昨年10月13日、北京市内の陸橋である「四通橋」の上に、習近平政権を真っ向から批判した横断幕が掲げられた。中国共産党を震撼させ、世界を驚愕させたこの「四通橋事件」から、まもなく1周年になる。
「四通橋の勇士」と呼ばれている彭載舟(ほうさいしゅう)氏(本名:彭立發)は、今どこにいるのか。そして、その家族はどうなっているのか。
米政府系放送局のボイス・オブ・アメリカ(VOA)が、情報筋の話を引用して報じたところによると、北京市内で彭立發氏と同居していた妻と娘は、当局によって彭氏の故郷である黒竜江省チチハルの農村に送られ、そこで当局の厳しい監視下に置かれている。また彭氏の姉は、消息不明になっているという。
「目下、彭立發関連の案件が司法手続きに入ったという情報は入っていない」。敏感な政治案件などを扱う中国の弁護士たちは、VOAにそう明かしている。
中共に単独で立ち向かった「勇士」
彭氏が「四通橋」に掲げたスローガンには「独裁の国賊 習近平を罷免せよ」と書かれていた。
そのほか「PCR検査は要らぬ、食べ物が欲しい。封鎖は要らぬ、自由が欲しい。嘘は要らぬ、尊厳が欲しい。文革は要らぬ、改革が欲しい。独裁者は要らぬ、選挙権が欲しい。奴隷になるのは嫌だ 、公民でありたい」と書かれていた。
その言葉の全てが、市民の誰もが心に思っていながら口に出せない「禁じられた本音」であった。それは同時に、中国共産党が最も恐れる民衆の覚醒でもある。
その場で取り押さえられた彭氏は、当局に連行されて以来、外界との接触を一切断たれた。
「四通橋の勇士」は消息不明になったが、まことに悲壮感あふれるワンマンショーはネットで拡散され、人々の記憶に確実に残った。
その不屈の精神に、多くの人が共感した。世界中の人々は、あらゆる場所にこのスローガンと同様の文句を書くなどして連帯を示すとともに、複数の国際組織や人権団体も彭氏の釈放を中国政府に呼び掛けている。
中国で、いや全世界の華人圏の間で、「彭載舟」という人名は、まさに「中国政府に立ち向かう勇士」という象徴的な意味を帯びている。
米誌「タイム」が4月に発表した、今年の「世界で最も影響力のある100人」のリストのなかにも、彭載舟氏の名前があった。この「100人」に、日本からは岸田文雄首相とゲーム開発者の宮崎英高氏が選ばれている。
革命の恐怖におののく中共当局
現在、「彭載舟」の名前とともに、彼が反抗開始の狼煙(のろし)を上げた北京市海淀区にある「四通橋」の名称まで、中国当局が検閲する言葉の「ブラックリスト」入りしている。つまり、地名の「四通橋」をネット検索してもエラー表示になってしまうのだ。
そしてついに、現地にあった通常の道路標識である「四通橋」のプレートまで撤去された。それほど中国当局は、ほとんど病的な恐怖感を抱いているようだ。
オランダに在住する反体制活動家・林生亮氏は、「四通橋事件の後(拘束された)彭載舟氏の所在や生死は、全く分からない。しかし彭氏や、彭氏の家族を探し求める民間の歩みは、止まったわけではない」と話した。
また、六四天安門事件(1989)当時の学生リーダーで米国を拠点とする非営利団体「人道中国」の共同創設者でもある周鋒鎖氏は、次のように指摘した。
「四通橋事件発生からまもなく1年になるが、中国当局は、彭氏に関する一切の情報を依然として明かしていない。しかも、何の罪もない彼の家族まで、連座をくらわせている。これはつまり、中国共産党が彭載舟氏を非常に恐れている証拠だ」
周氏の指摘する通り、中共当局は今、民衆が再び「あの日を思い出す」ことを極度に恐れている。
それはまさに、革命によって権力を奪った政権は、自身もまた革命によって倒される運命を内包しているからに他ならない。
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