日米欧における社会が一般的に誇れるものが一つ挙げれば、それは教育制度である。初等教育におけるクラス規模の問題、高校で実社会で役立つ技能の育成が十分でないこと、大学で左派が圧倒的に優位に立っている点など、課題は確かにある。
とはいえ、教育がより行き渡り、質も向上してきたことは何世紀にもわたる前向きな発展だと言える。
また、社会には学者が内外からの干渉をほとんど受けずに自らの知的関心を見出し、それを追究できる仕組みがある。手順は単純だ。テーマを定め、調査し、資料を精査し、他者の見解を取り入れ、成果を公表する。それによって生まれる知的情熱は、社会全体に利益をもたらしている。
もちろん、課題がないわけではない。科学軽視の風潮が広がり、査読を経た慎重な研究成果が、「無知なインフルエンサー」によって否定される現象が起きている。SNSの影響で、この傾向はさらに加速するだろう。
また、事実が「不都合」とされることで、研究プログラム全体を閉鎖しようとする人々もいる。リベラルで世俗的、民主主義的な社会において、少数の意見が正当な研究や調査を抑え込むことは許されない。特定の研究結果に不快感を覚えるなら、読まなければよい。それだけで問題は解決する。
さて、中華人民共和国が、共産主義独裁政権にとって不都合と見なされる論文の出版を教授陣に禁止するよう高等教育機関に圧力をかけている問題について話そう。
英シェフィールド・ハラム大学ヘレナ・ケネディ国際正義センターの教授ローラ・マーフィー氏は最近、英紙『エコノミスト』に寄稿した論説で、中国の重要鉱物産業におけるウイグル人の強制労働を明らかにした自身のチームの研究を、マーフィー教授の雇用主であるSHUが出版しなかったと述べている。
もちろん、すべての研究が承認されるわけではなく、不完全、提示不足、盗用などの理由で却下される場合もある。
しかし、ここからが恐ろしい。マーフィー教授は、情報公開請求を通じて初めて中共の治安当局が北京の大学学生募集事務所を訪れ、マーフィー教授の研究のために大学のウェブサイトが中国国内で制限されていると告げたことを知った。昨年に当局者が訪れた際には、「脅迫的な口調」で研究中止を求める明確なメッセージも伝えられたという。
詳しく見てみよう。ある米欧の大学は、中共当局の脅迫だけを理由に教授の正当な研究を取りやめさせた。マーフィー教授は記事で、中共当局と民間企業(おそらくウイグル人の強制労働を利用する企業)が、長年にわたり同教授の研究を妨害してきたと指摘している。
なぜこのような対応をしたのかと尋ねられた大学は、信じがたい回答をした。「(決定は)必要な専門職賠償保険が確保できなかったなど、当時の複雑な事情に基づくもので、中国での商業的利益によるものではない」。
誰がそんな話を信じるだろうか。大学は明らかに中国の学生市場(つまり資金)を意識し、中国本土のキャンパス閉鎖を恐れていたのだ。北京政権を宥めるために、自校の教授の研究を犠牲にしたのは、独裁政権が「ここには何もない」と世界を欺こうとする典型例の一つだ。
しかし、この話には明るい兆しもある。マーフィー教授が訴訟を示唆すると、大学は態度を軟化させ、謝罪し、研究を「継続できる」と認めたのだ。
このエピソードの重要性は大きい。マーフィー教授はこう述べている。「学問の自由は、民主社会における知識創造の基盤だ。それを守るためには、大学は権威主義的政府の報復から研究者を守り、脅迫や研究制限に屈してはならない」
では、どれだけの大学が中国に媚びているのだろうか。どれだけの学者が、あの赤龍を恐れて研究資金を失うのだろうか。この道徳的臆病さによって、どれだけの分野が影響を受けるのだろうか。今こそ、特に人権侵害に関する研究が、継続されるだけでなく十分に支援されるという原則を守るべき時だ。
ジョン・F・ケネディ米大統領はかつて、「教育の目的は知識の進歩と真実の普及である」と述べた。一部の大学管理者は、基礎に立ち返る必要があるだろう。

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