ハンマーの音は、怒りでも焦りでもなかった。10月26日、上海・浦東新区。国内最大規模の貴金属チェーン「中国黄金」の店舗での出来事である。
昼前の明るい時間帯に、一人の男がサングラスとマスクをつけて店に入った。手に持っていたのはハンマーと、スーパーのレジ袋だけ。男はショーケースの前に立ち、ガンガンと音を立ててガラスを割った。
割れ口から金のネックレスや指輪を一つずつ拾い、静かに、落ち着き払った手つきで袋へ入れていく。その慎重さは、まるで「盗み」ではなく「陳列」をしているかのようだった。
見物人に囲まれて、男は淡々と作業を続けた。怒号も悲鳴もない。現場には暴力性も緊迫感もなく、ただ奇妙なほどの静けさが漂っていた。
店の外では、数十人もの野次馬がスマホを構え、警備員たちは鋼鉄の刺股を手にしながらも動けずにいた。強盗という危機的状況であるにもかかわらず、男の落ち着き払った様子に、彼らのほうがむしろ困惑していた。
(市民が撮影した犯行の一部始終)
やがて警備員らがゆっくりと店内に入り、男を押さえつけた。抵抗はなかった。彼は捕まることを、最初から決めていたようだった。警察は「容疑者の男(曹、37歳)をその場で逮捕。けが人はおらず、金製品もすべて無事だった」と発表している。
ネット上ではこの異様な強盗劇が瞬く間に拡散された。
「そんなに刑務所に行きたいのか?」という書き込みが相次ぎ「借金まみれで食う飯もないくらいなら、三食付きで寝床もある刑務所で暮らしたほうがマシ」
「それにしても、ナイフも持たないなんて強盗業界への冒涜だ」といった皮肉なコメントが並んだ。
苦労して生きるより、捕まるほうが楽。
そんな国になってしまったのかもしれない。
経済が沈み、職が消え、人が心を失ったこの街で、
男のハンマーの音だけが、不思議に澄んで響いていた。
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