君子は「持節(じせつ)」、つまり気節を保つすることを大事にしていました。「気節」とは志気と節操という高尚な品格を指します。具体的に言うと、正義を貫き、威圧を前にしても決して屈しない頑強な精神を持つことです。
2021/02/15
「中年の危機」(ミッドライフ・クライシス)という言葉を聞いたことはありますか? 1965年にカナダの心理学者エリオット・ ジャックス(Elliott Jaques)氏が「死亡と中年の危機(Death and the Mid-life Crisis)」の研究報告を発表してから、瞬く間に知られるようになりました。
2020/04/06
昔、魯の哀公が孔子に尋ねた。「物忘れのひどい人が引っ越しをした時に、妻を置き去りにしてしまい、焦って妻を探し回ったという話を聞きましたが、世間にこのような人は本当にいるのでしょうか?」
2020/03/28
曾子(そうし)は、名が参(しん)で、字(あざな)が神輿(しよ)といい、春秋時代の魯国(ろこく・現在の中国山東省南部を指す)の人です。彼は父親の會点と共に孔子の優秀な弟子でした。
2019/10/03
仲由は春秋時代の魯国の人で、字(あざな)は子路(しろ)、孔子の生徒で「孝子」としても有名です。小さい頃から家が貧しかったために、仲由はとても慎ましく暮らしいつも野草を食べていました。しかし、彼自分は野草を食べても構わないが、両親にまで野草ばかりを食べさせるのは忍びないし、体に悪いだろうといつもとても心配していました。
2019/09/06
中国の悠久の歴史の中で、各王朝に有名人は少なくないが、その時代が過ぎるとともに多くの人の名が消え去ってゆく。僅かな人だけが、歴史とともに忘れられることなく、今でも人々に尊重され続けている。その一人が孔子である。
2019/08/20
日本でよく知られている目、耳、口を両手で塞いでいる三猿は、現在、スマートフォンの絵文字として使用されるほど、すっかり市民権を得ており、世界中の人々に愛用されるようになりました。
2019/06/27
「中年の危機」(ミッドライフ・クライシス)という言葉を聞いたことはありますか? 1965年にカナダの心理学者エリオット・ ジャックス(Elliott Jaques)氏が「死亡と中年の危機(Death and the Mid-life Crisis)」の研究報告を発表してから、瞬く間に知られるようになりました。
2019/03/16
二千五百年ほど前の中国でのことです。偉大な哲学者で教育者でもあった孔子には、数えきれないほどたくさんの教え子がいました。教え子の多くは直接教えを受けるために、はるばる遠くから孔子の住む魯(ろ)の国にやって来ました。陳亢(ちんこう)もその中のひとりでした。
2019/02/26
子路は、姓を仲、名を由といい、又の字を季路といった。春秋時代の魯国の人で、孔子の自慢の弟子の一人。性格は率直・勇敢で、非常に親孝行であった。
2019/02/13
昔、魯の哀公が孔子に尋ねた。「物忘れのひどい人が引っ越しをした時に、妻を置き去りにしてしまい、焦って妻を探し回ったという話を聞きましたが、世間にこのような人は本当にいるのでしょうか?」
2019/02/12
子夏は孔子に聞いた。「顔回は、どのような人ですか」 孔子は、「顔回は人として正直であり、この点では私より優れているのだ」と答えた。 子夏は聞いた。「子貢はどのような人ですか」
2019/02/08
和辻さんは「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」という、孔子の言葉に関心を寄せます。弟子の子路が死を問うた質問に、「未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らむ」と答えた孔子の言葉に、それは重ね合わさるものでした。死や魂の永世を問わず、神秘主義を脱して生の道に徹した孔子の生涯に、自ずと共感を寄せたのです。
2019/02/02
秦の時代(紀元前221-206年)、皇帝は中国最高の統治者となりました。古代中国の文化には、憲法はありませんでしたが、儒教思想が権力を抑制する役割を果たしました。
2019/01/17
紀元前496年、孔子は魯(ろ)の国の大司寇(司法官)に就任し、宰相(現在の総理大臣)の職務を代行することとなった。しかし孔子は就任して間もなく、「政を乱す者」として少正卯を処刑したと伝えられている。少正卯は人を殺したわけでもないのに、なぜ処刑されたのだろうか。
2018/11/23
師襄子(しじょうし)が孔子に一曲の演奏を教えた。孔子は毎日その曲の演奏を繰り返し練習し、煩わしさは微塵も感じなかった。
2018/10/02
春秋時代を生きた中国の大思想家・孔子には数千人の学生がいたと伝えられているが、中でも有名だったのは子貢と子路だった。子貢は魯の国(現在の山東省南部)の商人で、常に諸国を渡り歩いていた。一方の子路は勇猛果敢で武勇に長けた人物だった。
2018/09/27
