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【プレミアムレポート】JFK暗殺文書 真相解明どころか謎が深まる

2025/03/21
更新: 2025/03/21

1963年11月22日に起きたジョン・F・ケネディ元大統領暗殺事件に関する数千ページにおよぶ文書が、3月18日深夜に公開された。新たに公開された文書には、諜報活動に関する詳細が記されている一方、新たな情報はほとんどなかった。

長年にわたって、機密解除を待ち望んできた研究者たちの間では、今回公開された文書の内容に疑問を呈する声や、まだ公開されていない、あるいはすでに破棄された文書の存在を懸念する意見も出ている。公開された文書の多くは、デジタル化されているが、資料そのものの劣化や不十分なスキャン技術により、判読が困難なものも少なくなかった。

政府による情報開示の遅れに対する批判の声は、根強く、こうした不透明さがさらなる憶測を呼び、政府への信頼を損なっているとの指摘もあった。

今回新たに公開された文書の多くは、ロシアやキューバに対抗するCIAの活動に関するもので、外国政府の信用を失墜させ、打倒することを目的とした、政治的・心理的手法を用いたクーデター計画が含まれていた。

1963年10月付のCIA機密文書には、キューバの商船に対する攻撃計画について、具体的に質問された場合、「一切コメントせず、全面的に否定するように」と現場の工作員に指示する内容が記されていた。この文書によれば、キューバ革命の指導者フィデル・カストロは、イタリア・ジェノバ港に停泊中の同船に仕掛けられた爆弾(未爆発)について、CIAの関与を疑ったとされていた。

文書の一部では、諜報情報の収集手段や記録の管理方法についての詳細も記されている。情報が、他国の手に渡ることを防ぐため、証拠の破棄を指示する内容も含まれていたのである。

公開された複数の文書により、ケネディ元大統領の暗殺犯とされたリー・ハーヴェイ・オズワルドが、事件前から米政府の監視下にあったことが判明した。

ケネディ元大統領を殺害した単独犯として特定された。多数の文書によると、オズワルドは諜報機関と幅広い人脈を持っていた(Donald Uhrbrock/Time Life Pictures/Getty Images)

文書によると、リー・ハーヴェイ・オズワルドは、情報機関との広範な接点を持っており、暗殺前の数日から数か月にかけて、欧州の関係筋からアメリカの機関に対して、オズワルドの動向に関する情報提供が行われていたという。

ウォーレン委員会によれば、オズワルドはカルカノ銃を使い、わずか8.3秒の間に3発発砲。そのうち2発目と3発目がケネディ元大統領に命中したとされている。

しかし、旧ソ連の諜報機関KGBの関係者は、この見解を否定し、オズワルドを「射撃の下手な人物」と評価。暗殺は複雑に仕組まれた「クーデター」の一環だったとの見方を示している文書も存在した。

新たに公開された報告書によれば、元CIA工作員のゲイリー・アンダーヒルは、「ケネディ大統領は、CIAに殺された」と当局に話していたという。アンダーヒルは1964年、自殺と見られる状況で死亡した。

報告書では、アンダーヒルが友人らに対し、ケネディがCIA内の一部の「ならず者」勢力による武器・麻薬の密輸や政治的攪乱活動の証拠を掴んだために、命を狙われたと語ったことも明かされていた。

犯罪研究者で作家のジョン・リーク氏は、アンダーヒルの死について、

「彼は1964年時点で十分に経験豊富だった。根拠のない主張をするとは思えない」

と、大紀元に語り、

「彼は真実を知っていたと断言していい」

と述べたと言う。

また、1964年に行われた調査で、当時のリンドン・B・ジョンソン大統領は、

「CIAは常に『汚い仕事』と結びつけられている」

と、述べ、同機関に対し、

「スパイ映画のようなイメージを払拭すべきだ」

と、助言していたことも、文書に記録されている。

別の文書では、暗殺の別の説を扱った著者やジャーナリスト、その家族が調査対象となっていたことも明らかにされていた。

CIAのキューバおよびマイアミに関する活動を記したファイルによれば、一部の報道関係者は、機密保持や「重大な不名誉をもたらす可能性のある」話題を回避することで、CIAにとって有利に働いていたという。報告書は、この展開を、

