昨今、子供たちによる殺人事件が増えています。あどけない年頃の男の子や女の子が、「むかついたから」という理由で簡単に人を殺しています。また、学級崩壊やいじめの問題も深刻です。それらの背景には、家庭環境や教育現場の問題が指摘されることが多いですが、日本においては、昔からある「甘え」の文化が、極端に表面化していると考えられます。
一昔前に流行った「暴走族」は、人目を引く派手な衣装に身を包み、爆音を轟かせながら集団でバイクを走らせていました。人里離れた場所でやってくれれば、誰も文句を言いませんが、彼らはわざと街中や住宅街を走り抜け、警察を挑発したりします。
それはつまり、誰かに「見てほしい」からであり、注目してもらいたいという気持ちが強いからです。「注目されたい」という気持ちは、「母親に対する幼児の甘え」に由来するといえます。
土井健郎(どい たけお)氏は著書『「甘え」の構造」』の中で、幼児が母親に甘えるのが「甘え」の原型であり、母親が他者に注意を向けると幼児はそれに対して嫉妬すると分析しています。幼児は甘える相手に対して受身的、依存的であり、相手は自分の意のままにならないから、容易に傷つきやすく、干渉されやすいのです。
「甘え、甘やかす」文化は日本社会の潤滑油であり、日本人の精神構造を理解する鍵になると土井氏は述べています。土井氏によると、人間関係を表す多くの日本語が、「甘え」と関係しているといいます。子供はよくすねますが、「すねる」のは素直に甘えられないからであり、すねながらも相手を意識しながら甘えています。
また、「ふてくされる」「やけくそになる」というのは、すねた結果起きる現象で、「ひがむ」のは自分が不当な扱いを受けていると曲解することです。
「ひねくれる」のは、甘えることをしないで、却って相手に背を向けることですが、それはひそかに相手に対し「甘えたい」という気持ちがあります。したがって、甘えないように見えて、根本的にはやはり甘えているのです。
「うらむ」のは、甘えが拒絶されたことによって相手に敵意を向けることで、この敵意は、一般的な憎むとはまた違い、もっと纏綿としたところがあります。それだけ密接に甘えの心理と関係しているのです。
外との交渉を断ち、大人になることを拒む、引きこもりや、暴力に走る子供たちは、「甘え」を素直に表現することができず、極端に内向化したり、外に向かって人を傷つけたりします。
自分の思う通りに行かないのが人生です。人はそれを努力して乗り越えたり、寛容を学んだり、苦に甘んずるなどといったことを成長とともに学んでいくものです。しかし、物質的に豊かになり、精神的な「甘え」が許容される日本社会において、それはますます難しいのかも知れません。
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