9月27日、日本武道館で挙行された安倍晋三元首相の国葬において、友人代表として御霊に向かった菅義偉前首相の弔辞が、多くの人の胸に響いた。
涙をこらえて語った「盟友の弔辞」
故人と長年苦楽をともにし、困難な政局を何度も乗り越えてきた盟友ならではの、まさに悲しみをこらえた魂のスピーチであった。
その弔辞のなかで菅氏が引用したのは、生前の安倍氏が読んでいた書籍のなかにあった、明治の元勲・山縣有朋(やまがたありとも)が詠んだ和歌であった。
かたりあひて尽しし人は先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ。
歌意は「ともに語り合い、いつも話を尽くした友は、先立ってしまった。これから後の世を、どうしたらよいのか」。
山縣が、同じ長州人で、幕末維新の時代をともに駆け抜けた朋友である初代総理・伊藤博文の逝去にあたって詠んだ一首である。
菅氏が「この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません」と述べたように、改めて大きな悲しみを感じるとともに、政治家として今後の日本をどのように運営していくかについて、大きな道標を失った戸惑いを正直に吐露したものと言えるだろう。
しかし、私たちは迷うことはない。なすべきことは、はっきりしている。
故人の遺志をしっかりと受け継ぎ、それを着実に発展させていくことに他ならないからだ。
人の死は誠に悲しいものである。ましてテロリズムによって命を奪われるなど、世界のどの国であっても、断じてあってはならない。
ただ、語弊を恐れずに言うならば、安倍晋三氏の御霊は、あの夏の日に、私たちの前から突然去ることによって永遠のものとなったのではないだろうか。それを肯定することは大変辛いのだが、「このような形」になったことに何らかの意味があるとすれば、歴史が今まさに動いている証左と言えるかもしれない。
葬儀は、残された人々が自身の悲しみに区切りをつけ、次の一歩を踏み出すための機会でもある。安倍氏はもうこの世におられないが、私たちは、それぞれが曇りのない心をもつことで、天国の安倍晋三さんと直接語り合うことは不可能ではない。もちろん「私たち」とは、あの場所で国葬反対のプラカードを掲げていた人たちも含めて、という意味である。
真相解明されなかった伊藤博文暗殺事件
1909年10月26日。日露戦争後ではあるが、清朝はまだ倒れていない。
その日の午前9時、ロシアが権益をもつ満州ハルピン駅に、初代総理・伊藤博文は特別列車で到着した。プラットホームに降り立ち、迎えの人々と握手を交わしていたところ、韓国の民族運動家・安重根(あんじゅうこん)に至近距離から銃撃され、およそ30分後に絶命する。
安重根が手にしていたのは、米ブローニング社の自動拳銃であった。発砲したのは7発全弾。うち3発が伊藤博文に当たっている。ハルピン駅のホームには、警備も兼ねて、迎えのロシア兵が整列していたし、清国の兵士もその隣に並んでいたが、犯人を取り押さえたのは凶行の全てが終わった後であった。
事件についての詳細をここに記すつもりはないが、伊藤博文暗殺事件について、不可解な点が多いことは、当時からも言われてきた。
通説では、実行犯は安重根ひとりということになっている。しかし、伊藤博文の体内から摘出された銃弾の形状や射角からして、複数犯の可能性も否定できないのである。
明らかなことは、安重根にはほとんど共犯者と言うべき同志が複数おり、背後に組織があることだ。暗殺者グループに資金を供与し、アメリカ製の高性能な拳銃を与えて教唆する黒幕がいなければ、このようなテロリズムは起こり得ない。しかし当時は、その真相解明までは至らなかった。
「不可解なことばかり」の7・8テロ
それから113年後になる2022年7月8日。
日本の奈良で、同じようなテロが行われるとは、誰が予測できただろう。
起こってはならない事件は、最悪の結果をともなって発生した。現行犯逮捕された容疑者は、逃げもせず、抵抗することもしないで、まるでそれを予定していたように捕まった。一般に伝えられる報道によると、容疑者の単独犯で、安倍氏がある宗教団体を支持するビデオメッセージを送ったことが一因であるという。
「本当か?」と、誰もが疑問に思うのも無理はない。
たとえ容疑者の家庭に何があったとしても、そんなことぐらいで、密室で手製の銃をつくり、獣のように機会を狙ったうえで安倍氏の背後から狙撃する理由になるのか。
さらには、逮捕された容疑者の「あらかじめ用意した供述」が、捜査側の思考に枠をはめている可能性はないのだろうか。
先日、大紀元の取材に答えた前衆議院議員・長尾敬氏は、安倍氏の救命にあたった奈良県立医大の説明と、司法解剖で明らかになった状況との間に大きな矛盾点があることを指摘した。
確かに、「体の右側から入った弾が心臓に致命傷を与えた」とする医師団と、「心臓に傷はない。左上腕部から入った弾が左鎖骨下の動脈を損傷したことで失血死した」とする警察の発表は、あまりにも食い違っている。
弾の飛んできた方向が分からなければ「犯人は誰なのか?」ということに影響するだろう、と長尾氏は言う。さらに長尾氏は、そうした基本的な疑問が解明されない現状に懸念を示すとともに、「既存のメディアが、なぜそこを追求しないのか」と指摘する。
長尾氏の指摘は、メディアの一端である弊紙も姿勢を正して承った。
もちろん、刑事事件としての全容解明は、痛恨の大失態を演じてしまった日本警察の威信にかけて、必ず成し遂げられなければならない。
百年前の伊藤博文暗殺と同じように、真相不明のままお蔵入りさせてはならないのだ。
故人の遺志を継ぎ「日本を前へ」
安倍晋三氏は、美しく、強い日本をつくるため、誠意をもって日本国民に語りかけた。
そして、自由と民主主義を共有できる大切なパートナーとして、台湾を「日本の永遠の友人」と明確に位置づけた。
並の政治家にはない安倍氏の傑出した胆力は「台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事である」の言葉に結実するとともに、世界の偉人史にその名が刻まれたと言ってよい。それは、日本および台湾の国民を守るリーダーの覚悟であるのみならず、たとえ時間はかかっても、中国共産党に洗脳された中国人民が、いつか本当に覚醒することにもつながるだろう。
国家をになう政治家として極めて正当な安倍氏の理念を、中国共産党は、ほとんど恐怖にちかい錯乱状態をあらわにして否定した。それはまさに、急所を突かれた悪魔の反応である。
安倍晋三氏は天へ召されたが、その遺志は、日本と日本人に確実に残った。今は、悲しみを乗り越えて前へ進むことが、私たちの責務である。
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