中国浙江省寧波市で、生後5か月の女児・小洛熙(シャオ・ルオシー)ちゃんが心臓手術後に死亡した洛熙ちゃん事件が、社会に強い怒りと反発を広げている。
遺族が司法解剖報告書を公表したことで、手術が必要な状態ではなかった可能性に加え、術中の重大な過失、切開部の未縫合、手術で使用された補修材の残留といった問題点が次々と明らかになった。
事件は一時、中国のSNSで広く拡散し、「小洛熙」の名は中国のSNS・微博で一時トレンド入りした。だがその後、議論は中国国内で急速に抑え込まれ、継続的な議論は許されなかった。
それでも母親の鄧蓉蓉さんは声を上げ続けている。地面に跪き、不公だと訴え「娘は殺された」と泣き叫ぶ動画は現在も華人圏のSNSで拡散されており「この事件は中国国内では封殺されているため、拡散してほしい」と呼びかける関連動画も相次いで共有されている。
では、なぜ母親はここまで世論に訴え続けるのか。

中国では、病院や行政を相手に正面から争っても、一般市民に勝ち目はゼロに等しい。多くの家族は、声を上げる前に沈黙させられる。その中で、被害者側が最後に頼るのが世論だ。SNSで注目を集めることで、初めて調査が動き出す例もある。世論は、制度の外に残された、ほぼ唯一の突破口といえる。
しかし、世論が注目しても、正義が実現するとは限らない。
それでも、注目されなければ、希望すら生まれない。鄧さんが訴え続ける理由は、そこにある。
なぜ、やる必要のなかったかもしれない手術が行われ、なぜ切開部は縫われないまま、なぜ「成功した」と告げられた直後に娘は命を落としたのか。母親の怒りと絶望の声は、多くの人の胸を締め付けている。しかし、その叫びに応える形での説明や責任の所在は示されておらず、母親が求める正義はいまも遠いままだ。
(跪いて公の場で、娘の事件に関する画像を印刷した大きなパネルを掲げ世論に訴える母親。パネルは最終的に警察によって取り上げられた)

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