中国 懸賞金でも埋まらない公権力との溝

殺人者であっても「勇者」に 「弱者の反撃」に共感が集まる中国社会の危うさ

2026/08/10
更新: 2026/08/10

殺人容疑者を捕まえようと、警察が大規模な包囲網を敷く。その一方で、村民は逃亡者のために水や食料を置き、逃走用の車まで用意する。中国・河南省西平県(せいへいけん)で、異例の光景が広がった。

7月30日に起きた殺傷事件で、夏付鋼(か・ふこう)容疑者(男、51歳)が逃走。警察は多数の人員やドローンを投入し、5万元(約100万円)の懸賞金を設定した。

しかし現地では、夏容疑者が潜伏するとみられたトウモロコシ畑の周辺に、水やパン、インスタント麺などを置く住民が現れた。ネット上でも、「いくら積まれても通報しない」「見つけても守る」といった声が相次いだ。

 

夏付鋼容疑者が潜伏しているとされるトウモロコシ畑には食料や飲料水が置かれ(左)、逃走に使えるよう鍵を付けたままの電動バイクや自転車、三輪車なども各所に用意されていた(右)。中国・河南省西平県、2026年8月(動画より)

 

なぜ、殺人容疑者にここまで同情が集まったのか。今回の事件で注目すべきなのは、そこにある。

事件後、ネット上では、夏容疑者一家が長年、地元の有力者から嫌がらせや暴力を受け、行政や司法に訴えても救済されず、追い詰められた末に復讐に及んだ――とするさまざまな説が広がった。

本紙の過去記事でも当時流布していた情報を紹介しているが、事件には複数の説があり、詳しい動機や経緯は今も明らかになっていない。

それでも、「助けを求めても誰も助けてくれなかった弱者が、最後には暴力で権力者に立ち向かった」という筋書きが、多くの人の共感を呼んだ。もちろん、どのような事情があっても、人を殺傷する行為が正当化されるわけではない。

夏容疑者は8月8日午後、約10日間の逃走の末に逮捕された。当局は、逃走中にも民家に入り、複数の住民を刺したと発表した。しかし、この説明にも「被害者は誰なのか」「なぜ具体的な情報が出ないのか」と疑問が噴出。真偽そのものより、当局の発表を最初から疑う声が目立った。

 



「逃げ切ってほしい」殺人容疑者を村民が総力支援 食料、水、鍵付き車両まで提供=中国

殺人容疑者を追う警察 vs 守ろうとする村民。ヘリや無人機による大捜索の一方、「逃げ切ってほしい」と村民総出で支援か。中国・河南で異例の事態

 

福建でも殺人容疑者を支援 逃亡先に水と食料

2021年、福建省莆田市(ほでんし)で、欧金中(おう・きんちゅう)が隣人一家を襲い、2人が死亡、3人が負傷する事件が起きた。

欧は自宅を建て替えようと古い家を取り壊したものの、隣人との争いで新居を建てられず、一家5人は長年、鉄板で囲った簡易な小屋で暮らしていた。

欧は問題を解決しようと、複数の政府機関に陳情し、メディアやネットでも助けを求めていた。

事件が起きた年にはSNSで、「県や市の陳情部門に申し立てたが何の反応もない。どこに訴えればいいのか教えてほしい」とまで訴えていた。

しかし、状況は変わらなかった。

地元住民からは、欧について「普段は親切で正直な人だった」「溺れた子供を助けたこともある」との証言も伝えられた。

事件後、欧が山中へ逃亡すると、ネット上では同情が急速に広がった。当時のオンライン調査では83%が欧に同情したとされ、一部住民は逃亡中の欧のために山中へ水や食料まで置いた。

警察が追い、住民が食料を置く。河南で今起きていることと、驚くほどよく似ている。

 



福建省で一家殺傷事件 ネット世論、8割が容疑者支持 村の有力者から長年のいじめで

中国・福建省プー田市秀嶼区の平海鎮上林村で10日、一家の2人が死亡、3人が負傷する殺人事件が発生した

 

では、その欧金中事件はどんな結末を迎えたのか。

欧は逃亡から8日後、山中で発見された。当局は、欧が逮捕に抵抗して自殺を図り、その後死亡したと発表した。

しかし、この説明には当時から疑問の声が上がった。

特に物議を醸したのが懸賞金だった。当初の通知では、欧の居場所につながる情報には2万元(約35万円)だったのに対し、遺体を発見した場合には5万元(約88万円)が支払われるとしていた。

なぜ、生きている本人を見つけるより、遺体を見つけた方が高いのか。

ネット上では、「欧を生きて捕らえるつもりがなかったのではないか」「住民の同情を集める『英雄』になることを恐れ、口を封じられたのではないか」と疑う声が広がった。

こうした見方を裏付ける証拠は確認されていない。それでも、欧の死をめぐる当局への不信は、事件から年月を経てもネット上で語られ続けている。

 

内モンゴルでも殺人容疑者に同情 「勇者」と呼ぶ声も

2024年6月、内モンゴル自治区フフホト市の村でも、一家5人が殺害され、霍文常(かく・ぶんじょう)容疑者が山中へ逃亡する事件が起きた。

この事件でも、ネット上では容疑者に同情する声が相次いだ。

地元で伝えられた情報によると、霍容疑者は自宅の土地をめぐって被害者側と長年争っていた。

被害者側は地元で力を持つ一家だった、霍容疑者は土地を取り戻そうと何年も裁判を続けたものの、問題を解決できなかったとの情報が広まった。さらに、棺桶を送りつけられるなどの嫌がらせも受けていた。

