共産党のために書いた記者が なぜ中国を逃れたのか

2026/08/31
更新: 2026/08/31

1989年6月4日、血に染まった天安門の朝を目撃した大学1年生は、やがて中国共産党(中共)官製メディアの記者となり、体制の深部で軍の腐敗と臓器収奪の実態を知る。体制の「捨て駒」になることを拒み、キリスト教の伝道師として生きる道を選んだ汪勁(おう・けい)氏。過酷な弾圧と終わりのない監視を逃れ、カナダへ亡命した元記者が、人生を賭して告発する「中共の闇と失われた良心」の記録。

天安門事件

1989年6月4日の朝、北京・新街口。大学1年生だった汪勁氏は、とうとう家を出た。

数日前から、母親は汪勁氏と弟に「外に出てはいけない。大変なことが起きる」と言い聞かせていた。それでもその朝、汪勁氏は家族に気づかれないよう家を抜け出した。

新街口から南へ歩き、天安門広場を目指した。広場には大勢の学生が集まり、中国の現状を変えようと抗議を続けていた。

西四路の交差点まで来ると、血の付いた学生たちがいた。手には弾薬の箱を持ち、周囲の人々に、現場からどう逃げてきたのかを語っていた。近くの病院では、担架が次々と運び出されていた。担架には、すでに息絶えた人が横たわっていた。その先は軍が押さえており、それ以上進むことはできなかった。汪勁氏は引き返し、家に戻った。

その夜、テレビを見た。画面では、同じ内容のニュースが繰り返し流れていた。それは、後に「六四天安門事件」と呼ばれる出来事だった。

汪氏は記者に、37年前の朝を振り返った。

「その時、初めて、人を徹底的に食い物にするとはこういうことかと思った」と語った。

記者として見た体制の実態

六四天安門事件の後、汪勁氏は大学を卒業し、数年間ロシアで過ごした。中国に戻った後にキリスト教徒となり、その後、中共官製メディアで記者として働くようになった。

当時勤めていたのは、中国民間航空系の雑誌社だった。記者として入社し、後に編集長を務めた。その雑誌は一般には市販されていなかったが、毎月、省・閣僚級の幹部に届けられていた。

民航系の雑誌社で働く中で、汪勁氏は多くの衝撃的な実態を知った。

汪勁氏によると、中国民用航空総局は表向きは局級の行政機関だったが、実際には空軍の指揮下にあり、民間航空システム全体が軍の管理下に置かれていた。予算上は民生部門に計上されていた一方、行政や人事の権限は軍が握っていたという。

「軍国主義とは何か。外から見ているだけでは分からない。中で働いた人間だからこそ分かる」

その後、別の雑誌社に移ると、さらに多くの内部事情を知るようになった。

会食の席や何気ない会話の中で、退役軍人たちは耳を疑うような話を平然と語ったという。官職を金で売買することや機密情報の売却も、軍内部では珍しくなかったと汪勁氏は振り返る。

ある退役軍人は、軍を離れて地方の勤務先に移った後、収入が少なくとも3分の2減ったものの、「安心して暮らせるようになった」と語った。

汪勁氏は「彼には良心があり、不正な金を受け取りたくなかったのだ」と話す。

現在では広く知られるようになった臓器収奪についても、汪勁氏は中共の軍内部では以前から存在していたと証言する。

「農村出身の若者でも、血液型や臓器が適合すれば、事故として報告すれば済む。あまりにも簡単だった」

さらに汪勁氏は「軍の闇と腐敗は、外部の人間には到底想像できない。中共の体制では、腐敗は個人の道徳が堕落しているというだけの問題ではなく、システムそのものの一部になっている。清廉な人間は、その体制の中ではやっていけない」と語った。

公務用パスポートを返却

汪勁氏は約10年間、官製メディアで記者を務めた。しかし、体制の内情を知るにつれ、これ以上その中に身を置きたくないと考えるようになった。

「朱に交われば赤くなる」という言葉があるように、自分もいつか、その体制に染まってしまうのではないかと恐れた。

汪勁氏はもともと個人用のパスポートを持っていた。ところが後に、ある人物が訪ねてきて、2冊目のパスポートを渡した。

名前は本人と同じだったが、住所は黒竜江省のある小さな町になっていた。公務用のパスポートだった。

汪勁氏は、それが何を意味するのか分かっていたという。

偽の身元情報が記されたパスポートを使って海外に行く以上、中共が望む、公にはできない仕事をさせられるのだと考えた。

「なぜ私が、この体制の捨て駒にならなければならないのか。私は血を見た。銃弾も見た」

「天安門事件の時見た、血にまみれた光景を忘れることはない」

その後、汪勁氏はその公務用パスポートを返却した。

それが当局の求めを拒む行為であり、体制に背を向けることになるのを、本人も分かっていた。

シオン教会への弾圧

メディア業界を離れた後、汪勁氏は伝道活動に専念した。

中国社会を根本から変えるには、政治だけでは不十分で、世界観や根本的な価値観から変える必要があると考えたためだ。

2016年、北京のシオン教会で専任の伝道師となり、日曜礼拝での説教や聖書研究、信徒の育成、訪問活動などを担当した。

シオン教会は2007年に設立された、北京でも比較的規模の大きい家庭教会である。政府が管理する三自愛国教会(中国共産党の主導によって設立された中華人民共和国の合同教会)には属さず、政府の統制を受けずに活動していたため、長年にわたり当局の重点監視対象となっていた。

2018年に入ると、当局による圧力は急速に強まった。中共当局は教会内部に顔認識カメラを設置するよう求めたが、教会側は拒否した。2018年4月から2019年1月にかけて、シオン教会の9つの分会と1つの本部教会が相次いで強制閉鎖され、教会は事実上、活動できない状態に追い込まれた。

