中国経済不調の根源は「経済的自由の欠如」にあり

2023/09/09
更新: 2023/09/09

ポストコロナの時代に入り、中国経済は苦境に陥っている。景気の減退、人口の減少、失業率の高騰、そして不動産バブル崩壊の危機。これらは中国が抱える問題のほんの一部にすぎず、状況はさらに悪化するだろう。

かつて中国のトップダウン型経済政策を採用しようとした人々は、今日の惨劇を予見できなかったに違いない。実際、20世紀後半の経済分析の多くは、日本の高度経済成長に関するものだった。ほんの数十年前まで、米国の学術界や政界では、日本経済の復活がいかに米国の終焉を告げているかについて予測するものが大半を占めていた。

さらには、自由市場政策を捨て去り、介入主義的な経済政策で置き換えるべきとの提言もなされた。識者らは、政府が積極的に経済に介入する産業政策こそ、日本を高度成長にを実現させた隠された要素だと確信していた。

経済成長は極めて複雑な現象だ。単一の要素を用いた説明について、私たちは懐疑的でなければならない。産業政策を担っていた日本の通商産業省(現在の経済産業省)は、経営、生産、投資を行う数百万もの意思決定者の一つにすぎなかった。

自由経済と国民性

通産省は、日本の産業基盤と輸出を強化したという意味で、たしかに日本経済の多くの側面に関わっていた。しかし、通産省が日本の経済成長の立役者だったという主張は、あまりにも誇張しすぎている。実際、日本の経済発展のより重要な成功要因は、1950年代から70年代にかけての全般的な経済の自由化だった。

戦後、利権が解体したことによる縁故主義の減少、共同研究開発に対する独占禁止規制の撤廃、銀行の株式保有の自由化などが功を奏し、日本経済は目覚ましい発展を遂げた。貯蓄を重んじる日本人の国民性と資本の蓄積を促す税制は、成長のスピードをより一層速めた。

1950年代から70年代にかけて、日本では低い税率と自由な市場、そして高い貯蓄水準が相まって、民間セクターでは投資ブームが巻き起こった。フーヴァー研究所のデイビッド・ヘンダーソン氏は報告書で、日本の民間投資は50年代の対GNP(国民総生産)比17%前後から、70年代には約30%まで拡大した、と指摘した。他国では決して見られない、驚きの成長率だった。

企業による技術革新

日本の産業における成功体験は、通産省の主要な関心対象から外れた分野で生まれた。中でも特に重要なのは、自動車産業だ。トヨタやホンダのような企業は生産プロセスを洗練させることで、世界的な大企業へと成長した。かの有名な「トヨタ生産方式」はその実例だ。こうした技術革新は、通産省の指示ではなく、企業が自ら実践してきたものだ。

かつて通産省は自動車生産の効率化のために、自動車メーカーの合併を試みたことがあるが、幸運にも、業界の反発で実行されることはなかった。仮に合併が行われていたら、日本車ブランドは世界に名を馳せることができなかったかもしれない。

ソニーの前身となる「東京通信工業」が米ウェスタン・エレクトリック社からトランジスタ製造の特許を購入しようとした際にも、通産省はそれを阻もうとした。幸運にもそれは失敗に終わった。

むろん、通産省が支えた産業の中には、今日高い収益をあげているものもある。しかしそれらの産業は、政府による投資がなければ収益を拡大できなかったというわけではない。経済成長を促進するなか、農業から製造業への資源の再分配において、日本政府は確かに一定の役割を果たしたかもしれない。しかしそのような政策にも限界がある。

日本経済が輸出型に移行したとき、主に政府が設けた障壁によって、日本はイノベーションを基盤とする経済へとシフトすることができなかった。政府の後押しを受けて、日系企業は海外向けの商品を大量生産することに「成功」したが、一般庶民はその恩恵に預かることができなかった。

結果として経済は衰退し、政府は輸入規制の強化、財政支出の拡大、金融緩和などを通じて誤魔化そうとした。しかし1990年代、日本が「失われた10年」に突入すると、それは政策の失敗の典型例となった。

中国は今、日本と同様の問題に直面しているが、事態はより深刻だ。日本には存在しなかった権威主義的な共産党政権が問題をさらに悪化させている。このような状況を目の当たりにしてなお、経済活動の自由よりも政府の産業政策を盲信する人々がいるのが不思議でならない。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
経済学者。ジョージ・メイソン大学メルカトス・センター上席研究員。アメリカ企業公共政策研究所(AEI)専任研究員、ケイトー研究所政策アナリストを歴任。メディアで広く執筆活動を行っており、その評論や分析グラフは、『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』紙などで多数引用されている。