事件では一家5人が殺害されたが、隣家の嫁だけは命を奪われなかった。

ネット上では、その女性が以前、家族に対し「土地が霍家のものなら、その家にも生活があるのだから返してあげなさい」と諭していたため、霍容疑者が彼女だけは見逃したとの情報が広まった。

長年、理不尽な扱いを受けながらも、自分に善意を示した女性だけは傷つけなかった。こうした話が反響を呼び、ネット上では霍容疑者に同情するだけでなく、「勇者」とまで呼ぶ声も現れた。

「殺人が起きる前に正義があれば、事件は起きなかった」「弱者が何度訴えても救われないから、最後にこうなる」そんな声が相次いだ。

 



中国・内モンゴル一家殺害 逃走中の容疑者逮捕

ネット上で「勇者」と称される一家5人を殺害した容疑者の男が逮捕された。

 

なぜ村民は殺人容疑者を守るのか

河南事件で広まった「父親の敵討ち」説がどこまで事実なのかは分からない。

それでも、多くの人が「きっと有力者にいじめられていたのだろう」「訴えても誰も助けてくれなかったのだろう」という話を受け入れ、殺人容疑者にまで同情した。

ここに、この現象を考える手がかりがある。

問題は、夏容疑者が本当に「弱者」だったかどうかだけではない。なぜ多くの人が、「弱い者は訴えても救われない」という話を、これほど簡単に「あり得る」と感じたのか。

中国問題専門家の李林一氏は本紙に対し、殺人容疑者への同情には「権力者にいじめられた末の犯行」と見る人々の思いがあり、さらに長年の抑圧から警察を味方ではなく敵と見る人も増えているとして、「中国の民心は大きく変わった」と述べた。

「相手にカネや人脈があれば勝てない」「警察や役所は自分たちを守ってくれない」。そうした不信が社会に蓄積しているからこそ、殺人容疑者にまで自分を重ねる人が現れるのではないか。

もちろん、それは殺人への同情を正当化する理由にはならない。むしろ、人を殺した人物にまで共感し、逃亡を手助けしようとする現象そのものが、危険な兆候といえる。

法律は本来、力の強い者と弱い者の争いを、暴力ではなくルールによって解決するためにある。しかし、その仕組みへの信頼が失われれば、「訴えても無駄だ」「最後は自分で決着をつけるしかない」という発想が広がる。

中国では、こうした絶望を象徴する言葉として、「你不給我一個説法,我就給你一個説法」という言葉が知られている。ここでいう「説法」には、単なる「説明」だけでなく、「納得できる決着」「筋の通った答え」といった意味がある。つまり、「公に訴えても納得できる決着を与えてくれないのなら、自分の手で決着をつける」という意味である。

これは、2008年に上海の警察署を襲撃し、警察官6人を殺害した楊佳(よう・か)が残した言葉として広く知られている。

楊佳は北京出身で、上海旅行中に乗っていた自転車をめぐって窃盗を疑われ、警察に連行された。その際に警察から暴行を受けたと訴え、その後、当局に説明や救済を求めたものの、納得できる解決には至らなかった。そして2008年7月、上海市公安局閘北分局を単身で襲撃。警察官6人を殺害し、同年11月に死刑が執行された。

もちろん、6人を殺害した重大犯罪であり、暴力が正当化されるものではない。

それでも中国では、「正規の手段で訴えても何も変わらなかった末に権力へ反撃した人物」として楊佳を見る人々が現れた。命日や清明節に墓を訪れる人もおり、その後も警察や政府機関を狙った事件が起きるたび、ネット上では加害者を「第二の楊佳」と呼ぶ声が繰り返し現れてきた。

楊佳のものとして広まった「そちらが私に納得のいく決着を与えないなら、私が自分で決着をつける」という言葉も、事件から約20年がたった今なお引用されている。

河南で夏付鋼のために水や食料を置いた人々。福建で欧金中の逃亡先に食料を届けた住民。内モンゴルで霍文常を「勇者」と呼んだネットユーザー。

事件も事情も違い、殺人が正当化されるわけでもない。それでも、殺人容疑者に同情し、警察への協力を拒み、逃亡を助けようとする現象は繰り返されている。

人々から「勇者」と崇められた殺人容疑者たちは、相次いで逮捕され、あるいは命を落とした。しかし、そのたびに同じような共感が広がる。その背景に浮かぶのは、中国社会に積み重なった公権力への根深い不信と、懸賞金でも埋めることのできない住民との「深い溝」だ。

さらに危ういのは、その不信の先で、法による解決より私的な報復に「正義」を見いだす人々が現れていることだ。一人の「勇者」が消えても、また次の「勇者」を生み出しかねない。その土壌が残り続けていることこそ、この現象の危うさではないだろうか。 

李凌
中国出身で、日本に帰化したエポックタイムズ記者。中国関連報道を担当。大学で経済学を専攻し、中国社会・経済・人権問題を中心に取材・執筆を行う。真実と伝統を大切に、中国の真実の姿を、ありのままに、わかりやすく伝えます!