くすぶる台湾リスク 日本の離島住民はどうすれば 住民の声を聞く

2023/08/28
更新: 2024/02/28

かつてなく厳しい安全保障環境に囲まれた令和の日本。中国共産党が引き起こす台湾海峡の有事のリスクがくすぶり続けている。近代より日本防衛の要となる南西諸島では、着実に“備え”が整えられていく。現地の住民はどのような思いなのか。静かな島々の住民の声を、聞いた。

奄美大島南部の大島海峡を望む山の奥に、旧日本海軍の砲台がある。「1944年8月に佐世保で編成した海軍高角砲隊…敵機を18機撃ち落とす戦果を挙げた」ーー。生い茂った草むらに建てられた看板に説明がある。

海上交通の中継地点として、南西諸島は歴史的に防衛の要衝とみなされてきた。すでに明治時代に軍が島の近代化を進めていた。当時朝鮮の主導権をめぐる清国との対立、琉球と台湾の領有権問題が深化するなど、周辺の国際環境は緊張の度合いが増していたためだ。島々にはいまなお司令部、観測所、弾薬庫など戦争遺跡が数多く山林に残されている。

第二次世界大戦後、南西諸島の防衛は沖縄、九州を担当する陸上自衛隊・西部方面区に委ねられた。「南西防衛の空白」を埋めるため、2016年から、与那国、宮古、石垣、奄美などで部隊配備が着々と進む。ミサイル部隊や沿岸監視隊の配備、警戒管制レーダーが配備された。

「ここ数年の工事の拡張は著しい。初めて関わったコロナ前の頃とは比べものにならないほど、大きな計画になった」。そう語るのは、奄美大島の基地工事の現場監督を務める徳田さん(仮名、50代)だ。かつて熊本防衛支局に務め、この数年の防衛設備の拡大を目の当たりにしてきた。

令和になり、日本を取り巻く環境はかつてなく厳しくなった。令和5年度の防衛白書に、国際社会の状況は「戦後最大の試練」を迎えているとたとえられ、中国は「これまでにない最大の戦略的な挑戦」、ロシアは「核の威嚇を繰り返している」と、隣国に対して緊張感に満ちた言葉で表現された。

「こういう仕事をわかっている人なら、台湾有事っていうのがあるというのは、ほんと強く実感できることなんじゃないか」

そう語る徳田さんによると、道路を強化する舗装も島内の至る所で行っているという。「通常の道路では、戦闘車両など特殊車両が通ろうものならボロボロになるからね。道を強くすることもしているんだ。山のある面を迷彩に加工する作業もやっている」。有事への備えは平時から、の具体例だろう。

空母訓練の島 馬毛島

日本の宇宙開発の一翼を担う種子島(鹿児島県西之表)の西方12キロにある馬毛島では、米海軍空母艦載機の離発着訓練のための自衛隊基地整備計画も進む。同基地には2200人が常駐するという。本業である漁のほかに、漁船を使って西之表市から馬毛島への輸送も担う。早朝から人やモノを運ぶ「海上タクシー」の数はいまや60隻を超える。

共同通信によれば、基地反対派は昨年、訓練基地を受け入れた八板俊輔・西之表市長に対してリコールを試みたが、住民投票への署名数には届かなかった。「西之表市内では全くリコールへの盛り上がりや、熱気を感じることはない。リコール成立は難しい」と反対派市民団体はSNSで公表。地元から強い反発はほとんどない模様だ。

「地元住民で反対する人は聞かない。比較的土建屋が多いし、自治体もお金が入る。民間の仕事なんかとは比べ物にならない点定した計画だ。反対する人は、ヨソからやってきた人たちだろう」と、関係者は語る。再編交付金については、防衛省が再編交付金を地元・種子島の1市2町にあわせて10億6200万円支給している。

避難シェルターを要望 与那国島

与那国島で帰宅途中の小学生。2022年4月撮影(Photo by Carl Court/Getty Images)

台湾から110キロほどの位置にある、日本最西端・与那国島(沖縄県)では、避難シェルターの設置に向け自民党の議員連盟などが財政支援を促している。もし有事になれば「町民の生命と安全が脅かされる」と地元の与那国町がシェルター設置を要望しているからだ。

避難シェルターのあり方を検討する議連で共同代表を務める塩谷元文部科学相らは、台湾を望む西崎灯台を訪れ、「シェルター整備の必要性は、与那国島だけでなく南西諸島全体にある。国の責任で方向性を早急に見いださなければならない」と記者団に述べたという。

与那国島には今年初めて、機動式戦闘車(MCV)が派遣された。与那国町の糸数健一町長は大紀元の取材に対して、「私は町民の命を預かっている立場だ」「備えるべきは備え、抑止力を高めなければならない」と強調し、訓練を通じた防衛力強化に理解を示した。

「万が一の場合は、日本も米国も、台湾と一緒に戦うのだと旗幟鮮明にしないと、誤った選択を相手にさせてしまう。そうさせないためにも毅然とした態度が一番大切だと思う」

台湾に最も近い町の町長はこのように述べて、台湾侵攻を排除しない中国を念頭に、抑止のための覚悟を日本が明確に示すことへの重要性を説いた。

もしもの時「とまどうかも」

インフラが整うのを目にする住民たち。では、民間では、どのように危機に対処すればいいのだろうか。

国は04年に制定した「国民保護法」によって、武力攻撃から国民を保護するための、国・地方公共団体等が行う避難や災害時の対処が規定されている。同法に基づき、自治体には国民保護計画を作っている。

