【連載小説】UFOと老人 最終回

2023/05/28
更新: 2023/05/28

第五話、

 朝の早い鳥さえ寝ぼける頃合いに、笹船も動かぬ池に彼方の丘陵が黒々と映っていた。開発伐採された低い尾根の連なりから裸の土の匂いがする。すでに秋の気配だ。邦男は初めてUFOを目撃した場所に来ていた。

 探し物が見つからぬ苛立ちに、邦男はあせっていた。街ですれ違った知人達に、UFOはどうした? 宇宙人は? と野次られて、カッとなった後、誰にも言わずにここに来た。昨夜はいままでになく真剣に、徹夜で交信を試みたのだ。そのせいか、無性に体が重くてだるい。頭の奥にも鈍い痛みがあった。

 久しぶりにスミから離れてみて、彼女がむしょうに気になる。しかし町の人たちへの意地があった。宇宙人に会うか、少なくともUFOの写真くらいは撮って帰りたいのである。それがかなえば、もう、終わりにしてもいいと、そこまで考えてのことだった。

 昨夜は必死に首が痛くなるほど、天の川が見分けられるほど眺め続けたが、やはり何も起きはしなかった。寄る年波には人は勝てないのである。いつか首を垂れ、うとうとするばかりだったのだ。

 

 ふと気づくと、いつのまにか辺りが蒼い何かに包まれていた。丘陵が霞み、うすいベールのような霧が池に流れ込んでいる。その霧がほのかに蒼いのだ。

 人影がぼんやり水辺に立っていた。身投げするような深い池ではないが、声を掛けようと一歩踏み出した途端、その人影が振り向いた。上空がいやに明るい。だが邦男はその人物にくぎ付けだ。

 年老いた女である。もしやスミではと、目ヤニのついた目じりをこすったが、スミより大柄である。目立つのはぺったりした白髪から飛び出た大きな耳、ついで懐かしいような茶色の目だ。

 さらには、自分にそっと寄り添う別の気配にぎょっとする。猫のようにひっそり、今度は若い女が肩を摺り寄せてきた。よく見ると、その人こそ、スミ、それも十四の時のスミではないか。黒々とした髪が朝のそよ風に柔らかく揺れ、目の覚めるような冷たい空気が初々しい額をなでている。静かな眼差しが邦男を見つめているのだ。羽毛のようにうなずきながら微笑む。その顔は間違いなくスミだった。彼の左腕を取ってそばにいるのは十四のときのスミだった。

 腰から力が抜け、膝頭が大きく震え出していた。同時に胸があふれ、目頭がゆるんだ。

「邦男さん、あの人が未来からきた咲さんですよ」

 目の前の、あの年老いた女を指さしながら隣のスミがそう耳元でささやく。背筋が泡立ち、目がかすみ、誰かに助けを求めようと、のけぞった。

 とたん、辺りが隅々まではっきり見えるのに気がついた。普通の朝ではないのだ。邦男はやっと、情景の異常さに気づき、上空をキッと見上げた。光に染まった大きな円盤が空を覆っていた。

 目前の大きな耳の老婆が言葉を発した。

「おじいちゃん、やっとみつけたね」

 その声は五才の咲のものだ。未来から来て、邦男より年寄りで、腰から下が良く見えない。隣にいるスミは六十五年前のあの時のままだし、記憶の中よりさらに美しかった。邦男の世界は質量を失しないかけていた。それでもUFOをよく見ようと、また邦男はアゴを上げた。だがそれはすでに物体の質感を持たなかった。横殴りの朝日に雲底が虹のように輝く。

 そ、そうか。ついに俺にもお迎えっ。邦男はそうつぶやきながら隣のスミを見た。硬い顔を精一杯、崩した。

 朝日が昇り、丘陵が輝きを増し、朱に染まる雲が果てしなく広がってゆく。天がドウと倒れ、光景が溶けた絵のように流れ飛んだ。池の土が目の前に迫った。

 天は一生懸命な者に、最後には粋な計らいをするものである。邦男の顔から硬さが取れていたのは言うまでもない。

 邦男のあっけない死にも、スミは駄菓子屋に座り続け、彼の四十九日に、あのちゃぶ台の前で眠るように命を閉じた。

 その後も、昭和を伝えてきた駄菓子屋は閉まったままである。

 

(了)