中国の大学入試「高考」終わる 肩の重荷を下ろした学生たちに、明るい未来はあるか?

2023/06/13
更新: 2023/06/13

今月7日と8日、2日間にわたり行われた中国の全国統一大学入試である「高考(ガオカオ)」が終わった。

受験生はようやく、岩のように重く、氷のように冷たく肩にのしかかっていた重圧から解放された。彼らは、まだ志望校に合格したわけではないが、ともかく受験が終わったことが嬉しいらしい。その喜びを伝える動画が今、中国のSNS上にあふれている。

試験場を飛び出し「宙返り」が恒例行事?

なかには、試験会場を出る一部の学生が、体操選手か、あるいは武術家のような見事な技を披露して、受験を終えた喜びを全身で表現するというシーンもあった。 

「受験を終えて、会場を出る学生たち(高考完離場)」と説明されたこの動画に、投稿者は七言絶句の漢詩をつけた。詩の題名は「天に通じる大道は広く果てしない(通天大道寛又闊)」。平仄のリズムも整っており、なかなか良くできた一首といってよい。

題名:通天大道寛又闊

苦読寒窓十二載,五行山下五百年。如今高考已結束,筋斗雲飛耍空翻。 

詩の大意は「苦しい勉学を積んで12年。それは五行山に封ぜられた五百年のようなもの。受験が終わった今、僕は筋斗雲(きんとうん)乗って大空を自由に飛び回る」。

「五行山」はベトナム中部にある山の名称。小説『西遊記』のなかで、悪さをする孫悟空が、釈迦如来によってこの山に五百年間閉じ込められたという伝説がある。筋斗雲(觔斗雲)は孫悟空が乗って空を飛ぶ雲のことで、筋斗(觔斗)は「宙返り」を指す。

受験生に「贈る言葉」は、意外と冷ややか

先述の通り、中国人好みの良くできた一首ではある。ところが、この投稿に寄せられたコメントは、受験生へのねぎらいの言葉ではなく、ほとんどが冷ややかな反応だった。

この動画に関して言えば、自然発生的な場面というよりは、始めからカメラをかまえ、飛び出す学生も撮影されることを意図していたのかもしれない。そんなところから「ヤラセじゃないのか?」と動画自体の信ぴょう性を疑う声もある。

さらには「彼らは刑期を終えて、刑務所から釈放されたのか?」「(ゼロコロナの)封鎖から解放されたのか?」「これから(この孫悟空たちは)下界へ降りて大暴れするつもりか?」など、皮肉まじりのコメントも多い。

また、昨今の就職難を反映してか「ほうら、失業大軍がやってきた!」などと現実感迫るコメントもあった。「いや、12年どころじゃない。(受験地獄は)幼稚園から始まっているよ」と、わざわざ「訂正」してくれる人もいた。

そのほかにも、受験を終えた学生の気持ちに、あまり共感することのできない、気が重くなるような冷ややかなコメントが続く。

「これは始まりに過ぎない。君たちは今後、一つの落とし穴からさらに底なしの深淵へ転落するのだ。先はまだ長いぞ。じっくり味わうがよい」

「そうやって喜んでいられるのは、今のひと時だけだ。将来になれば、君たちも分かるだろう。共産党が統治する社会では、どんなに努力しても、所詮は共産党の鎌に刈られるニラ(搾取される人民の例え)でしかないことを」

人生の先輩として若者にアドバイスするのは結構だが、あまりに悲観的なコメントばかりでは、受験を終えた高校生はさぞや辛かろう。

親と社会からの「想像を絶する重圧」

中国人の親は子供に対して、確かに「教育熱心」で知られている。

それは、ある程度までは許容されるとしても、あまりに学歴至上主義あるいは立身出世主義であることは、子供や若者の心身に深刻な「ゆがみ」をもたらすのではないか。そこまでやって大丈夫か、と日本から見ていてもハラハラする。

しかし、そこは中国である。清朝以前には官吏登用試験の「科挙」に宗族を挙げて猛進していた国らしく、現代でも中国人はそれが「当たり前」と思っているようだ。

我が子にひたすら勉強を強いることも、自分の子供が将来成功することを願う「親の愛」の一つではあろう。父親がチャイナドレスを着て、受験にのぞむ子供の応援になるとは思えないが、それを本当にやるところに、もはや「凄み」さえ感じる。

ただし中国の場合、勉学の目的が、自己実現することによって可能になる社会貢献や弱者への「役立ち」にあるという意識は非常に乏しい。

彼らは、ひたすら自分のことだけを考え、将来得られる高収入を生々しく目的化する。そのために、ただ受験に勝利することを目指す。親もまた、それを至上の価値観にしているのだ。

ただし、中国人の名誉のために付言するが、そういう自己中心的な人間ばかりではない。自分の栄達や金儲けのためではなく、本当に社会的弱者を救済するために、例えば夜間学校などで苦学して人権弁護士になる人もいる。

高智晟弁護士が、そうであった。大学には行かず、ほとんど独学で法律を学んだ。

ただ、そのようなヒューマニズムあふれる人は、中共当局に目をつけられ迫害されやすい。

誰もが尻込みする法輪功学習者の弁護を引き受けた高智晟弁護士は、約4年間、不当に投獄され、顔が変わるほどの虐待を受けた。今は刑期満了で出所したが、公安の監視下におかれている。

いずれにしても、中国の受験生の勉強ぶりを一言で表すとすれば「24時間、机にかじりつく」といっても過言ではない。それゆえに彼らは「心が折れやすい」というガラス細工のような危うさを内包している。

 

 