内閣官房は国民保護ポータルサイトを設置し、訓練情報やミサイル落下の行動指南、避難施設検索などができるようになっている。

武力攻撃やテロ発生時、国や自治体が対処するにしても危機の予測は非常に難しい。ポータルサイトによれば、こうした事態が「万が一起こったらどうするかといっても現実の問題として考えることは難しいかもしれない。しかし必要な備えは、平和なときにこそ十分に考えておくべきではないか」と呼びかけている。

同法が成立してから、各自治体では防災士など危機管理の対応支援を担う役職を設けている。

「自分の経験が町民のために役に立つなら」と、鹿児島県の自治体で防災監として働く退職自衛官の川人氏(仮名、50代)は語る。熊本地震や東日本大震災で海自パイロットとして災害対応に当たった経験を持つ川人氏は、今年防災アドバイザーに就いた。水や食糧の日頃の備え、防災カバン、ハザードマップの確認など緊急時の備えの必要性を自治体や市民講座などで説いている。

海自パイロットだった川人氏は、沖縄周辺海域の緊張を現役時代から目の当たりにしてきた。台湾有事が起きれば「少なからぬ影響が日本に及ぶ。しかし、だからといって急に危機迫るといった話を住民にしても、戸惑ってしまうだろう。本来ならば、災害や有事でも『自分のことは自分で守る』との心構えは求められるものだ。段階的にこうした力は身につけていく必要があるだろう」と語った。

南西諸島の一部地域によっては、「戦争反対」や「平和主義」を掲げ、防衛予算の増額や自衛隊訓練に反対する市民の声もある。備えに対して「反対」を唱える市民がいることについて、川人氏はこう語った。

「いろいろな考えがいることは理解できる。しかし、現実的ではない部分もある。例えば、あなたの隣人が暴力を振るう人がいる。うちには小さな子供がいる。話し合いで解決すればいいが全く通じない。ルールも守ってくれない。となれば、こちらも相応の用意をしなければならないというのは当然だ。備えもなくて、家族をどうやって守れるだろうか」

かつての要塞

1945年春、奄美大島南部で米軍の空襲を受け沈没した輸送船の事故についてつづる石碑(佐渡道世/大紀元)

熊本防衛支局の公示によれば、瀬戸内町(奄美大島)には輸送・補給を担う港湾が新たに設備される。一説には、スタンドオフミサイルの配備可能な設備を整えるとも言われている。

瀬戸内町と加計呂麻島に挟まれた大島海峡には、明治期から第二次世界大戦まで、海軍司令部や砲台、弾薬庫などを備える要塞があった。海峡は外洋の荒波を打ち消す“天然の港湾”であり、リアス式海岸の入り組んだ地形が砲台を隠したため、味方の船や航路を守ることができた。

いっぽう要塞は敵に狙われる標的になり、大きな被害を被った。今も残る戦争遺跡は静かに物語る。加計呂麻島の瀬相港には、佐世保(長崎県)防備隊に所属する補給の中継地点が置かれていた。終戦間近の1945年4月、佐世保から瀬相港に到着した輸送船2隻が、来襲した米軍機による機銃と魚雷攻撃を受け102人が死亡した。現場の慰霊碑には、北海道から九州まで、全国から集められた戦没兵士の名前と出身地が刻まれている。

当時の瀬相港に実兄が海軍兵として務めていたという95歳の島民の古老に話を聞いた。この島民も、兄にならって海軍を志願したが、生まれつき心臓病を患っており入隊は叶わなかった。兄はソロモン諸島方面でも砲兵として活躍したという。「低空飛行で海峡から飛んでくる米軍機を見た。彼らは、何もない村落を機銃で攻撃してきたのだ」「敵機が墜落していったのも見た」。同港に近い山の砲台からの対空砲火で、複数の米軍機を撃墜したとの記録が残っている。

志願の理由は、軍人へのあこがれだった。「(パイロットを養成する)予科練生のなんと凛々しく、勇ましいことか。言葉では表せないものだ」。学校の上級生らはこぞって志願したという。しかし、「学生たちは実際の戦況など何も知らなかった。亡くなる時は皆『万歳』と言いながら…なんて言われているじゃないか。僕が聞いたのはそういう話ではない。お母さん、お母さん、って逝ったんだよ」

当時は男女を問わず、世間一般に「心構え」が強かったという。「ご婦人だってね、竹槍の訓練していたのを僕は見ていたんだよ。あんた、今そんなこと出来るかい」

95歳の島の古老は遙かな海に目をやり、インタビューの最後にこう語った。

「今ある戦争と昔の戦争は違うだろう。自衛隊と当時の日本軍も在り方は違う。僕は当時のことは知っているが、今のことは、今を生きる君たちが答えを出してほしい」 

糸満市の平和記念公園を訪れた高校生たち。2020年11月撮影 (Photo by Yuichi Yamazaki/Getty Images)
日本の安全保障、外交、中国の浸透工作について執筆しています。共著書に『中国臓器移植の真実』(集広舎)。