【新紀元】上海万博 中国人のマナー意識をめぐる論戦(下)

2010/10/10
更新: 2010/10/10

【大紀元日本10月10日】史上最大規模を誇る上海万博も残りわずかとなった。各国パビリオンに勤める外国人スタッフにとっては、万博はすでに長き戦いと化している。不正行為、スリ、落書き、公共物の破損、日常となった「突発事件」などに、外国人スタッフは戸惑い、東方中国に抱いた憧れや好感はいつのまにか失望へと変わってしまった。

「上海万博:中国人の面目 丸つぶれ」と題する一篇の記事は、そんな「突発事件」に迫ってまとめられている。人気大衆紙・南方週末の陳鳴記者によるこの長編記事は、外国人スタッフの目に映った様々なマナー違反や非常識の出来事をつづっている。

一方、ブログ作家・楊恒均氏は、この記事を読んだ後、わざわざ上海万博に足を運んだ。彼もまたチケット販売者から上海万博の数々のカラクリや内幕を聞き出し、参観者のマナー違反を増幅させたのは、誇張した宣伝や歪んだ主旨だと指摘した。「中国人はそんなにマナー意識が低いだろうか?5時間並ぶ長蛇の列、倒れる人もいる。疲れの限界に達した人は、気が狂ってしまうものだ」「中国人はマナー意識が低いというより、良い行動はまず望めないような状況に来館者を陥れた主催者のやり方が問題だ」と楊氏は嘆いた。

9月第190期の海外中国語週刊誌「新紀元」は、以上の2つの記事を掲載した。本サイトでは2回に分けて紹介する。今日はその2回目。

************************************************************


上海万博:中国人の面目 丸つぶれ

@文・陳鳴


抑えきれない「熱情」

2ヶ月前、アナスタシアさんは上海万博に期待をふくらませていた。しかし今、その期待は完全にしぼんでしまった。

彼女が働くベラルーシ館内では、参観者たちは大声で騒ぎ、電話に出るのも傍若無人。白人を見かけると当たり前のようにシャッターを押す。「時には、突然テーブルを叩き、私たちを指差して呼びつけます。『おーい!おーい!おーい!』と。一緒に写真を撮りたいのは分かりますが、動物園のゴリラにでもなったような感じです」と、アナスタシアさんはがっかりした口調で話した。そして、一番ショックだった出来事は、ある中国人のおばあさんが施設の真ん中で、孫に排便させたことだったという。

目の前の出来事に唖然としたのはアナスタシアさんだけではない。

キューバ館スタッフのシェラさんも頭を悩ました1人。館の一区画の壁にメッセージスペースを設けたことが「誤り」の始まりだった。メッセージスペースは、瞬く間に広がり、2日もしないうちに、壁全体が埋め尽くされた。シェラさんのいるスタッフ室も難から免れることなく、ガラスの扉のには、「XXがここを訪れた」「XX愛している」と書き込まれてしまった。拭き取っても、拭き取っても、書き込まれるメッセージの大群に、シェラさん達はあきらめた。最初の「甘い」企画を「落書き禁止」との「固い」言葉で止めるしかなかった。

雄大だが中身が伴っていない、と専門家が批判する上海万博の建築群のひとつ(AFP)

エジプト館のスタッフを務めるタハニーさんは同僚と入れ替わるため、カイロから上海へ飛んできた。着任後まもなく、前任の館長から「館内の彫像をしっかり保護してください」と促された。「アメンホテプ4世の巨像」や「ハトホル柱」など貴重な珍品を含む館内すべての彫像は、千年前の文化財である。

カイロから運ばれてきたこれらの展示物の大多数には、保護カバーがなかった。「わが国では、文化財に触れる行為は一種の犯罪だと思われます。共通の常識なのです」と、タハニーさんは語る。エジプト人にとっては当然のことだった。しかし、まもなく、スタッフたちは、彫像に付きっきりでガードしなければならないことがわかった。柵で彫像を囲み、2人で1つの彫像を守る。ある中国人スタッフは、「エジプト人スタッフが一番速く覚えた中国語は「ニイホオ」(こんにちは)ではなく、「不要摸」(触れないでください)だ。毎日呪文のように百回以上は繰り返している」とエジプトの常識をはずれた現状を説明する。

チェコ館では、聖ヤン・ネポムツキーの銅像に登る参観者が出たため、ここも結局、エジプト館のように柵を設けることになった。

バングラデシュ館のスタンプコーナーでは、黒人スタッフは無表情で、ロボットのように「並んで、並んで、並んで…」と繰り返す。

守りきれない館

「熱情」だけでは説明できない事態も多く発生している。フランス館のスタッフは、「最初の数日、グリーン通路から車椅子で入館した参観者が、館内に入った途端、次から次へと立ち上がって歩き出したのを目撃した時は、自分の目を疑った」と話している。

