君子の謙虚【伝統文化】

宋の粛王と沈元(しぇんげん)が使節として北方へ行き、燕山で宿をとった後、言葉使いが非常に優美な3000字ほどの唐の石碑を見つけました。沈元は記憶力が非常にたけていたので、何度も朗誦を繰り返しますが、傍らを歩いている粛王は気にもとめない様子でした。

宿に戻った沈元は、自分の才能を顕示するため、ただちに筆を執り石碑の文章を紙に書き始めました。しかし覚えていない14箇所は埋めることができません。粛王はそれを見て、筆を執って空いていた箇所を埋めてから、5箇所ほど間違ったところを修正しました。修正し終えてから、粛王はその場にいた人と別のことについて語り始め、いささかも傲慢な気色を顔に現そうとしませんでした。これをみて、沈元は大変驚いて、粛王を敬服するようになるのです。

「自分は他人よりも勝っていると誇示してはならない。なぜなら、他人は自分より勝っているからである」ということわざは、全くその通りです。

君子について、明の理学者・陳幾亭氏は次のように語りました。

「君子には二つの恥がある。一つは自分の長所を顕示すること。二つ目は自分の短所や不得意なところを覆い隠すことである。長所があるなら謙虚でなければならず、できないところは学習するように努めるべきである。また、君子には二つの悪がある。すなわち、一つは他人の長所や能力を妬むこと」

「二つ目は他人の短所や不得意なところを言いふらすことである。他人が何かをやり遂げたときは、自分がやり遂げたように喜ぶべきであり、他人がやり遂げなかったときは、それを自分の戒めとしなければならないのである。何かをするときは、それを成し遂げようとする態度に着眼し、『私にはできるが、彼にはできない』という傲慢な態度を捨てなければならないのである」。

孔子もかつて「その善なる者を選びこれに従い、その善ならざるものにして、これをあらたむ」と戒めたように、他人の良い面を自分が習う手本とし、他人の良くない面を自分の戒めとして、さらに自分の良くない点を改めるべきなのです。