<赤龍解体記>(32)北京大教授、毛沢東否定を呼びかける

2011/09/19
更新: 2011/09/19

【大紀元日本9月19日】北京大学社会学部の鄭也夫教授(61)は、中国の知識人を研究対象とした社会学的研究をもっとも早く行った中国を代表する研究者である。鄭氏の先鋭的な論点と見識は注目され、かつしばしば論争を招いてきた。

この頃、ある集会で講演を行い、その後自らのブログに掲載された鄭氏の「毛沢東への否定が完成されなかったのは、歴史的遺憾だ」と題する文章が、中国のインターネットで広く伝えられ、話題を呼んでいる。その内容は次の通り。

「歴史は仮説をしない」ということばがかなり流行っているが、わたしはこの言い方は愚かでかつ横暴だと思う。もし歴史を一局のさし終えた碁に譬えるなら、歴史学者たちはその対局をひたすら再現しているのではないか。したがって、「歴史は仮説をしない」と言うのなら、歴史学を取り締まることに等しいであろう。

30年前に定められた『建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議』(1981年6月27日、中共第11期中央委員会第6回全体会議で可決、以下『決議』)の中で光っているものは、時の流れにつれて日増しに暗くなる一方、『決議』の中の荒唐無稽のものがかえって永遠不動のものとなってしまう。

今日見てもそうだし、昨日の賢い人が見ても同じだが、この『決議』は文化大革命を否定したものの、それを引き起こした張本人およびそれの設計者を否定できなかった。今日、歴史を振り返ってみて、わたしは本当に遺憾に思っている。その遺憾の前に二つの修飾語をつけたい。つまり、「歴史的な遺憾」と「永遠の遺憾」である。もし、当時の中共には条件的に毛沢東を否定することができなかったとしたならば、わたしは遺憾とは言わない。わたしが遺憾だというのは、当時、毛沢東に対する否定はあとわずか一歩のところで実現されなかったからだ。

これは、中国人、そして_deng_小平にとっても挽回できない損失なのである。中国人は毛沢東のような指導者に巡り合い、30年間深い苦難が続いた。したがって、彼らはこの人物を徹底的に否定し、祭日のような大きな快感を楽しむ権利があるのである。

_deng_小平は毛沢東を否定できたはずだが、彼はそれをしなかった。もし30年前に毛沢東を否定したら中共は崩壊に至っただろうか。そうはならなかったであろう。ソビエトの二十大で、フリシチョフがスターリンを否定したが、ソビエトは崩壊しなかった。_deng_小平とフリシチョフには、それぞれ長所と短所があるが、_deng_小平のキャリアはより深く、声望も高い。むろん、それだけに、彼は深くボスの犯した誤りに包まれていたもののの、_deng_小平はフリシチョフより才能が優れているので、もし毛沢東を否定していたならば、その後の時局を制御することもできたはずである。

毛沢東時代に、全国民は愚民政策に苦しめられていた。もし当時毛沢東を否定する思想的暴風雨を経験したならば、われわれの思想はそれぞれに向上したに違いない。もし、その思想的暴風雨の遺産を受け継いだなら、_deng_小平もその後の_deng_小平ではなかったはずである。彼は80年代末に、毛沢東がかつて犯した誤り、つまり自ら選んだ後継者を斬るような悲劇を踏襲することがなかったはずである。わたしはこう考えている。もし、当時毛沢東を否定していたら、中国の歴史は違ったものになっているにちがいない。

きわめて遺憾なことである。その快感を、中国人は永遠に体験することはできないであろう。では、今になって、このようなことをまだやる必要があるのか。依然として必要である。しかもやるなら、急がなければならない。これ以上遅れてしまえば、若者たちはより麻痺し、何が提起されているのかということすらも分からなくなってしまうからである。今、それをめぐって対立がある。これはいいことだ。論争が無ければ社会や若者たちの関心をひきつけられない。

今になって、毛沢東を否定する意味は何か。毛沢東は、人類文明の若干の極限を突破するという罪を犯した。したがって、毛沢東否定は、人類文明の最終ラインを守ることになる。もし、われわれがそれを守らなければ、われわれの民族はいつかまた人類文明の極限を突破することになるのかもしれない。

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