殺人事件が起きれば、住民は警察に協力し、容疑者の早期逮捕を願う。それが普通だ。
ところが、中国・河南省西平県では、まったく逆の光景が広がっている。住民は逃走中の殺人容疑者に同情し、「どうか逃げ切ってほしい」と潜伏を助けるだけでなく、逃走にまで手を貸す人が後を絶たない。
容疑者が身を潜めているとされるトウモロコシ畑には、食料や飲料水、モバイルバッテリー、さらには鍵を付けたままの電動バイクや自転車、三輪車、自動車などを運び込む動画がSNSに次々と投稿された。「どうか逃げ切ってほしい」と容疑者にエールを送る声も広がっている。
事件発生から約1週間が過ぎても容疑者は見つからず、住民とネットからの支援が続く中、当局は捜索をさらに強化。潜伏先をなくすため、収穫前のトウモロコシ畑まで刈り払う異例の対応に踏み切った。

事件
事件は7月30日に発生した。現地当局によると、夏付鋼容疑者(51歳、男)は近隣住民とのトラブルの末、刃物で一家を襲い、少なくとも1人が死亡、4人が負傷。その後、人の背丈を超えるトウモロコシ畑へ逃げ込み、1週間以上が過ぎた現在も行方は分かっていない。
警察は最高5万元(約100万円)の懸賞金をかけて行方を追い、道路には約2メートルおきに警察官や捜索員を配置。
ヘリコプターや無人機も投入し、潜伏場所をなくすため収穫前のトウモロコシ畑まで収穫機で刈り取る大規模捜索を続けている。
農家からは「一年かけて育てたトウモロコシが台無しになった」と怒りの声も上がっている。
「もう一つの物語」
しかし、地元で語られている事件の経緯は、当局の発表とは大きく異なっていた。
現地で拡散した情報によると、夏容疑者は普段から力仕事を請け負いながら暮らす、まじめで温厚な人物として知られていたという。一方、被害者側は地域で長年、権力や財力を背景に住民を苦しめてきた「地域のならず者」だったとする投稿が相次いだ。

さらに、事件の始まりも、当局が説明する「近隣住民とのトラブル」とは違っていた。
現地で広がっている情報によると、夏容疑者の父親は廃品回収で生計を立て、普段はスピーカーで「廃品回収します」と呼びかけながら村を回っていたという。事件当日、夏容疑者が不在の間に、父親はその放送をめぐって被害者側とトラブルになり、暴行を受けたとされる。帰宅後、その事実を知った夏容疑者が激高し、事件に至ったとの話が地元では根強く語られている。
こうした話が地元で広く受け入れられたことで、一部の住民は夏容疑者を単なる殺人容疑者ではなく、「長年住民を苦しめてきた相手に立ち向かった人物」と受け止めるようになったとみられる。
SNSには「逃げ切ってほしい」「見かけても、懸賞金をいくら積まれても絶対に通報しない」といった投稿が相次いだ。一方、現地では、食料や飲料水を差し入れるだけでなく、逃走用の車両まで用意するなど、実際に容疑者の逃走を手助けする動きも広がった。



容疑者を支持する声が広がるにつれ、事件を巡る投稿は次々と削除され、中国のSNSでは関連する話題そのものが検閲の対象となった。
殺人は決して正当化されるものではない。しかし今回、多くの住民が容疑者ではなく被害者側に怒りを向けた背景には、長年積み重なった地域社会の不満があるとみられる。
中国では、一部の地域で権力や財力を後ろ盾に住民を威圧し、弱い立場の人々を苦しめる「村霸」と呼ばれる存在がたびたび問題となってきた。
今回の事件は、一つの刑事事件にとどまらない。殺人容疑者を追う警察よりも、その容疑者を守ろうとした住民の姿こそが、中国社会に積み重なった不満や司法への深い不信を映し出していた。
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