儒教の始祖・孔子は「有教無類」を唱え、身分や地位にかかわらず、すべての人が教育を受けるべきだとし、私塾を開いて教育を普及させました。門下に3千人の弟子がおり、中国の伝統文化を後世に伝えることを自らの責務として、生涯を通じて学問を教えました。また、孔子は人を啓蒙することを重視し、それぞれの能力と素質に応じて、異なる言葉で諭しました。その一例を紹介しましょう。
2017/12/04
今年のカンヌ映画祭にも出席した韓流スターの1人、コン・ユさん(37)は最近、台湾メディアの取材に対し、自身が孔子の子孫であることを語った。コン・ユさんは「僕の両親は嘘をつくような人じゃないからね」と笑いを誘った後、「孔子の子孫であることを誇りに思っている」と語った。
今年のカンヌ映画祭にも出席した韓流の俳優コン・ユさん(37)は最近、台湾メディアの取材に対し、自身が孔子の子孫であることを語った。コン・ユさんは「僕の両親は嘘をつくような人じゃないよ」と笑いを誘った後、「孔子の子孫であることを誇りに思って
2017/05/19
春秋時代、曽參(そうしん)という人がいました。彼は非常に親孝行で、いつも両親の好みに合わせて食事を作っていました。曽參の父親が亡くなると、曽參は羊棗(やんつぁう、柿の一種)を二度と口にしなくなりました。曽參の父親が大好物だったからです。
2017/02/24
中国では近年、茶道や書道などの伝統文化を楽しむ「お稽古」の人気が高まっている。簡体字ではなく、伝統的な繁体字を書く人も現れ、20代の人達にもこのような「ルネサンス」の傾向が見られる。彼らは繁体字を書くことによって、道徳を重んじた伝統文化との距離が縮まると考えているようだ。中国社会に広がる物欲主義に、閉そく感を覚えていると指摘する声もある。
2017/01/02
幸福は自分の力で得たものですか? この問いに、皆さん一人ひとり異なる見解があると思います。また、幸福を得るために、どのような努力が必要なのかは、人によって方法が異なります。世の中にシンプルな思考の人たちがいます。彼らはただ純粋に人間としての道理、そして、正しい道理に従って事を処理しています。彼らの人生は苦難に満ちた経験があるものの、毎日の生活はシンプルで充実し、楽観的で小さなことにこだわりを持たず、いつも心が満たされています。
2016/12/16
孔子が弟子たちを連れて泰山に向かった時の話である。弟子の子路が馬車を引き、孔子は馬車の中から外を眺めていた。ある村を通り過ぎようとしたとき、突然道端から子供が飛び出して馬車の前に立ち塞がった。「あなたたちは、礼儀というものを知らないのですか」と子供は意気込んで言った。
2016/06/03
孔子(前551~前479)は、儒教の創始者である。生年は一説に前552年といわれ、名は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。魯の国(山東省曲阜)に生まれた。
先祖は殷の王族の子孫である。幼少のころに両親をうしなった。「吾、十有五にして学に志す」(『論語』為政篇)に示されるように、孔子は年少の頃より勉学に励み、貧賤のうちに成長して魯の官吏となり、大司寇(だいしこう)という地位にまでのぼりつめた。
2016/05/16
一、君子の徳行
孔子曰く、「顔回は君子の徳行を四つ持っている。一つ目は仁義を貫く事、二つ目は人の勧告を素直に受け入れる事、三つ目は官職に慎重で謙虚である事、四つ目は日頃の行いを慎んでいる事。史鰍も君子の徳行を三つ持っている。一つ目は官職がなくても上の者に忠誠を尽くす事、二つ目は祭祀を行わなくても神様を尊敬する事、三つ目は自分に厳格であり、他人に寛容である事」
2015/09/24
【大紀元日本6月15日】ある日、孔子は息子の伯魚にこう言った。「人を夢中にさせ、飽きさせないものは、おそらく学問しかないだろう。容姿が悪くとも、力がなくとも、家柄が貧しくとも、頼れる人がいなくとも、末
2015/06/15
【大紀元日本5月18日】子夏は孔子に聞いた。「顔回は、どのような人ですか」 孔子は、「顔回は人として正直であり、この点では私より優れているのだ」と答えた。 子夏は聞いた。「子貢はどのような人ですか」
2015/05/18
【大紀元日本11月25日】ある日、孔子が泰山を遊覧していると、街で栄啓期と言う人物を見かけた。彼は質素な身なりをして腰ひもがわりに荒縄を巻き、琴を弾きながら大声で歌い、とても楽しそうに見えた。 孔子は
2014/11/25
【大紀元日本10月2日】古代、中国ではどういう人物が勇士と呼ばれたのか。山奥で虎を捕獲できる人、海で竜を生け捕りする人、戦場で砲火を恐れない人、義侠心のある人。しかし、孔子が指す勇士とは、それらの人物
2014/10/02
【大紀元日本8月12日】古人曰く、「君子はどんな大きさの翡翠を見ても見向きもしないが、時間ならほんの少しでも大切にする」。時間は水や光のごとく、あっと言う間に過ぎ去ってしまうと古代の聖人たちは語りかけ
2014/08/12