ChatGPTの登場で改めて知る 昔ながらの教育の大切さ

2023/02/13
更新: 2023/02/13

今や教師のほとんどは、人工知能プログラム「ChatGPT」の存在を耳にしている。人間離れした文章作成能力を持つChatGPTは、世の中のありとあらゆる話題のほとんどについて、明快で、一貫性があり、読み手を感服させる文章を書くことができてしまう。

どんな文章でもChatGPTにお任せあれ。カナダ史を要約した1000字の注釈付きレポート、好きな都市の美点を褒め称える500字の記事、皆に良い1日が来ることを願う50字のハッシュタグ付きツイートだって書けてしまう。今まで数時間かけて書いていた記事やレポートは、今やほんの数秒で出来上がる。

無論、この新しいAIプログラムが教育現場に与える影響は大きい。教師たちは常日頃、生徒たちがこのプログラムを悪用しないよう見張っていなければならないが、ChatGPTによる不正行為を暴くのはほぼ不可能に等しい。ChatGPTは、同じ質問に対して異なる回答を出すだけでなく、文体を変えたり、意図的に事実と異なる内容を回答に加えたりすることもできる。こうして、生徒が課題提出に際して不正行為をおこなっていることを証明するのは非常に難しくなる。

当然のことながら、進歩主義的な教育者たちはこのAIプログラムに飛びつき、従来型の学校教育から抜け出すべき時が来た証だと主張している。彼らにとってChatGPTは、必要な情報はすべてインターネット上で入手できるのだから、詰め込み型のカリキュラムを行う意味はほとんどない、という主張を裏付ける確たる証拠となった。その上彼らは、今や暗記する必要性がなくなり、生徒らに筆記テストをさせる理由はないとも主張する。

進歩主義的な教育者たちは代わりに、より一般的な技能に重点を置こうとしている。その典型的な例に、いわゆる「21世紀型スキル」運動がある。この運動は、教師らが生徒に具体的な学習内容を身につけさせるよりも、創造力や批判的思考、協力性といった互換可能な技術に焦点を当てることを求める。カナダのブリティッシュ・コロンビア大学は数年前に、基礎学力や本質的な学習・技能を柱とする「新K12カリキュラム」を発表しており、すでにこの分野において大きな躍進を遂げていた。K12とは幼稚園から高校3年生までの13年間の教育期間を指す。

しかし、ChatGPTをはじめとする人工知能プログラムは、練習や暗記が時代遅れどころか、昔ながらの教育がこれまで以上に重要であることを証明している。生徒らは宿題で不正行為をすることができても、携帯やパソコンの持ち込みが禁止される筆記テストではChatGPTの助けを借りることはできない。

今後まもなく、テストや試験だけが、教師らが生徒の真の学習到達度を測れる唯一の手段となるだろう。従来型のテストを放棄するのではなく、生徒たちが筆記テストを受ける頻度を上げるべきだ。テストこそが、授業で得た実際の知識と身につけた技能に基づいて生徒を評価できる、最も良い方法だ。

また、州における統一試験を復活させることも重要だ。不幸なことに、ほとんどの州で統一テストが廃れてきている。教員組合からの執拗な圧力によって、各州政府は統一テストの数を減らし、100点満点評価を減らし、教科ごとの具体的な知識を軽視せざるを得なくなった。明らかに、状況は間違った方向へと進んでいる。生徒が一貫して公正に評価されていることを保証するためにも、重要なことは、さまざまな教科分野や学年で統一テストが行われることだ。

もちろん人によっては、数時間の作業から数秒の作業へと短縮してくれたChatGPTがあるにも関わらず、なぜ生徒にレポートの書き方を一から十まで教える必要があるのか、と疑問に思うものもいるかもしれない。しかし、計算機が発明されても四則計算が廃らなかったように、ChatGPTの出現も、文章の書き方の学習を時代遅れにはしないだろう。

文章を書くということは目的を達成するための手段以上の意味を持つ。我々は書く過程において、自らの考えを理論化し、自らの立場について深く考え、相手の意見に反論する。ChatGPTに質問すれば、すぐに答えが得られるかもしれない。しかしそれは、個人が導き出す回答の信頼性に勝るものではない。

ChatGPTは確かに、会議で使われるありふれた前置きを書いたり、会社の広告パンフレットを整理したり、SNSで一般的な投稿を作成する際に時間短縮の道具にはなる。だからといって、人類が働く必要がなくなったなどと結論づけるのは早合点だ。いつの時代になっても、J・R・Rトールキンの「ロード・オブ・ザ・リング」といった古典を超えるものはない。

テクノロジーは素晴らしい道具だが、それはただの道具にすぎない。昔ながらの教育を捨ててはならず、むしろ、それはこれまで以上に重要なものになっている。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
マイケル・ズワグストラ氏は米公立高校で教鞭を執る傍ら、カナダの公共政策シンクタンク「Frontier Centre for Public Policy」で上級研究員を務める。著書に、『A Sage on the Stage: Common Sense Reflections on Teaching and Learning.(舞台上の賢人:指導と学習についての常識的熟慮)』がある。
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