中共「土地改革」に始まる集団的狂気【20世紀の記憶】

2022/09/18
更新: 2022/10/21

少し古い日本語に「農地改革」という言葉がある。
およそ75年前、戦後のGHQ統治下の日本で、地主の所有していた農地を農林水産省がいったん買い上げ、その地主のもとで働いていた小作人に無償で分配した政策をいう。

 

「農民に土地を与える」その真意は何か?

同じく、中国語にも「土地改革土改)」という言葉がある。

「それまで地主が所有していた土地を取り上げ、貧農に分け与える」という。1949年以前にも中国共産党が制圧して「解放区」と呼んでいた農村では、少しずつ実施されていたが、中共政権下の1950年ごろから全国的に始められた政策である。

しかし、その説明だけでは、日本の農地改革とさほど変わらない印象をもたれてしまうかもしれない。

中国の土地改革(土改)には、「旧地主とその家族、同族など、少なくとも300万人が殺された」という恐るべき補足説明がつく。日本の農地改革とは、全く違うのである。

中共の恐怖政治はまだ序の口であるが、ともかく広範な中国人民に向けてその恐るべき本性をあらわにするのは、この時からである。ただし、この時点では、「打倒すべき人民の敵」は地主階級に限られていた。文字も知らない農民に、政治理論など理解できるはずもない。農民はまだ、厚遇される「お客さん」だった。

確かにその時、生まれて初めて自分の土地を手にした中国の農民は、涙を流して喜んだ。

その時に限って、農民は「毛主席と中国共産党へ、絶大な感謝の念をもった」と言って間違いではないのだが、これは実は、そのように農民を始めだけ喜ばせることが織り込み済みの「仕組まれた演出」であったと見るべきであろう。

 

恐るべき「人民裁判」の狂気

ソ連は1920年代から農業集団化を実施している。毛沢東の脳裏には、もちろんソ連モデルの大規模農業があった。つまり、中国の農民を、零細の自営農のままにしておくはずはなかったのである。

毛沢東は、それまでの小規模な農業集団である合作社を段階的にまとめて、1958年から「人民公社」を開始する。農民に一度与えた土地を、容赦なく引きはがしたことになる。

さて、話が前後するが、その地主はどうなったか。

地主は、村の広場に引き出され「人民裁判」にかけられた。
中央に直立あるいは跪かせられた、かつての「旦那様」である地主に対して、使用人であった貧農や小作農たちがとり囲み、すさまじい罵声を浴びせた。竹竿に掲げられた横断幕には、墨も黒々と「被告」である地主の名前と罪状の数々が書かれている。

「書かれている」と言ったが、その文字は、もちろん農民が書いたものではない。

そうした場面の設定は、すべて「演出家」である中共党員が指導してやっている。
それを宣伝用に撮影する場合もある。当時、モノクロとはいっても写真や映像のフィルムは貴重品であるから、必ず「よく撮れるように」きちんと段取りがなされてから撮影される。

撮影側にとって重要なのは、その場の「空気」である。激しい身振りと鬼のような表情で罵る農民たちと、自分の「罪」を認めて泣きながら命乞いする地主のギャップが大きければ大きいほど良い。集団的狂気となったその場は、共産邪霊が最も好むものである。

 

「見せもの」の処刑に興奮する衆愚

やがて群衆の興奮が頂点に達すると、四方八方から「殺了(シャーラ)!」の声が飛ぶ。

「殺してしまえ」の意味である。すると、群衆が情けを覚える前に、現場を管理していた共産党員が流血してもよい場所へ地主を連れて行き、小銃の1発または鉄棒で頭を殴って始末してしまうのだ。

それは例えばフランス革命のとき、ルイ16世が断頭台にかけられ、処刑されるのを見て興奮する無知な群衆にも似ている。中国共産党は、常に衆愚の上に立つ権力である。

そうして「土地改革」の犠牲となった地主とその関係者は300万人とも言われるが、実数は(それ以上である可能性もふくめて)まだ分からない。

 

農民の証言「昔の地主のもとで働きたい」

ところで、中共が宣伝するように、地主は「農民から搾取する絶対悪」だったのだろうか。

中共の「土地改革」について、中国人の元大学教師で、現在は米国在住の研究者・譚松氏が、極めて貴重な現地調査報告『血紅的土地(血の赤にそまった土地)』を著している。

譚氏は、自ら農村に何度も足を運び、当時を知る古老に直接会ってインタビューをするなど、勇敢としか言いようがない業績を残した人である。

譚氏によると、「多くの農民たちは、人民公社で働くよりも、昔の地主のもとで働くことを望んでいた」という。

つまり、旧時代の地主と農民との関係は、少なくとも中共が言うようなひどい関係ではなかったというのだ。おそらく、それが真実であろう。

 

中共こそが「悪魔的な地主」だった

中共は常に、「解放前」の暗黒時代と、その後の「新中国」を対比させて自画自賛をする。
しかし、最も恐るべき「悪魔的な地主」は、中国共産党そのものであった。

まもなく、大躍進政策の目玉である人民公社は、その生産力が破綻する。
ところが「我が公社は大豊作です」と毛沢東に報告している手前、政府に上納する作物を減らすわけにはいかない。その結果、1959年から61年にかけて起きた大飢餓のため、中国の農村は数千万の餓死者を出すのである。

1940年代、中国共産党が延安に根拠地をもっていたころ、毛沢東は「延安整風運動」という大粛清を行い、大量の中共党員を殺した。しかし、それはあくまでも党内での殺戮であって、一般の民衆には知らされなかった。

党員ではない一般の中国人に大規模な危害が及ぶようになった始めが、この「土地改革」である。これによって中共は、古くから続く農村社会の機能と伝統を完全に破壊し、マルクス・レーニン主義を中国全土に浸透させた。

中共の理不尽な政治は、その後の政策の全て、ひいては今日のゼロコロナ政策にも通じるところがある。中国共産党は、70数年経っても変わっていないのだ。