この間、汪勁氏は公安当局から7回呼び出され、「お茶の誘い」と呼ばれる事情聴取を受けた。

そのたびに脅しや警告を受け、集会をやめることや、信徒に三自教会を受け入れるよう働きかけることを求められた。しかし、汪勁氏は毎回拒否した。

2018年9月、汪勁氏が借りた会場で説教をしていたところ、30人以上の当局関係者が突然会場に入ってきた。

北京市公安局や宗教行政部門など、複数の機関の職員だった。

汪勁氏は近くの京天賓館に連行され、事情聴取を受けた。携帯電話とパソコンも強制的に取り上げられ、本人の同意なく端末のセキュリティーを解除されたという。連絡先やチャット履歴など、保存されていたデータもコピーされた。

さらにその場で、自分が監視対象者のリストに入っており、今後すべての通信が監視されると警告されたという。

汪勁氏が抗議すると、「次は、事情聴取だけでは済まない」と告げられた。

つきまとう恐怖

「中国では、常に恐怖がつきまとっている」

教会の若者の中には、廊下から3、4人分の足音が聞こえただけで、反射的に身構えてしまう人もいた。「恐怖が染みついていて、体が反応してしまう。本当に怖いからだ」

当局は本人だけでなく、家族にも圧力をかけた。

「警察が学校に出向いて校長に圧力をかけ、子供を孤立させる。親が教会に通い続ければ、子供まで学校でそうした扱いを受ける。あまりにも卑劣だ」

2019年1月、汪勁氏は中国を離れ、フィリピンの神学校に進んだ。しかし、それで生活が平穏になったわけではなかった。

父親が北京に残っていたため、汪氏は時折、中国に戻って会っていた。だが帰国するたび、北京の公安当局から電話があり、公安局に出頭するよう求められた。

やがて汪氏は、一定のパターンに気づいた。

同じ都市に3日以上滞在しなければ、公安当局に所在を把握されにくい。北京に3日、上海に3日、広州に3日と都市を移動した。北京の公安から電話がかかってくる頃には、すでに最後の都市に移り、出国の準備をしていた。

官僚組織では情報伝達に時間がかかるため、毎回、公安に呼び出される前に移動できたという。

それでも電話がかかってくるたびに、自分の名前が今も監視対象者のリストに残っていることを思い知らされた。監視されているという恐怖は、どこへ行っても消えなかった。

カナダへの亡命と今も続く監視

2023年、汪氏の息子が留学のためカナダへ渡った。2024年には奥さんもカナダのウェスタン大学から入学許可を受けたため、汪氏夫婦はカナダへ渡り、カルガリーに定住した。

汪氏は「初めてここに来て、本当の自由を感じた」と振り返る。

カナダで暮らし始めた頃、エレベーターに乗るたび、無意識に天井を見上げて監視カメラを探していた。中国で身についたその習慣を直すには、長い時間がかかった。

2025年10月、シオン教会のメンバー30人以上が拘束され、国際社会の注目を集めた。拘束された中には牧師や伝道師、会計担当者らも含まれ、教会の重要メンバーの多くが一斉に拘束された。現在も8人が拘束されている。

その後、釈放された教会メンバーの一人が汪氏に、取り調べの際、警察が汪氏の名前を口にしていたと明かした。これは海外に出ても、当局の監視が続いていることを示している。

2025年12月、奥さんが親族を訪ねるため中国に戻った。自宅に到着してから数時間後、突然、複数の警察官が訪れ、妻を公安局へ連行した。そこで、汪氏の海外での活動について詳しく話すよう求められた。

奥さんは1日拘束された後に釈放された。中国にはもうとどまれないと判断し、翌日には急きょフィリピンへ向かった。

しかし数日後、中国の警察から電話がかかってきた。汪氏に「中国へ戻って事情聴取を受けるよう伝えろ」と求められた。

「妻は病気の家族を世話するために戻っただけだ。それなのに、家に着いて数時間で連れて行かれた。これが、あの政権の普通の信徒家庭に対するやり方だ」

良心を守ることが大切

カナダで2年間暮らし、汪氏は、ここでは人々が普通に暮らしていると感じるようになった。

人々は互いに親切で、見知らぬ人同士でも挨拶を交わす。中国では、見知らぬ人同士が挨拶することはほとんどないと話す。

「中共は、社会から最も基本的な礼儀さえ失わせた。共産主義的な考え方が、人と人との信頼関係を壊し、良心まで壊してしまった」

汪氏は、これは中国だけの問題ではなく、人類全体が向き合う問題だと考えている。

圧政に抵抗したことで弾圧を受ける人々は、人として守るべき最低限の一線を支えている。その一線を守る人がいるからこそ、他の人々にも自由に生きる空間が残るのだという。

中共の体制内で働く人々には、こう伝えたいと話す。

どんな理由があっても、自分の良心を捨ててはいけない。自分の身を危険にさらさない範囲で、少しでも正しい方へ踏み出せばいい。それができなくても、少なくとも良心に反する側へ進んではいけない。

「人々に真実を知らせることが、何より重要だと思っている」

汪氏は、中国の記者には真実を伝える自由がない一方、国民には真実を知る権利があると語った。

中共官製メディアの記者だった汪氏は、現在、反中共の立場から活動している。

最後に、このように語った。

「人は良心を持っていなければならない。毎日うそをつき続け、自分ではそのうそを信じてもいない。そんなことを続けていれば、人格そのものがゆがんでしまう」。

伊鈴