私の故郷だった「東洋の真珠」香港 いまや警察国家に

2022/08/07
更新: 2022/08/07

25年前の7月、香港は中国に返還された。最後の総督クリス・パッテン氏はロイヤル・ヨット・ブリタニア号に乗って香港を離れた。

その2か月後、英ロンドン大学修士課程を終えたばかりの私は、ジャーナリスト兼活動家としてのキャリアを歩み始めるため、香港行きの飛行機に搭乗した。

幸いにも、私は返還直後の香港に5年間住むことができた。当時中国の最高権力者・鄧小平氏が定めた「一国二制度」のもとで香港が新しい歴史を歩み始めるのを目撃した。そして、東西を結ぶ玄関口であり、世界最大の共産主義独裁国家と民主主義諸国を結ぶ架け橋でもある国際都市で職業人生を始めることができた。

この5年間は概して、中国共産党は約束を守っているかのようにさえ感じられた。香港の自由度は高く、法の支配が維持されていた。

私はジャーナリストとして働いた。手始めにニッチなビジネス誌の編集者として、その後は今は無き「香港アイメール」(編集者注:2001年にザ・スタンダードに改名)という民主派日刊紙で主執筆者兼コラムニストを務めた。中国共産党の指導者や香港にいる彼らの支持者について論説を書いていた。もちろん、今日そのようなことを香港で書けば刑務所行きだろう。

当時、香港の治安維持の責任者だったレジーナ・イップ保安局長官は会合で、私の上司にクレームを言ったそうだが、上司は「レジーナはおもしろくなさそうだった」と言って笑いながら職場に帰ってきた。

香港は、1997年から2002年まで、紛争や抑圧のある場所で緊急に支援を必要とする人々を保護する避難所だった。私は、北朝鮮を支援しようとする人道支援者やキリスト教宣教師にも会った。1999年にはマカオに避難した東ティモール難民とともに、同国の抗議デモに加わった。香港教会グループを率いて、タイ・ミャンマー国境や東ティモール難民を支援した。

その当時は、香港のために抗議したり、香港人の権利を擁護するための支援団体を設立したりする日が来るとは思いもよらなかった。香港にいる友人たちが刑務所に入れられたり、亡命したり、沈黙させられたりするのを見るとは想像もできなかった。

四半世紀が経過した今、香港はアジアで最も開かれた都市から、最も抑圧的な警察国家へと変貌した。中国共産党の厳格な国家治安維持法が施行されてから、ものの2年の間、報道の自由、集会の自由、表現の自由、基本的人権、自治、法の支配は粉々に砕かれた。自由のオアシスだった都市では、誰も自由に話すことができなくなった。

かつて「東洋の真珠」と呼ばれた都市が、今は誰もが恐怖の中で生活している。もはや政治的に危険な外国人とコミュニケーションをとることはできない。2020年7月まで、私は香港の友人数十人と毎日連絡を取っていたが、今では彼らを危険にさらすことを恐れ、ほとんど連絡を取っていない。

2017年、私はかつて私の故郷であった香港への入国を拒否された。これ以降、私の自宅や隣人、母親、雇用主、英国議員宛ての数十通の匿名の脅迫状が送られている。中国大使館が英国議員に働きかけて、私を黙らせようとしたこともあった。

2022年には香港警察と国家安全保障局から「中国の国家安全保障を脅かした」として、重い罰金と懲役1年、3年、または終身刑の可能性があると直接脅迫された。いっぽう、私はロンドンにいて香港への渡航も禁止されているが、彼らは一体どうやってその刑罰を実行するのか。香港や中国と犯罪者引き渡し協定を結んでいる国には注意が必要だろうが、英国にいる私には影響は及ばない。

ひどく心配なのは、香港人の運命である。

返還にあたり英国と中国が合意した「中英共同宣言」には香港人の自由、基本的人権、自治、法の支配、生活様式の保護が2047年まで有効だと明記されていた。

中国(共産党)は条約を完全に反故にして、指導者は条約を引き裂いた。

これには結果を伴うべきだ。避難を求める人々に「命綱」を提供し、逆に中国共産党政権に近く、加担している人々の「命綱」を断ち切るべきだ。

英国は勇敢で寛大な英国在外国民(BNO)制度を実施し、数十万人、場合によっては数百万人の香港人が自由の中で新たな生活を築くことを可能にした。カナダとオーストラリアも香港人に道を開いた。米国と欧州連合、ニュージーランド、日本も英国のように、脱出が必要な香港人に機会を与えるべきだ。

ジェノサイド、虚偽、悪意、残虐な政権との経済関係を縮小させるよう、自由世界全員が挑まなければならない。経済関係を多様化し、私たちの公金が人道に対する罪、抑圧、監視といった手段に投資されることのないようにしなければならない。

私たち世界の主要な民主主義国は、中国共産党の暴君とその追随者に対して、厳しく調整を施した制裁を実施する必要がある。私たちは行動しなければならない。香港人が拠点を見つけ、香港を破壊した者の責任を追及する手伝いをしなければならない。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。