宋代に実在した名裁判官「包公」に向かい、被害や冤罪を訴えるブームが巻き起こる=中国

2024/03/20
更新: 2024/03/20

中国の北宋時代(960~1127)のこと。清廉潔白で公正無私、いかなる賄賂も受け取らず、すぐれた人格を有した裁判官に包拯(ほうじょう)という人物がいた。

この包拯を、中国人は今でも尊敬と親しみを込めて包公(バオコン)と呼んでいる。日本で言えば、時代劇の「大岡越前」や「遠山の金さん」にちかい、完成されたヒーロー像のような感覚であろう。

さて、その有名な包公(バオコン)が、社会秩序が崩壊し、ますます混迷する今の中国において、極めて「特別な意味」をもつ存在になっている。

つまり、ただの歴史上の人物ということではなく、世の中の不条理を正す「正義の味方」として、中国の民衆にとって最後の拠り所になっているのだ。

中国の司法は「中共の提灯もち」

今の中国は、司法・立法・行政の三権はもちろん、国務院という政府も、学校教育も経済活動も、法律や憲法でさえも「全てが中国共産党の下におかれている」という、極めて畸形的な国家になっている。

例えば中国の司法は、正義の実践者では全くないため、被害を受けた庶民が原告となって必死の訴えをしても、裁判所は必ず中共におもねり、国家権力に忖度した判決が下されるだけなのだ。原告が裁判官に賄賂を贈れば、多少の手加減はしてくれるが、それは司法のありかたとして論外のことである。

まれに中国の司法が、腐敗官僚の処罰に「見せ場」をつくることがある。それは言うまでもなく、あたかも中国の法治が正常に機能しているように宣伝する中共の意図であって、もとより社会正義の実践ではない。

つまり中国の司法官は、たとえ法衣をまとっていても、所詮、中共の走狗であり「提灯もち」に過ぎないことになる。そんな彼らが、被害を受けた庶民の権利を擁護することはない。

近年、庶民の間で特に多いのは、包公を祀った廟である包公祠(河南省開封市)や包公の墓(安徽省合肥市)に跪いて拝み、ひたすら「自身が受けた冤罪や不公正な扱いによる被害」を泣きながら訴える姿である。それがいまや中国人の間で、一種のブームとなって巻き起こっているのだ。

ブームの火付け役となったのは、最近SNSを通じて拡散されたある動画である。

動画は今月10日、かつて北宋の都であった河南省開封市にある包公祠(ほうこうし)の広間(当時は法廷として使われた場所)で、包公が座る裁判官席に向かい、跪いて号泣する女性の姿を捉えたものだ。

2024年3月10日、河南省開封市にある「包公祠」の広間で、包公の座る裁判官席に向かって跪いて号泣する女性。(SNSより)

司法官が原告に「謝礼金」を要求

この動画は瞬く間にSNSを通じて広がり、話題となった。

15日になると「私が、今話題になっている動画のなかの者です」と名乗る女性が登場し、中国SNSウェイボー(微博)を通じて、自身が受けた不公正について投稿している。

それによると(本当に動画の人物であるかは確認できないが)女性は、自身が被害を受けたある訴訟案件を抱えて、遼寧省鉄嶺市昌図県の裁判所に提訴したところ、裁判には勝訴することができた。

しかし、その後の執行過程において、裁判所はすでに差し押さえ凍結していた(被告人の)資産について故意に解除したばかりか、その資産を私的に処理したという。

この裁判所の王という名の執行部長は「よく調査する」を口実にして、この案件の処理をわざと遅らせてきた。同じく裁判所の執行官である李は、原告の女性に対して「私に謝礼金を払え」と繰り返し電話をかけてくるのだという。

しかし、この裁判に全てを注いできた女性は、家庭の経済事情が非常に苦しく、もうこれ以上(謝礼金という賄賂の)お金は出せない。そのため、裁判には勝訴したものの、判決に則した執行は行われていないという。

女性は、ここで号泣した理由について「地元の裁判所に陥られ、ひどい目に遭わされて、私の家庭は崩壊した。そこで親戚に連れられ、旅行でここ(包公祠)へ来た。公正無私で、悪人を情け容赦なく裁き、民衆を助ける名判官の包公がいた場所を見たら、ついに堪えきれず、大泣きしてしまった」と説明した。

この女性による「事情説明」の投稿は、かつて有名な調査ジャーナリストであった何光偉氏も転載しており、すぐに世論の注目を集めた。何光偉氏は「今の世の中に唯一足りないもの。それは人間の良心だ」と嘆いている。

「裁判所に陥れられた」と主張するこの女性が、本当に拡散されている動画の中の女性であるかどうか、また彼女が主張する内容が事実であるか否かを確認することはできない。

しかし、NTD新唐人テレビの記者が16日に検索したところ、この女性のSNSアカウントにあった「事情説明」の投稿は削除されていた。

そうだとすると、女性の主張が事実であるからこそ当局の検閲に遭い、削除された、という可能性は否定できない。

絶望の末世にすがる「歴史上の清官」

同様の悲劇的な話は、今や中国にあふれている。そのため、よく似たようなケースが、同時に複数あっても不思議ではない。

実は、先述の女性のケースに先立ち「包公祠」で跪いて号泣する女性について「もう1つの説」が、ネットに出回っていた。それによると、その女性は最近(刑務所から)出所したばかりだという。

