の中、文化大革命中、前ソ連逃亡中事故死とされ毛沢東に政治タブー化された前副主席・林彪の肖像を公開、建国の元帥として公に記念した。それは36年前林彪死亡事件が発生して以降初めてのこと。

そのほか、中国の政府機関雑誌は最近、天安門事件で失脚し、2006年軟禁中に亡くなった前総理・趙紫陽氏を公に評価した。当局の趙氏問題への姿勢転換は18年来初めてのことだ。

中国問題の専門家は、胡錦濤が主導する胡温政権が最近見せた、元最高指導者・江沢民の論調を覆す一連の活発な動きを、今秋開かれる第17回党大会を前に、胡錦濤と江沢民の両派による権力闘争がクライマックスを迎え、江沢民派の終焉を示す証とみている。

それらの一連の動きは、江沢民時代に抑制され死去した元老たちを盛大に記念するのが特徴だ。

四人組を裁した江華氏を盛大に記念

7月20日、江沢民のかつての政敵で、元国家主席・楊尚昆(故)の生誕100周年に際して、胡温政権は全国範囲で大々的に記念運動を行い、胡錦濤・主席は、楊尚昆を見習うべきとの談話を発表した。1992年10月の第14回党大会から翌年の3月にかけて、_deng_小平が支持する中、江沢民は当時の国家主席・楊尚昆(中央政治局委員、軍の第一副主席を兼任)を政権から完全に退けさせ、その後を継いだ。内部情報筋によれば、中共最高指導部では、江沢民のこの行動に不満に抱き、楊尚昆(中共8大元老の1人)に同情する元老は多くいるという。

その後、7月31日に、中国最高人民法院特別法廷の前裁判長・江華氏の生誕100周年記念活動は、政権の中枢・人民大会堂で盛大に行われた。

1980年代で当時の四人組(※)への裁判を主宰した、中国最高人民法院特別法廷の裁判長・江華は、1999年死去した。江華の党内における立場は副総理クラスに相当し、中共の草創期から毛沢東に追随し、中央常務委員会の常務委員を務める元老でもあるため、本来ならば、中国当局は公式の追悼式典を開くはずだが、当時、権力の絶頂期にいた指導者・江沢民は、遺族が手配した告別式に政治局の常務委員1人を参列させただけで、草々に済ませた。内部情報筋によると、このことが、最高指導部の元老の強い不満を招いたが、当時の江沢民が絶大な権力を握っていたため、元老たちはみな怒りを心に抑えたという。

江華への処遇と裏腹に、今年3月に毛沢東の息子・毛岸青が亡くなった際に、すでに政権内部で権力の基盤をクった江沢民は、党への忠誠を示す絶好のチャンスを掴んだかのように、訃報を聞くとすぐに遺族に慰問の電話をかけ、中央政治局に「毛沢東思想と旗を倒してはならない、毛岸青(翻訳家で、死亡時の党内における立場は、庁級クラスにしかない)の葬儀は破格のものにし、政治局の常務委員のクラスに準じて行わなければならない」と要求した。中国当局内部は、誰も「毛沢東思想の旗を倒す」責任を背負いたくないため、最終的に、江沢民の忠誠を示す要求通りに追悼式典を開いた。

中国問題の専門家は、「江沢民のこのような、江華と毛岸青の葬儀を色目で処理する言動は、政権内部の元老にますます嫌われている」と分析している。

江華の生誕100周年にあたる今年7月31日、胡温政権は党内元老のこのような江沢民への不満を晴らすかのように、政権の中枢・人民大会堂で座談会を開き、盛大に記念活動を行った。

座談会の席で、現職の最高人民法院の裁判長・肖揚は、「四人組」への裁判を主宰し、多くの冤罪を晴らした江華の功績を大々的に讃え、胡温政権を強く擁護する姿勢を再三に強調し、江沢民派について、一言も触れなかった。また、江華の故郷などでも、大型の記念イベントが開かれ、当局が制作した伝記本「江華伝」も同時に出版された。

また、内部情報によると、法輪功への集団迫害を主導してきた江沢民派の面々、羅幹周永康も座談会に列席した(1999年7月、当時の政権最高指導者・江沢民が法輪功への集団弾圧を命じた。当時の中央政治局常務委員7人のうち、6人が弾圧に反対だった=内部情報筋=)。肖揚が語る「冤罪を晴らす、責任を追及、犯罪責任者を裁判にかける」などの言葉は、釘のように羅幹や周永康の心を突き刺したという。

趙紫陽問題への姿勢転換

中国当局の政府誌「炎黄春秋」2007年第7期目は、元副総理が書いた、故・趙紫陽・元総書記を高く讃える文章を写真付きで掲載した。1989年、学生らが政治改革を求める民主運動に理解を示し、武力弾圧に反対したため、当時の総書記だった趙紫陽は政権から全面的に退けられ、_deng_小平・江沢民の命令により、2006年はじめに逝去するまでに、自宅に16年間軟禁されていた。この間、中国当局が趙紫陽を公で評価するのは、一度もなかった。

胡・温政権のこのような一連の策略は、中共の元老の意向に沿っているため、政権内部で江沢民派の残存勢力(曾慶紅、羅幹、周永康など)に対抗する統一戦線が結成されたとの見方が浮上している。

外電の報道によると、7月15日、引退した最高指導部のメンバーらは当局の療養基地・北戴河で会合を開いた。その席で、江沢民は皆の批判の的となり、「個人崇拝主義」「側近の濫用抜擢」「紀律違反」「職権濫用」などと非難された。「これは、党の交流会議ではない、政治攻撃の会議だ」と江沢民は激怒したという。

一方、政権内部で基盤を失った江沢民派も黙ってはいない。これまで中共の指導者が重要な海外訪問を行う前に、通常、国際社会に対し、政治犯釈放か、友好を見せる外交政策を発表するのは一般的だが、胡温政権以来、両者は海外訪問の際、これまでの外交友好姿勢が見当たらなく、江沢民派は必ず訪問国でトラブルを扇動している。「国際社会の前で胡温に恥をかかせるよう図っているため」との見方がある。

扇動したトラブルの例としては、次のようなものがある。昨年9月、温家宝・総理が欧州訪問中、海外メディアを規制する論調を強く打ち出し、最高法院もメディア規制を強化する条例を公表した。今年4月、温家宝が日本訪問前、曾慶紅の指図で、諜報機関が監禁中の高智晟・人権弁護士への迫害情報を海外に漏洩した。結果、温家宝の日本訪問中、高弁護士の釈放を求める抗議活動が発生した。また、先月、香港返還10周年記念式典に参加するため、胡錦濤が香港を訪問した。曾慶紅が事前に香港当局に命令を下したため、千人近い台湾人法輪功メンバーを強制送還する事件が発生した。本来、同行するはずだった曾慶紅自身は直前に香港行きをキャンセルした。

(記者・張海山)

(※)四人組:中国語は、「四人幇」と呼ばれている。1960年代半ばから約10年間にわたり、政権内部の反対派や、知識人を大規模に迫害・粛清する「文化大革命」(文革)を引起した江青、張春橋、姚文元、王洪文ら4人の中共中央政治局の委員を指す。当時、江青(中央文革小組副組長、毛沢東夫人)、張春橋(副首相、中央政治局常務委員)、姚文元(中央政治局委員)、王洪文(党副主席)は絶えず勢力を拡大、1973年8月の第10回全人代では 4人全員が中央政治局員となり、この時から中共最高指導部で四人組を成立した。1976年9月9日に毛沢東が死去、同年10月6日、四人組は北京で逮捕され、特別法廷で死刑や終身刑などの判決を受けた。

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