唐山大地震から50年 死者数と事前予報を巡る2つの論争

2026/07/29
更新: 2026/07/29

7月28日午後4時27分ごろ、熊本県でグニチュード7.1の地震が発生し、宇城市と氷川町で最大震度7を観測した。

この日は、1976年に河北省唐山市で発生した唐山大地震から50年の節目にも当たる。

甚大な人的被害をもたらしたこの地震を巡っては、現在も死者数の公表や事前予報への対応について論争が続いている。

死者数の公表に3年以上

1976年7月28日未明、中国有数の工業都市である河北省唐山市を激しい揺れが23秒間襲い、地上にあった建築物の90%以上が倒壊した。

被害は唐山市街地だけにとどまらなかった。被災面積は21万平方キロを超え、200万平方キロ以上の範囲で揺れが感じられた。これは中国の国土面積の5分の1を超える規模で、14の省・直轄市・自治区に影響が及んだ。

震源は唐山市のほぼ真下にあり、深さはわずか12キロだった。都市直下型の地震で、市内の工業・民用建築物の約97%が破壊された。

中国共産党(中共)の公式統計によると、唐山大地震では約24万2千人が死亡し、16万人以上が重傷を負った。家族全員が死亡した世帯は7200世帯に上った。

しかし、死者数24万2千人という数字を国家地震局が正式に公表したのは1979年11月で、地震発生から3年以上が経過していた。

一方、民間では、実際の死者数は少なくとも60万人に上るとの説も伝えられている。河南医科大学の元医師で、米イェール大学の元がん研究者である張育明氏はかつて、地震の規模は実際にはM9.0で、死者は75万人に達したと述べた。

地震発生から50年が経過した現在も、正確な死者数は分かっていないとの指摘がある。

死者数を巡る同様の論争は、32年後の2008年に発生した四川大地震でも起きた。

2008年9月25日、地震発生からすでに4か月後、死者6万9227人、行方不明者1万7923人との情報が公表された。

しかし、その後も死者数は更新されず、行方不明者1万7923人も死亡者として統計に加えられていない。

発生前に相次いだ地震予報

唐山大地震では、多くの住民が就寝中に突然の揺れに襲われた。しかし、地震発生前には、複数の研究者や観測機関から大地震の可能性を指摘する報告や予報が出されていた。

1972年、周栄鑫は中国科学院の中共核心指導グループ副組長に就任した。当時、国家地震局は中国科学院の管轄下にあり、周栄鑫が直接指導していた。

1966年3月8日、河北省邢台地区でM6.8の地震が発生し、1969年7月18日には渤海でM7.4の地震が起きた。

北京地震隊の耿慶国は1974年5月31日、遼寧省南部で今後1、2年以内にM7以上の大地震が発生する可能性があるとの中期予測をまとめ、中国科学院に提出した。周栄鑫もこの報告を確認していた。

同年6月15日、周栄鑫は中国科学院から国務院に提出する報告書に署名した。報告書には、M6以上の地震が突然発生する事態に備えるべきだとする専門家の意見が盛り込まれていた。

周栄鑫はさらに、国務院の日常業務を取り仕切っていた李先念副首相にも口頭で報告した。

1975年1月、第4期全国人民代表大会第1回会議で、周栄鑫は教育部長に任命された。中国科学院を離れる前には、北京、天津、唐山、張家口一帯で、今後1、2年以内にM6以上の被害地震が発生する可能性があると改めて強調した。

しかし、同年11月、毛沢東が「右傾巻き返しに反撃する運動」を開始し、鄧小平を再び失脚させると、周栄鑫も鄧小平派の幹部の一人とみなされて失脚した。

周栄鑫の提案で設立された北京、天津、唐山、張家口地域の地震監視協力チームも影響を受けた。

国家地震局の造反派は、この協力チームを周栄鑫による上級機関からの「縦割り支配」だとして繰り返し批判し、活動を事実上まひさせた。

さらに、耿慶国が1976年7月中旬、5つの気象指標を基に出した短期予測も重視されなかった。

半年前から相次いだ警告

1975年12月、地震発生の7か月前、地質部地震隊は国家地震局に提出した「1976年地震傾向に関する見解」の中で、唐山を危険地域に含め、「1976年にM6を超える地震が発生する可能性がある」と明記した。

