衆院選で各党が公約として掲げていた「最低賃金1500円」をめぐっては、現在賛成・反対意見が交錯している状況となっている。具体的な実現策については不透明な部分が多く、達成可能かどうかについて疑問視する声が出ている。
石破茂首相は、最低賃金を全国平均で1500円に引き上げる目標の達成時期を、従来の「2030年代半ば」から「2020年代」へと前倒しする方針を示している。
2029年度に達成させる場合でも、現在の全国平均最低賃金である1055円から1500円に引き上げるには、毎年7%を超えるペースでの引き上げが必要となる計算だ。
つまり、日本の最低賃金の年平均引き上げ率は過去10年間で約3%で、2倍以上にする必要があるということだ。
多くの専門家はこの目標達成は極めて困難であると指摘している。
基礎知識:最低賃金とは
最低賃金は、労働者が「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要な額とされ、不当に低い賃金を防ぐために「最低賃金法」に基づき国が賃金の最低限度を定めており、使用者は労働者に対して最低賃金額以上の賃金を支払う義務がある。
もし最低賃金額より低い賃金で契約した場合、その契約は無効とされ、最低賃金額と同様の定めをしたものとみなされる。
また、最低賃金は都道府県ごとに異なる「地域別最低賃金」と、特定の産業ごとに設定される「特定最低賃金」の2種類があり、中央および地方の最低賃金審議会による審議を経て毎年改定される。
最低賃金1500円にしたら経済はどうなる?
全国一律1500円の最低賃金は、特に若者や低所得者層の生活水準を改善することが期待できる。
最低賃金を時給1500円に引き上げると、フルタイム労働者(1日8時間、月20日勤務)の月収は約24万円、年収は約288万円となる一方、2024年度の高卒初任給の平均は約19万1455円で、年収に換算すると約229万7460円となる。
最低賃金1500円は現在の高卒初任給を上回るレベルとなり、減税よりも大きな経済効果をもたらす可能性がある。
日本には正社員でも生活が苦しく最低賃金近傍で働いている「ワーキングプア」が多く存在するが、最低賃金の上昇はワーキングプアの解消に寄与する。その上、賃金の上昇は労働者の消費購買力を高め、内需の拡大につながる。
また現在、日本では都道府県ごとに最低賃金に大きな差があり、例えば東京都の1163円と秋田県の951円では212円もの差がある。全国一律化により、こうした地域間の格差是正が期待される。
現実から見る実現可能性
日本の最低賃金1055円(全国加重平均)は、国際的に見ると主要7か国(G7)の中で最も低い水準にある。米国は2400円、オーストラリアは2395円、英国は2214円となっており、日本の最低賃金は非常に低いことが分かる。
赤字企業への支援が不足している現状では、単なる賃上げでは経済全体に悪影響を及ぼす可能性がある。
現在の全国平均最低賃金である1055円から1500円に引き上げるには、毎年7%を超えるペースでの引き上げが必要となり、中小企業の人件費負担は、年間約1.1兆円増加すると試算される。
日本の中小企業は、全雇用者の約70%を占める重要な存在だが、多くの中小企業が人手不足に直面(特に製造業やサービス業で深刻)しており、大手企業と比較して賃金水準が低い傾向があり、人材確保が難しくなっている。
こうした現状に加え、人件費を増加させないといけないとなると、特に資金力の弱い中小企業は経営が困難になるうえ、研究結果などにより、最低賃金の引き上げが雇用の伸びに有意な減少をもたらしたことが確認されている。
ただ、最低賃金の引き上げが必ずしも雇用減少を招くわけではないという経済学の通説を覆した研究結果もある。米カリフォルニア大バークレー校のデービッド・カード氏は、従来の経済学の通説に挑戦し、最低賃金と雇用の関係に新たな視点をもたらしたことで、2021年のノーベル経済学賞受賞につながった。
人件費増加の問題のほか、中小企業は売上高が限られているため、賃上げ分を価格転嫁することが難しく、結果として倒産する企業が増える懸念がある。人手不足による倒産リスクは実際に存在しており、2024年上半期には人手不足を原因とする倒産が182件発生し、前年同期比65.5%増加している。
このことからも、一口に最低賃金の上昇といっても、痛手を受けるケースも少なく、結果として日本経済にとって不利益になる恐れもある。
具体的に、最低賃金の引き上げに伴うリスクが大きい業界は、飲食業界と小売業である。
飲食業界は元来利益率に限りがあり、最低賃金引き上げによる人件費の増加が直接的な打撃となる。多くの飲食店では、従業員数を減らすか、メニュー価格を引き上げざるを得なくなる可能性がある。
そのうえ、価格転嫁が成功しない場合、顧客が離れ、売上が減少する恐れもあり、特に競争が激しいエリアでは、この影響が顕著になる。
小売業も労働集約型であり、多くの従業員を必要とする。最低賃金の引き上げによって人件費が増加すると、利益を圧迫し、結果的に店舗数の削減や従業員削減につながる可能性がある。また、大手チェーンと競争する中小規模の小売店は、価格競争にさらされており、人件費の増加を吸収できない場合には経営が困難となる。
経済団体はどう見ている?
経団連の十倉会長は、最低賃金の引き上げについて「中小企業は地方に多く、欠かせない業務に従事しているため、急なショックを与えると経営が成り立たなくなる」と述べ、経営に配慮しながら進める必要があると強調した。
また、2030年代半ばまでに1500円を達成することは目指すべきだが、毎年7%の引き上げを続けることは現実的ではないとの見方を示した。
経済同友会の新浪代表幹事は、「最低賃金が将来的に上がっていく中で、企業は予見性を持って経営すべきであり、できない企業は退出すべきだ」と述べた上で、賃金を支払える企業への人材移動が生活水準の向上につながると主張している。
茨城県の中小企業「根本製菓」の社長は、原材料費やエネルギー代の高騰が経営を圧迫している中で、最低賃金の引き上げがさらなる負担になると懸念している。特に、コメ不足による価格高騰も影響を及ぼしており、賃上げを実現することが難しい状況だ。
最低賃金の引き上げは、中小企業にとって厳しい経営環境をもたらし、弱い企業は淘汰される結果になる可能性がある。
このような状況では、大企業が相対的に有利な立場を得ることになりかねない。そのため、政府や関連機関による中小企業への支援策や対応策が重要となる。
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