「見れば後悔する。見なければ一生後悔する」
「2026年で一番ぶっ飛んだ映画」とまで評されている中国の3Dアニメ映画『牛来(ニウライ)』が、異例のヒットとなっている。
公開から10日間の観客は300人未満。興行収入も7711元(約18万円)にすぎなかった。ところが、その「あまりのひどさ」がネットで広がると、「そこまでひどいなら逆に見てみたい」と客が殺到。17日朝には興行収入が937万元、約2億円まで膨らんだ。
なぜ、ひどいと分かっている映画に、これほど人が集まったのか
『牛来』は、ニウライという名の子牛がオオカミなどの危険に立ち向かい、勇者へ成長する86分の物語である。
しかし、登場人物の動きはぎこちなく、背景も簡素である。字幕には誤字があり、声も不自然。「3D制作を始めて3日目の作品」「昔の無料ゲームのような画質」とまで酷評されている。
転機は8月14日だった。観客の一人が映画館のスクリーンを撮影してネットに投稿し、ついでに作品への不満も書き添えた。すると、その驚くほど粗い画面が一気に拡散した。
「中国アニメ史に残る傑作」
「今すぐアカデミー賞へ」
「この映画のすごさは10年後に分かる」
本気とも冗談ともつかない「絶賛」が相次いだ。作品を本当に褒めているのではない。あえて大傑作として持ち上げ、みんなで笑う遊びである。
この悪ふざけが、最高の宣伝になった。
上映回数は一晩で5回未満から168回へ増え、翌日には300回を超えた。一部の映画館では座席の9割以上が埋まった。普段は映画を見ない若者まで、「祭りに参加する」ような感覚で映画館へ向かった。
『牛来』は映画というより、ネットと映画館を巻き込んだ巨大な参加型イベントになったのである。
制作の裏側
制作の裏側も異例である。主な制作者は、監督の信雨萌氏と母親の孫麗芳氏の2人、親子で約5年をかけて完成させたという。
信氏は監督や制作、声優などをほぼ一人で担い、母親は脚本を担当してエンディング曲も歌った。制作会社も、もとは内装工事会社だった。
配給会社の関係者は監督の知人だった。いざ完成した映画を見てみると、さすがに「これは公開しないほうがいい」と監督を説得した。それでも本人は「どうしても上映したい」と譲らず、最終的に公開を手伝うことになったそうだ。
つまりこの映画、配給側に止められても、監督がどうしても世に出したかった一本なのだ。
上手ではない。洗練されてもいない。それでも、どうしても世に出したい。その不器用な執念が、作品に独特の魅力を与えた。
AI時代だからこそ響いた「本物の粗さ」
生成AIを使えば、それらしい映像を短時間で作れる時代である。ところが『牛来』の粗さは、AIが作ったものではない。一人の人間が5年間、一コマずつ積み重ねた「本物の粗さ」である。
豪華な俳優、巨額の制作費、最新の特殊効果、計算された宣伝。そうした完璧に包装された映画に疲れた観客にとって、『牛来』の隠しようのない不格好さは、かえって新鮮だった。
あるアニメ監督は、この作品には「素朴な疲れと無力感」がにじんでおり、無理に感動させようとしない作風が、若い会社員の感情と重なったと分析した。
美肌加工やフィルターで飾られたSNSの世界で、人々は『牛来』のむき出しの不格好さを見て笑った。その笑いには、体裁を整えながら生きる自分自身への苦笑も含まれていたのかもしれない。
駄作は通過、替え歌は調査 中国映画審査の奇妙な基準
『牛来』のヒットは、中国の映画審査に対する疑問にも火をつけた。
中国で映画を一般公開するには、当局の審査を通り、作品の冒頭に表示される緑色の龍のマーク、通称「龍標」を取得しなければならない。このマークは、その映画が中国国内の映画館で上映を認められたことを示す許可証である。
観客が不思議に思ったのは、これほど粗い作品が、なぜ審査を通過して全国の映画館で上映できたのかという点だった。
映画業界の関係者によると、中国当局の審査は、映画が面白いか、映像が美しいかを評価するものではない。重視されるのは、政治的な一線を越えていないか、当局にとって問題のある歴史表現がないか、映像と音声が正常に再生できるか、必要な手続きを終えているかである。つまり、作品としての完成度は、ほとんど問われないという。
『牛来』は、子牛の成長を描いただけの極めて「安全」な物語だった。そのため、表現がどれほど粗くても、政治的な問題がなく、手続きさえ整えば上映できた。
一方、中国を代表する人気芸人、郭徳綱(かく・とくこう)氏は、舞台で歌詞を即興で変えただけで、当局の調査対象となった。
郭氏は、共産党ゆかりの歌にある湖の名前を、中国最高権力の象徴である「紫禁城」に替えた。その歌詞が「北京の最高指導者の時代が終わる」とも受け取れるとして通報され、当局が調査を開始。その直後、郭氏が率いる劇団の公演も、開催前日になって中止された。
粗い映画は問題なく公開される一方、人気芸人のわずかな言葉遊びは調査される。この対比から、中国の審査が作品の質ではなく、政治的な「安全」を重視していることが見えてくる。
子牛の成長を描いた『牛来』は、どれほど粗い出来でも、政治的に安全だったため上映許可を得られた。一方、中国で広く知られる人気芸人は、舞台で歌詞を一つ変えただけで当局の調査対象となった。
映画の完成度は問わないが、政治を連想させる表現は見逃さない。この鮮明な対比に、ネットでは「中国の審査が守っているのは作品の質ではなく、政治的な安全だ」と皮肉る声が上がった。
映画の題名だけで関連銘柄が急浮上
熱狂は株式市場にまで飛び火した。
中国語で強気相場は「牛市」と呼ばれる。映画名の『牛来』が「牛市が来る」を連想させるため、株式市場の回復を願う投資家の間でも縁起のよい言葉となった。
映画とは関係がないにもかかわらず、「金牛化工」や「公牛集団」など、社名に「牛」が入る銘柄まで注目された。
ある個人投資家は中国メディアに、「相場が下がっているとき、映画代を払って『牛来』の二文字を見るほうが、調査報告書を読むより気分が楽になる」と語った。
もちろん、映画の人気が企業価値を高めるわけではない。投資家の期待や高揚感が生んだ、一時的な盛り上がりにすぎない。
それでも人々が「牛が来る」という名前に引かれたのは、低迷する景気や株式市場が上向いてほしいという願いが、それだけ強いからだろう。
その熱狂が映し出したもの
『牛来』をめぐっては、「不器用な挑戦を応援したい」という声がある一方、「粗悪な作品を持ち上げる悪趣味な見世物だ」と批判する声もある。
ネットで絶賛されたからといって、映画の技術や物語が優れたものに変わるわけではない。しかし、『牛来』現象は単なる「駄作の大ヒット」でもない。
政治的な安全を優先し、作品の質までは保証しない審査制度。巨額の資金と宣伝で作られた映画への疲れ。AIや加工された映像に囲まれた時代だからこそ響いた、人間の手による不格好さ。そして、苦しい景気を冗談に変え、笑いで受け流そうとする人々。
それらが重なり、誰にも見られなかった一本の映画を社会現象へ押し上げた。
『牛来』は、よい映画ではないかもしれない。だが、よい鏡ではある。そこに映っているのは、何もかもがおかしくなった、この時代そのものだ。


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