障害者と装ってしまえば、20分以内で入館できるほか、もう1人の付き添いも連れ込むことができる。規則破りは底をつかない。

「ある日、1人の筋骨たくましい中年男性が車椅子に座って、自分の腕を痛そうに握っていた。そんな彼は、小児麻痺患者と自称していた」と、サウジアラビア館で働くボランティアが語った。また、10歳近くの子供をベビーカーに座り込ませ、グリーン通路を通ろうとする親も後を絶たないという。

参観者の手だては、少しずつ対策を立てる各国のパビリオンを凌いでいる。シルバーカードや障害者手帳、ベビーカーなどを駆使し、一家全員が通過できるようにうまく割り当てる。不正が見破られても、なぜか逆切れされるとスタッフは嘆く。「彼らは恥ずかしがる様子もなく、かえって私たちを罵り、融通が効かないと非難する」

混雑で騒がしい万博会場では、許されぬ「持ち帰り」も多発していた。

タイ館の最後のパフォーマンスは3D映画の上映である。10分間の新奇なる体験に、多くの観客は絶叫し、会場全体は興奮に包まれる。その感動を家に持ち帰りたいためか、彼らは混乱の中、3Dメガネをこっそり持ち帰っていた。

ナレーションを担当する者は毎回、映画の上映を終えた後、「家でこのメガネをかけてテレビを見ても、3D効果は得られません。メガネの数は減る一方です。どうか持ち帰らないでください」と、観客に懇願する。しかし、情況は改善されなかった。「館内の3Dメガネは、毎日5~7%減少している。1回上映する度に、およそ10個のメガネがなくなる。それでも我々は1日、50数回上映しなければならない」と、チェコ館の館長は不満をこぼした。

中国鉄道館の200座席余りある3D映画館では、メガネが持ち帰られたため、100座席余りの客にしか映画を鑑賞することができなくなってしまった。

メガネより小さいものはなおさら紛失する。ボヘミア館では、細長い廊下の壁の液晶テレビに取り付ける8Gディスクがすべて抜かれてしまったため、主催者はディスクを離れた場所に設置し、USBケーブルでテレビにつなぐ手段をとらざるをえなかったという。

さらに果敢な挑戦者もいた。6月27日午後、ボヘミア館を訪れた2人の参観者が密封されたガラスケースから宝石がちりばめられたネックレスを盗み出すことに成功したのだ。どのようにガラスケースから取り出したのかは不明だが、幸いなことに、盗みに気づいた別の参観者が、主催者に通報したことでネックレスの盗難は免れた。

スタンプラリーの反乱

上海万博では、各国のパビリオンは人気がある館と人気がない館に分かれるが、ほぼすべての館で均等に人気を集めている企画がある。その企画とは、1967年モントリオール万博から始まったスタンプラリーである。

6部屋しかないウルグアイ館では、3部屋がスタンプ専用に使われている。タイ館では、銅製・木製・ゴム製のスタンプが次々と壊されていく。デンマーク館では、参観者がスタンプのため従業員と衝突し、その様子を映写した動画がネットに流れた。アイルランド館では、1人の参観者が数十冊の台紙にスタンプを強要したところ断られ、なんとスタンプごと奪い取り自分で押し始めたという。「万博のテーマソングに『パンパンパン』とスタンプの効果音を入れればよかったのに」とチュニジア館のスタッフが苦笑する。

ノルウェー館のスタッフは上海テレビの取材に、「私達のパビリオンを見ようともせず、スタンプのためだけに来ている」と涙に声を詰まらせながら語った。ベラルーシ館は、スタンプラリーへの参加を中止、「スタンプはありません」との張り紙を入り口に掲示した。

タイ館で働くサランパットさんによると、スタンプコレクターと従業員が頻繁に衝突したため、スタンプを参加者自身に押してもらうようにしたが、これが原因でさらに混乱が生じることとなった。コレクター同士のケンカが相次いで起こり、3日後にはスタンプそのものが盗まれ、タイ館もやっと平和を取り戻したという。

「タイ館は先端技術を取り入れているのに、たくさんの中国人がスタンプだけ押して、急いで出口を探していました」とサランパットさんは困惑した様子で語った。一方、中国人も自国の民に閉口しているようだ。「上海万博は中国人にとってまるで異国風情漂う遊園地なのだ。ここに来る人々は『遊び』に来たのであって、展示されている先端技術を見に来たのではない。関心もないだろう」と上海現地の記者はコメントしている。

この広い「遊園地」で、人々は写真やスタンプに奔走する(AFP)

ハイテクに無関心な中国人がこれほど「スタンプ」に情熱を注ぐのは、「スタンプ文化」ならぬ「はんこ文化」が元々中国社会に深く根付いた文化だからだろうか。許可や認可を受ける度に、いくつもの「はんこ」をもらわなければならない。ベラルーシ館では小さなカートを館内に入れるため、10コ以上のはんこを様々な部署からもらい、やっと許可されたという。事務ではなく、まるでスタンプラリーだ。「おかしな社会体系です。仕事を許可する人を探すことが仕事のようです」とスタッフは閉口している様子を隠せなかった。