この女性(32歳)は17歳の時に「毒を入れた」として、重い刑を宣告され、13年間も投獄されていた。しかし13年経って、ようやく無実であったことが証明されて釈放されたが、罪のない彼女を投獄した者の過失責任は追及されていないという。

彼女はこの冤罪のために、人生で最も美しい年月を台無しにされてしまった。そのため、そうやって「包公」の前に跪き、泣きながら自身が受けた不公正を訴えるに至ったという。

いずれにしても、動画の女性の号泣ぶりからして、この女性が晴らしようもないほど巨大な被害と不公正な扱いを受けたことは間違いないようだ。

中共統治下の中国で、官僚の多くは、私利私欲のために権力を乱用する、清廉潔白とは程遠い存在となっている。

実際、中国には数えきれないほど多くの冤罪や不公正が存在するのだが、それを陳情しようとすれば当局に弾圧される。

訴える場もなく、ただ絶望する民衆は、千年以上も前の中国に実在した清廉潔白の裁判官(包公)に泣きつくしかない。そんな中国の現状について、ネット上では嘆きの声が広がっている。

「中国に司法はない。冤罪は、あちこちに転がってる」

「この世に正義があるのなら、誰が好き好んで包公の前に跪き、天に向かって叫ぶのか」

それ以来、拡散されている動画のなかの女性のように、多くの市民が「包公」ゆかりの廟や墓の前に行き、現代中国で失われた「本当の正義」を求めて泣きつくようになった。なかには、冤罪の「冤」の文字パネルを持参してくる市民もいる。

包公の前で泣いて拝み、無実を訴える市民があまりに増えてしまったことは、すでに「社会現象」となっている。そのため開封市の「包公祠」は、ネット上では「中国の嘆きの壁」とも呼ばれるようになった。

(「包公祠」に跪いて、号泣する市民たち)

廟を閉鎖し、包公の像を撤去

これ以上多くの冤罪が、明るみに出るのを防ぐためなのか。あるいは、より多くの民衆がこれを怒りの「はけ口」にした結果、民衆の怨みが爆発して収拾がつかなくなり、中共政府にその矛先が向けられることを恐れたからか。

当局は、さっそく事態の収拾に乗り出した。ついに現地当局は「老朽化」と「メンテナンス」を口実に包公祠を閉鎖。包公の銅像まで撤去したようだ。

包公に冤罪を訴える市民が相次いで現れた時から「いずれ封鎖されるだろう」と推測する声が多く上がっていたが、案の定、その通りのことが現実に起きたのである。

16日、閉鎖を知らずに包公祠を訪れ、無駄足を踏んだ市民によると「廟は事前予告もなしに突然閉鎖され、再開のめどに関する通知もない」という。

廟が閉鎖されたことを受け「やはり閉鎖されたか」「またも民衆の問題を解決する代わりに、包公祠という問題を解決したのだ」というネットユーザーの声が続いた。

こうしたネットユーザーの指摘は、中共の常套手段である「問題を解決せず、問題を提起する民衆を解決(消してしまう)する方法」を意味する。

なぜ中共は、包公の人気を恐れるのか?

また、当局側の心中を推測して「 中共当局は悪事をしている自覚があるからこそ、内心びくびくしている。その証拠が、これだ」「現地当局の抱く恐怖は、相当なものとみていいだろう」などの声も多く寄せられている。

確かに、千年前の偉大な裁判官の存在を恐れて、廟を閉鎖してしまう現代の中国共産党というのは、それ自体が一種の滑稽な風景であるが、まさしく伝統文化を恐れて真実を隠蔽する悪魔の醜態に違いない。

悪魔が世界を統治している』第十章「法律を利用する邪悪」に、次のような一節がある。中共支配下の裁判所が、いかに欺瞞的で、形骸化したものであるかを述べている。

「共産国家で働く弁護士はジレンマに陥る。法律に基づいて正義を訴えれば、彼は判事と検事から追放されるだろう。裁判所は共産党によって管理されており、党に従うべきだと露骨に言う判事もいる。彼らが言っているのは共産党政権下における法の精神である。」

それはかつて、中共の首魁であった江沢民が、それまで何の制限もなく、絶大な人気を集めていた法輪功に対して、1999年7月より、突如として大弾圧に転じたことと酷似している。

中共は、その本質が邪悪であるため、清く美しいものへ民衆の心が傾斜する時、醜悪な嫉妬心と凄まじい攻撃性を爆発させるのだ。中共は、それほど包公が怖いのである。

2024年3月16日。閉鎖された包公祠を訪れて無駄足を踏んだ市民による投稿。「事前予告もない突然の閉鎖だ、理由はメンテナンス。再開のめどに関する通知もない。おそらく廟で号泣する女性の影響を受けたのだろう」と書いている。(中国のネットより)
河南省開封市にある「包公祠(ほうこうし)」。正面の高い位置に「正大光明」の文字が見える。(中国のネットより)
李凌
エポックタイムズ記者。主に中国関連報道を担当。大学では経済学を専攻。カウンセラー育成学校で心理カウンセリングも学んだ。中国の真実の姿を伝えます!
鳥飼聡
二松学舎大院博士課程修了(文学修士)。高校教師などを経て、エポックタイムズ入社。中国の文化、歴史、社会関係の記事を中心に執筆・編集しています。