自殺防止ネット」がある進学校

日本も、およそ半世紀前(1960年代)には「受験戦争」と呼ばれた異様な時代を経験した。今は、大学が増えすぎて、別の意味で異様な時代になっている。

しかし、いずれにしても、中国の受験環境は日本のそれよりもはるかに激しく、かつ人間をおかしくするほど奇形的であり、日本にいる私たちには想像することも難しいだろう。そうした恐るべき重圧を、中国の10代の子供たちはまともに受けている。

しかも昨今の中国は、たとえ難関を突破して最高レベルの大学に入学したとしても、それで人生の成功は約束されないばかりか、最近では「卒業すれば失業」という深刻な就職難に直面しているのが現状だ。

そのことが、中国の若者にどのような価値観の変化をもたらすかは今後の情勢を見なければならない。ただし、本記事の考察を進める上で、最も重要な視点は何かというと「学生の命を守る」ということに尽きる。

中国では「大学入試の合否が人生を決める」という風潮が、いまだに根強いのも確かである。不合格は「人生の敗北」を意味するため、そうなった場合、人格の全否定にもつながりかねないのだ。

そのような親や社会からの過度な期待が受験生を押しつぶし、ある時、精神の糸がぷっつり切れて、自殺に至るケースも少なくない。いや「多い」のが現実だ。

そのため一部の進学校では、学校内に「生徒の落下防止」のための「安全ネット」や「窓格子」を張り巡らせている。

「落下防止ネット」とは、つまりは飛び降り自殺防止の金網である。生徒の安全のためとはいえ、その様子は、まるで「監獄」そのものだ。

本当に生徒や学生の命を守るつもりならば、落下防止ネットの設置よりも、第一に優先すべき措置があるはずだが、中国共産党はそれを進めようとはしない。

それは、なぜか。神仏を敬うことから出発しなければ、本当の「命の大切さ」は教育できないからである。無神論・唯物論を奉じる中共には、もとよりそれが不可能なのだ。

中共が「落下するモノを受け止める金網」しか設置できないのは、そのためである。

 

(中国のとある高校の校内に設置された「落下(自殺)防止のネット」(SNS投稿)

 

受験終了後、教科書を破り捨てる「復讐劇」

中国の受験生の間には、こんな「奇習」がある。

大学受験が終わる(合格したら、の意ではなく、試験が終わったら)と、これまで宝物のように大切にしてきた教科書、参考書、ノートなど、とにかく勉強関係のものを全部集め、細かくビリビリに破いて自分の頭上に投げ捨てる、というのだ。

嘘ではなく、これを本当にやっている。「自殺防止ネット」が設置してある進学校では、それら大量の「紙くず」が自殺防止ネットにひっかかって積もっている。その様子を捉えた動画が、下のものだ。

日本では、小学校から「生徒が、毎日掃除をする」。校内をきれいに掃除することも、教育の重要な一環であると考えるからだ。

いっぽう、中国では(生徒に掃除させる場合もあるが)通常は掃除人が別にいるので、生徒や学生が毎日教室や校内を清掃することはない。

そこで、先述の「紙くず」である。校内を掃除する人のご苦労を想像したら、なんとも気の毒な限りだが、中国の受験生にしてみれば、これまでさんざん自分を苦しめてきた教科書や参考書を今こそ破き捨てる。その行動には、彼らが込めた鬼気迫る思いが伺われる。彼らにとって、試験のために苦労して勉強した知識など、破り捨てるゴミにも等しいものである、というのだ。

教科書や参考書が不要になったのなら、ひもで縛って、通常のゴミに出せばよかろうと日本人は思うのだが、そうはいかないらしい。

それらを破り捨てて、皆で気勢を上げることで「復讐」しなければならないほどの鬱積が彼らにはある。

だとすれば、それは確かに、彼らがこの十数年間、まさに「自殺ぎりぎりの位置」におかれていたことを証明しているのかもしれない。

彼らは、さいわい死なずに「受験」を生き残った。だからこそ彼らは今、教科書や参考書を破り捨て、これに「復讐」する必要があったのだろう。しかし、そうした若者の人間性をゆがめるほどの受験狂いは、人生における正当な試練ではなく、もはや一種の「社会悪」であると言ってよい。

かつて、清朝以前に行われた「科挙」は、1名ずつ隔離された試験場に受験者が何日も泊まり込み、昼夜をかけて、ひたすら毛筆で答案を書いた。

夜になると、以前にここで発狂死した受験者の幽霊が、青白い鬼火になって出たという。現代中国の受験事情は、清朝末期の1904年に廃止された「科挙」の頃の風景と、基本的には変わっていないのかもしれない。

極端な学歴至上主義を是正するには、価値観を広くして、多様な人間の生き方を認めることである。

簡単に言えば、職業に対する偏見や差別意識を持たないことであるが、やたらに「あんた、給料はいくらか?」と聞きまくる中国人にとって、この意識改革は極めて難しい。

学歴や給料の多寡では測れない「人間の価値」がある。

そのことを今の中国人が知るのは、いつの日になるのか。中共の呪縛が解けた日から、それへ向けての新しい再生の日々が始まるだろう。

逆に言えば、中国社会でそれが可能になったとき、もはや中共は存在していない。

李凌
エポックタイムズ記者。主に中国関連報道を担当。大学では経済学を専攻。カウンセラー育成学校で心理カウンセリングも学んだ。中国の真実の姿を伝えます!
鳥飼聡
二松学舎大院博士課程修了(文学修士)。高校教師などを経て、エポックタイムズ入社。中国の文化、歴史、社会関係の記事を中心に執筆・編集しています。