1976年初めには、唐山市地震弁公室の責任者だった楊友宸が、市の防震工作会議で中短期予測を発表した。

楊友宸は、唐山市を中心とする半径50キロ以内で、1976年7月か8月、または同年後半の別の月に、M5から7の強い地震が発生する可能性があると指摘した。

同年5月、国家地震局が開いた華北水化学地震検討会議でも、楊友宸は「唐山では今後2、3か月以内に強い地震が発生する可能性がある」と述べた。

6月には、国家地震局に15件の地震予報が寄せられた。通常は月に3件から5件程度だったという。

7月6日、地震発生の22日前、開灤馬家溝鉱山地震観測所の職員、馬希融は、国家地震局と河北省地震局に対し、近く強い地震が発生するとの緊急予報を正式に提出した。

7月14日には、地質部地震隊が国家地震局に対し、唐山地区で7つの大きな異常が確認されたと電報で報告した。

唐山第二中学校の住民観測地点責任者、田金武も、7月末から8月初めにかけて、唐山地区でM7以上、場合によってはM8に達する地震が発生する可能性があると警告した。

7月中旬、北京地震隊は「隊の設立以来、最も顕著な7つの異常」が確認されたと報告した。

唐山の住民観測地点では水中のラドン濃度に異常が見られ、冷口温泉では水温が通常より2度上昇した。ネズミが群れをなして巣穴から出てくる現象も確認されたという。

地震発生15時間前にも報告

7月17日と18日、全国地震住民観測・集団防災経験交流会が唐山で開かれた。

国家地震局分析予報室北京・天津グループの組長だった汪成民は、会議での発言を求めたが、会議を主宰していた国家地震局の査志遠副局長は認めなかった。

当時、汪成民をはじめとする若手の地震関係者は、北京、天津、唐山で大地震が発生する可能性が高いと考えていた。しかし、その見解は国家地震局指導部の判断と異なり、重視されなかったという。

17日と18日夜の座談会で、汪成民は、7月22日から8月5日までの間に、唐山や灤県一帯でM5から6の地震が発生する可能性があると口頭で伝えた。

7月23日、地震発生の5日前には、唐山市楽亭県の紅衛中学校住民観測地点の責任者、侯世鈞が、近く発生する大地震の規模は小さくてもM6.7、大きければM7.7に達するとの予報を出した。

7月27日午前、汪成民はようやく査志遠副局長に報告する機会を得た。

しかし、査志遠副局長の判断は「来週、会議を開いて検討する」というものだった。この時点で、地震発生まで残り15時間しかなかった。

同日午後6時、地震発生の9時間前、開灤馬家溝鉱山地震観測所の馬希融は、開灤鉱務局の地震担当部署と上級機関に対し、強い地震が間近に迫っているとの予報を提出した。

その内容は、M7.3を超える地震がいつ発生してもおかしくないというものだった。

当時、中共最高指導部は、鄧小平を「悔い改めようとしない党内最大の資本主義路線派」として批判する政治運動に追われていた。市民の安全に気を配る人はいなかった。

中共中央規律検査委員会の元官僚、王友群氏は、中国の伝統文化には「人命は何よりも重い」という考え方があるが、中共が人命を軽視してきたと批判した。数十万人、数百万人、数千万人規模の犠牲者が出ても、当局にとっては単なる数字にすぎないとの見方を示した。

また、唐山大地震のような悲劇が繰り返されており、大規模な自然災害の背後には、中共による人為的な被害があると主張した。

47万人を救った「青龍奇跡」

一方、地震予報を受けて住民を避難させ、犠牲を最小限に抑えたとされる「青龍奇跡」も知られている。

会議終了後、汪成民らは7月21日に青龍県へ戻り、翌22日、県の指導部に地震予報の内容を報告した。

青龍県党委員会書記だった冉広岐は予報を重く受け止め、職を失う危険を覚悟して県内に警戒を呼びかけた。

7月25日には、県内の観測データも踏まえ、上級機関の判断を待たずに防震警報を出した。会議に参加した幹部に対し、翌26日までに地震予報をすべての住民に伝えるよう命じた。

県党委員会は電話会議を開き、住民に地震前の異常現象について説明した。さらに、屋内での調理や食事、就寝を禁止した。

地震が発生する前に、青龍県の住民のほぼ全員が屋外に避難していたという。

7月28日未明に唐山大地震が発生した際、唐山市から約115キロ離れた青龍県では、家屋18万室が損壊し、7300室余りが全壊した。

しかし、人口47万人のうち、死亡したのは、地震をきっかけに心臓発作を起こした高齢女性1人だけだったという。

1995年には国連の調査団が現地を訪れ、この出来事を確認した。

1996年7月、唐山大地震から20年を迎えた際、国連代表のコール博士は、「青龍奇跡」を実現した功績をたたえ、冉広岐に記念章を授与した。

中国問題専門家の李林一氏は大紀元に対し、現在の中共当局も政治を最優先し、政権の安定維持を何よりも重視していると述べた。

また、内部闘争に明け暮れる一方、災害発生後には情報を厳しく統制し、真相を封鎖していると指摘した。官僚の間では、内部粛清を恐れて消極的な姿勢を取り、職務を怠る傾向も広がっているという。

李氏は、これまでの教訓から、中共に期待するのではなく、自らを守る意識を持ち、さまざまな災害に備える必要があると述べた。

さらに、天を敬い、伝統に立ち返り、中共から距離を置くことが、根本的な自衛につながると主張した。

唐兵