<中国人が見る中国>水害・干ばつ・酷暑 「百年に一度」の大災害が続くのはなぜか

2010/07/08
更新: 2010/07/08

【大紀元日本7月8日】今春、中国西南部が大干ばつに見舞われ、ダム、川、湖が、底をついて干上がった。「百年に一度」の規模である。6月からは、南部11省は豪雨に見舞われ、大きな川の堤防決壊や山崩れが相次いで発生。4500万人が被災し、経済損失は昨年同時期の水害の3倍にのぼるという。昨年、百年に一度と言われた洪水記録を、今年、もう一度更新してしまった。7月に入ると、中国の北部を中心に、各地で40度以上の猛暑が続き、北京市では43.8度を記録し、1959年の記録を更新したという。

百年に一度、千年に一度と言われるほどの大災害が、近年、中国で毎年頻繁に発生し、後を絶たない。中国人ブロガー「秋不曲」は、その原因について、なぜ「百年に一度なのか」と題する文章でこう語る。(一部)

昔は、災害の話を始めると、これは毛沢東時代の大開墾、草原の大破壊、森林の大破壊がもたらしたもので、人間の力が自然に打ち勝った結果だと語られていた。毛沢東時代からすでに30年以上経つのに中国の災害はなぜこれほど深刻化しているのか。

原因は多くあるだろうが、中国共産党に対する反動と党の腐敗が、最も主要な原因のひとつと言える。毛沢東時代、政府がむやみに森林の伐採を許可しなければ、民衆は普通、それをやる勇気はない。当時、中共は、「天と闘い、地と闘い」ばかりを口にしていた。つまり、政府と政治が乱伐を招いたのだ。

今はどうだろう。腐敗政権の管理の下で、毎日、乱伐や自然破壊が発生している。山に金銭価値のある物があれば、そして地上に金儲けできるものがありさえすれば、すぐにも乱伐や乱採掘にやって来る。もともと中国の山地には様々な草が生い茂り、多くの木々が生える鬱蒼(うっそう)とした森があったが、ここ数年、木材利用を目的とした「経済林」を植栽するため、山に生えるその他の木は全て処分され、雑草も除草剤で枯らされてしまった。

これまで山林が生い茂っていた時、山の水は通常土壌を流失させることがあまりなかった。現在、経済林地区で大雨が降ると山の土壌は流れ出てしまう。植樹造林は本来、水土を保持するために最も意義あることだが、今は却って破壊的な経済活動となっている。もともと森林の乱伐は禁止されるものだが、各種政策の下での小規模な伐採を可能にしたため、あらゆる政策が生みだされてきた。権力者は、適当な政策を打ち出し、でたらめな手続きを導入して、天然資源を乱開発できる。多くの地方では、山はとっくに禿げているのに、それでも依然として伐採行為が存在している。

中国では、近年の多くの土木工事を維持するため、木材の需要が大幅に増加している。青々とした山河に、どれほどの汚れた権力の手が伸びてきたのだろうか。本来、政府は土砂の流出をコントロールすべきなのに、今は破壊の推進者となっている。当局も造林を呼び掛けてはいるが、全てスローガンにとどまっている。数十年来の植樹運動で、天を動かすほどの多くのスローガンが掲げられ、メディアに見るように植樹の労働シーンが数多くあったにもかかわらず、なぜ中国の森林被覆率はかえって減り続けているのだろうか。植樹造林は、経済的な利益がなければ行われることがない。心のこもった造林はない。

どこかで新しい地下資源が発見されたら、その土地の自然は完全に破壊されてしまう。価値あるものが埋まっていれば、とにかく掘り出す。そのため、山西省では現在、森が消滅し、山は掘り尽くされ、地下水も失ってしまった。中国共産党は採掘にあたって、山を保護することを考慮したことがあるだろうか。取水にあたって、水を保護したことがあっただろうか。豪州やニュージーランドでは、鉱石を採掘する時、元通りに回復できなければ違法になると聞いたことがあるが、中国ではどうだ。

だから、山は死に、水は死に、自然は死んだ。百年、千年に一度の大災害に見舞われてしまうのは当然ではないだろうか。江西省、福建省の水害を、人々は天災ではなく人災だと言っている。まさにその通りだ。

腐敗した中国共産党幹部のやりたいようにさせていたら、中国の自然はきっと消耗し尽くされ、中国は間違いなく終焉を迎える。だからまず、共産党政権そのものを解決することこそが、中国の唯一の希望だ。

(翻訳編集・坂本)