書道の醍醐味は「文字をきれいに書く喜び」

毛筆で文字を書いて表現する芸術を、中国では「書法」といい、日本では「書道」と呼んでいます。 つまり日本では、茶道や香道、あるいは各種の武道などと同じく「道」の一字をつけることで、技術ばかりでなく、精神性の高さを求めて、どこまでも精進する道(みち)であることを示しています。
2024/03/02 大道修, 鳥飼聡

中国の墨の由来

古代中国で、まだ墨のなかった時代には、文字を書いたり絵を描いたりするのはとても不便でした。周の宣王の時代に邢夷という人がおり、絵を描くことに優れていました。ある日、彼は手が汚れてしまったので、近くの小川まで手を洗いに行きます。その時、傍に何か真っ黒なものが落ちているのを見つけ、拾い上げたところ、ただの松炭だったので捨てました。

書道の奥深さ

中国の書道は古来、文字の気質と神韻を重んじてきました。文字は、一国の文化に関わるだけでなく、書人の性格、志向と思想を表します。「字は人なり、人は字なり、文は人なり、文は道を載せる」と、古代中国人が言いますが、それはつまり、字を書く前に身を処するべきであり、心を正しく持つこそ書がうまくなるということです。
2021/02/17

人を傲慢にしない教育とは

晋王朝時代の著名な書道家である王羲之 (おう ぎし、303年-361年)には、7人の子供がいました。彼の息子たちの中で最も才能があったのが七男の王獻之(おう けんし、344年-386年)でした。
2019/02/12

蘭亭の賢人 書聖・王羲之

歴史に名を残す人物の中でも、物書きはメッセージを明確に伝える人と言えるでしょう。紙にしたためられた思想や夢は、拭い去られることなく残されます。漢詩一行からでも、古(いにしえ)の作者の思想を読み取ることができます。
2019/01/04

賢者の楽器「古琴」

古琴(こきん、単に「琴」とも呼ばれる)は、ハープに似た7つの弦を持つ楽器です。中国では5000年前から楽器として用いられていたと言われています。
2018/09/30

唐太宗、中国書道文化の功臣? 

隋が滅んで間もなく、日本では聖徳太子が亡くなった4年後の629年、中国で史上で最も有名な皇帝の一人である唐太宗(タン・タイゾン)が即位した。太宗は清廉潔白な政治を行い、部下の才能に応じて採用したことにより、唐は「貞観の治」と呼ばれる中国の政治的理想時代を迎えた。
2018/05/17

【伝統を受け継ぐ】 書道「竹香流」

 【大紀元日本4月28日】天女の羽衣を思わせる軽やかさとしなやかさ、同時にきっぱりと思い切りのよい鋭さと躍動が感じられる魅力的な書体である。書道「竹香流」は門長(もんちょう)竹斎さん(79)によって創
2012/04/28

書道を愛した賢明な指導者-唐の太宗

 【大紀元日本5月13日】唐の太宗・李世民は中国の歴史上でも最も知られた皇帝の一人である。彼の在位中は、朝廷の政治は公平であり、よく人の品行と才能を見抜いて抜擢した。このため、国力は盛んになり、民生は
2009/05/13

小野道風記念館~書道上達の町・春点xun_芬s~

蛙からひょいと悟って書き習い(古川柳) 【大紀元日本11月3日】書の上達は臨書に尽きると言われます。それでも思い半ばで挫折してしまいます。正月の書初めに一念発起する人は、是非「とうふうさん」の館を訪ね
2007/11/03

【書道漫談】白と黒の調和

 【大紀元日本9月7日】書道、絵画または篆刻を学ぶ人は「計白当黒」の言葉を知っているはずです。書道において、「黒」とは墨のある部分で、「白」とは墨のない部分を指します。「計白当黒」とは、墨の付いていな
2005/09/07