尊厳が忘れ去られる場所

不快な出来事が毎日のように起きても、来場者の情熱が冷めることはない。万博開催以降、来場者の数は、開会当初の1日20万人から現在の45万人へと増加している。

開会当初、人気を集めたサウジアラビア館は、5時間の待ち時間となった。長蛇の列のなか、すわり込む人や、その場で用を済ませる子供、トランプに興じる人など、目に余る行為が見られた。苛立ちの空気が張りつめる。上海の夏の熱気が追い打ちをかけ、ドイツ館の場外では、待ちくたびれた来場者の苛立ちが頂点に達し、「ナチスだ、ナチスだ」と叫ぶ事件も起きた。ドイツ館はその後、警備担当者を急遽増やしたという。

しかし、マナー違反の数々をすべて来場者のせいにするのは不公平だと、江蘇省から遊びに来た顧暁芳さんは語る。「広い場内をクネクネした柵で仕切れば長い列は作れるが、人々の忍耐と体力には限界がある」と来場者を擁護。

主催者側の管理の問題はほかでも指摘された。ボランティアの蔡雯俊さんは、万博文化センターの6階に複数のレストランがあるのに、レストランの予約電話番号はどこにも見つからない。「われわれ関係者でさえ連絡が取れないのに、ましてや一般の来場者はなおさらです。人々が苛立つのも当然です」と蔡さんは来場者に同情する。

日に日に増える来場者のため、万博会場近辺の関連公共施設もパンクしそうだ。万博前のバス停は常に黒山の人だかり。多くの来場者は別の通りの別の駅で下車し、さらに歩いて会場に行くしかないという。

万博の来場者数に関して、万博側の発表によると、6月4日~5日の2日間だけで、予約団体数は9152団体、予約来場者は35万3500人に達したという。また、万博チケットセンターによると、5月末までに販売された3771万2千枚のチケットのうち、3分の1は団体チケット。その団体チケットの大部分が企業の福利厚生の一環として購入されたという。結局、上海万博に足を運ぶ多くの来場者は、企業の従業員で、彼らにしてみれば、上海万博へ行くことは一種の「仕事」と見なされているようだ。実際、重慶市にある企業の女性社員は、人ごみが苦手ということで万博ツアーに参加しなかった結果、会社側に1500元(約1万8千円)の罰金を科せられたという。

「大人」への洗礼

万博で目立つのは人だかりだけではない。アメリカ館近くの吉野家やヨーロッパ館周辺のケンタッキー、万博の園内のバス停など、いたる所でケンカに遭遇する。込み合う中で人々がぶつかったり、押しあったりすることが火種のようだ。大人も遠足に出かけたかのように興奮し、気分が高ぶっており、一触即発の状態に置かれている。

多くの人は地方から遥々上海まで足を運んでいる。一刻も早く万博会場に入りたいという気持ちは山々だ。しかし、朝から何時間もかけてようやく会場に入っても、そこにはさらに、体力と忍耐力の限界を試すような、がまん大会が待っている。

地方から遥々上海まで駆けつけた多くの人は、朝から何時間もの時間をかけてやっと会場に入る(AFP)

さらに運悪く、雨に見舞われるとなると、傘から滑り落ちた水滴が原因で、延々と続く口論となる。筆者は、6月27日の朝7時から、入場まで2時間30分待たされたが、その間、周りのケンカは一度も止まらなかった。ケンカの仲介に入った香港から来た2人は、「毎日たくさんの人が並ぶことが分かっているのに、なぜ入場時間を繰り上げないのか?上海ではこの時期によく雨が降ることも知っているのに、なぜ雨除けのテントを多くセットしないのか?」と主催者に疑問を投げかけた。

一方、遊びに来た顧さんは同僚たちといくつかの人気パビリオンを回った後、歩道橋の横に座り込んでトランプを始めた。「正直いうと、ハイテクなんて見ても分からないし、万博ってこんなもんとわかればいいんだ。万博よりも遊園地のほうが楽しいかも」とこぼした。

上海のあるメディアは、「40年前に開催された日本の大阪万博では、約半分の日本国民が会場に足を運んだ。当時の入場者数は6千万人を突破した。大阪万博の成功は、日本の現代化到来のシンボルである、と高く評価された。しかし、上海万博の評価は低い。本来は国民全体にとっての科学技術の盛典であるべきものが、単なる観光の催し物になってしまった」と評している。

6月26日夕方、ベラルーシ館の隅っこに疲れ切ったアナスタシアさんがいた。「中国は30年間封鎖された時期があって、人々の価値観が一度覆されて再び建て直されたことは、旧ソ連時代の我々と同じです」。そう話す彼女は心の中で葛藤しながら、同じ歴史を生きる中国人を理解しようとしている。万博に来てから中国人嫌いになった友人たちに対して、彼女は、「上海と北京だけでは、中国に行ったことにはなりません。中国にはまだまだ裕福からほど遠い所がたくさんあり、悪い人もいれば良い人もいます。心のゆとりのなさは、時には、生活のゆとりのなさから来ているのかもしれません」と諭している。

(大紀元日本ウェブ翻訳編集チーム)