異例!紫禁城が水浸しに 中国共産党の終焉の兆しか?

2023/07/31
更新: 2023/07/31

最近、北京にて異例の現象が発生した。繰り返し降り続く大雨の結果、紫禁城(故宮)が水浸しとなったのである。これは、過去に記録されたことのない事態で、多くの人々を驚かせた。

象徴的な意味:紫禁城と国の運命

紫禁城の排水システムの優秀さを誇りにしてきた中国の人々は、なぜ紫禁城が水浸しとなったのか、また、その現象が王朝の運命に関連しているのかと疑問を抱いている。

時事評論家の横河氏は、紫禁城が皇帝の住まいであり、明清両王朝の君主たちが住んでいた場所であることから、国の運命を象徴しているとも解釈可能であり、突然水浸しとなった紫禁城は、現政権への良からぬ兆候である可能性があると述べている。
 

都市化の影響:河川の消失と排水問題の発生

しかし別の観点から見れば、具体的な原因を追求することも可能である。紫禁城の排水設計が優れていたのは明清両代の時期で、その設計は当時の中国華北地域の河川流域を基にされていた。だが、中国共産党が政権を掌握した後の華北地域、特に海河流域での大規模な治水工事の結果、多くの重要な河川が失われた。

それらの河川は枯れたわけではなく、存在そのものが消失し、その代わりに住宅地が広がるようになった。さらに、北京の都市化が進行するにつれて、かつて紫禁城が中心であった北京が大都市へと変貌し、全体の排水システムが問題を抱えるようになった。特に、紫禁城の排水システムが十分に機能せず、紫禁城が水浸しになる状況が発生した。

かつては故宮から流れ出る水が農村の各種の水系に流れていたが、現在はそれが行われていない。
 

古代の排水設計:「水は低いところへ流れる」

中国語大紀元時報の総編集長である郭君氏は、「中国人は風水を重視する。紫禁城の水浸し問題は良い兆候ではない」と述べている。紫禁城は明代に建設されて以来600年以上、水害に見舞われることはなく、その排水システムの優れた性能は広く認識されており、以前、北京のメディアはこれを非常に誇りに思っていた。

「大雨が降っても、街中が水浸しになっても、紫禁城内は何も問題がない」という事実である。

驚くべきことだ。その排水設計は複雑であるものの、その原理は「水は低いところへ流れる」一つだけである。下が流れていれば、上は水浸しにならない。

紫禁城の設計は北が高く、南が低いという構造で、北側の地面は南側よりも2メートル高い。そして内金水河と呼ばれる小川がその中を流れている。その流れは天安門を通じて外へ流れ出し、中国共産党の国家権力の中心地である中南海に注ぐ。すなわち、中南海の水が詰まらなければ、紫禁城は浸水しない。
 

中南海の問題:水の問題かそれ以上か

郭君氏は、なぜ中南海が詰まったのか、その背後に何があるのかを問いかけている。これはただの水の問題だけでなく、中国人が重視している「国を治めることと水を管理すること」の観念に基づく問題である可能性がある。

風水は大きな学問領域であり、紫禁城は北向きに座り、いわゆる「九五之位」、すなわち皇帝の位置にある。

紫禁城内の内金水河は北西から南東に流れ、中国の大きな川の流れる方向と一致している。したがって、紫禁城内部は、実は中国の縮図である。皆が「紫禁城が詰まった」「水没した」と聞くと、非常に敏感に反応するのはそのためだ。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
石山
時事評論家。香港紙、経済専門誌のコラムニスト、米ラジオ・フリー・アジアの番組ホストを歴任。