「一部は運によるものであり、一部は報道関係者の友好的かつ協力的な姿勢のおかげだった」

と、記されていた。

しかし、1967年2月の文書には、

「とはいえ状況は、依然として微妙だ。たとえ善意があったとしても、地元メディアの記者たちは、自分たちの地元で起きた重要な話を外部の者に先取りされるわけにはいかない」

と、書かれていた。

CIAは、海外のメディア機関への影響力の強化や関与も試みており、各国の諜報機関との協力や情報共有の事実が記録に残っていた。

他国も諜報活動に関与しており、イギリスのMI5は、映画『JFK』でも描かれた当時のニューオーリンズ地方検事ジム・ギャリソンと、イギリスのある財団との通信を監視していた。

一部の外国政府は、特定の文書を非公開のままにしようとする動きも見せていた。

研究者と記者が、1993年8月23日に米国国立公文書館で、1963年のジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関する文書を精査している(John Harrington/AFP via Getty Images)

イスラエルやその諜報機関に関する言及は、CIA防諜部門の元責任者ジェームズ・アングルトンに関係する文書から削除されていた。アングルトンはのちにイスラエルのスパイとされ、1975年に当時のCIA長官ウィリアム・コルビーにより解任された。

また、イスラエルの核開発をめぐる問題を背景とした、アングルトンとケネディとイスラエル政府間の緊張関係に着目する研究者もおり、暗殺の動機に関するさらなる議論がいまでも続いていたと言う。

研究者が求めていた、アングルトンが米上院チャーチ委員会のインタビューに応じた内容を記した74ページの文書は、今回のデジタル公開には含まれておらず、米国立公文書館に保管されている可能性がある。

また、豪州の情報機関ASIOの長官チャールズ・スプライは1968年、1963年に在キャンベラ米国大使館にかけられた電話についての文書(CD971)の非公開を要請していた。これに対し、当時のCIA長官リチャード・ヘルムズは、

「文書を一般公開すべきでない十分な理由がある」

と、同意を示していた。

トランプ大統領は、2024年1月23日、ケネディ暗殺、ならびに1968年に暗殺されたキング牧師、ロバート・F・ケネディ元司法長官に関するすべての文書を公開するよう命じた。

ホワイトハウスの声明では、「これらの事件から半世紀以上が経過しており、遺族と国民には真実を知る権利がある」と述べられている。

トランプ氏は、3月18日にワシントンのケネディ・センターを訪れた際、翌日までに約8万の文書が公開されると発表。実際、3月19日朝までに、米国立公文書館のサイトには約2200件のファイルリンクを通じて、6万3千ページに及ぶ資料が公開された。

ホワイトハウス関係者は、

「残る文書も現在デジタル化が進められており、ワシントンD.C.の国立公文書館で閲覧可能だ」

と、説明した。

一部文書は、個人の税務情報や大陪審に関する機密保持のため、裁判所の命令によって封印されており、公開はその解除を待っている状況にあると言う。

国家情報長官室は、「公文書館は現在、司法省と連携して文書公開を急いでいる。多くの情報はすでに大陪審で扱われたもので、裁判所の判断が出ればすぐに公開できる」

と、説明している。

ケネディ元大統領の暗殺に関する文書は、現在、米国立公文書館に約600万件が保管されている。その大半は、1992年に制定された「ジョン・F・ケネディ元大統領暗殺記録収集法(the President John F. Kennedy Assassination Records Collection Act)」に基づき、国民の閲覧に供されるようになった。同法は、2017年までにすべての関連文書を全面公開するよう義務づけていた。

トランプ氏は、1期目在任中に一部の文書を公開したが、情報機関の助言により、残りの文書の公開を見送った経緯があった。

その後、ジョー・バイデン前大統領も1万3千件超の文書を公開したものの、機密性の高い文書の一部については「国家安全保障上の懸念」を理由に、2度にわたって公開を延期したと言う。

現在、大紀元はデジタル化された新たな公開文書群と、米国立公文書館に保管されている資料の精査が進められていると言う。

カリフォルニアを拠点とする熱心な読書家であり、ジャーナリズムである。大紀元の金融、政治、州議会、そして速報ニュースを担当している。