【大紀元日本7月24日】東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏は22日午後、大手町サンケイプラザ3Fで「日本人にとって靖国神社は何か」という演題で講演を行い、日本人の魂の「聖地」に干渉する中共政府の理不尽は「国際的にあり得ないこと」と指摘、日本政府の外交的敗北の代償が靖国問題であって、その根源が「東京裁判史観」にあるとの認識を示した。
小堀氏は冒頭で、日本人の神社信仰が、有史以前からの祖霊信仰に源を発しており、共同体共有の祖霊として神社が成立した経緯を説明、国難に際して国事に殉じた人を祭る神社として靖国の前身「招魂社」が成立した経緯を説明した。
日本は幕末から西洋列強が迫る国際社会の荒波の中で、明治維新を果たし、幕藩体制から統一主権国家に移行するにつれ、「富国強兵」「独立主権の維持」「国際的寄与」という課題が当時三つあり、幕藩鎖国体制から近代国家たるにふさわしい国民意識を醸成するため「私に背きて公に向かう」の精神が推奨されたと指摘した。
この「背私向公」の大義に基づき、傷つき倒れた御霊を祀るため、「招魂社」から「靖国神社」へと呼称が改められ、当時の15000柱は、国民の道徳教育の指標として崇敬されるに至ったという。
日本国民が靖国神社の御霊を崇敬する関係に変化が生じたのが、第二次世界大戦での敗戦と米軍による6年8ヶ月に及ぶ占領であり、当時GHQの占領政策であったという。小堀氏は、戦前についての歴史認識として、米国の宿命が膨張拡大にあったため、中国大陸への進出を伺い、当時ウラジオストクから遼東半島に南下しようとしていたロシアと利害が衝突、日本に肩入れし、日本は英米の代理戦争としてロシアと戦闘したと歴史的経緯を説明した。
ロシアが倒れてからは、日本と米国が太平洋を挟んで極東の利権をめぐり衝突することとなり、新渡戸稲造氏の言を引用すると「文明の教師として米国を模倣した日本が、先生の言うとおりにやってみたら、先生に怒られることになった」、米国ヘレン・ミラー女史によると「日本は米国の鏡」であるにも係わらず、却って窮地に陥る自己矛盾に突き当たったという。
東京裁判では、連合国側は、ドイツと違い日本の人種的劣等性から来る「全国縦断戦略爆撃」「原爆」等のホロコーストを隠蔽するため、日本軍の戦争犯罪を徹底的に告発し審判し宣伝したと指摘、これについては開戦時「真珠湾攻撃通告」数分間の遅れが、後に「国際法を遵守しない」口実を連合国側に与える痛恨の極みになり、「東京裁判史観」を形成したと悔恨を口にした。
その後、占領中に利権を得た「既得権益集団」が、特に独立後も「東京裁判史観」に基づいて、言論の分野で虚勢を張り、国内で国論が二つに分裂、ここに中共に付け込まれ、昭和57年の第一次教科書事件、昭和61年の総理大臣の対北京屈従事件を経て、中共側に「対日カード」としての靖国問題の味を占めさせるに至ったという。これを後押ししたのは、部数を伸ばすために画策した「朝日系列」に責任があると譴責指摘した。
こうして中共当局は、昭和57年、60年、61年と、日本の国論の分裂に乗じて隙を突き、日中外交交渉で「勝ち点」を挙げ、歴史認識とともに靖国問題は有効な「対日カード」となるに至り、日本共産党ら国内不満分子の巣窟と化してしまった。結論として靖国神社自身は、中共側に抑えられた「質物」としての急所になってしまったという。従って、靖国問題は、日中摩擦の「原因」ではなく、「結果」だと力説した。
中共のこれら一連の行動は「アジアの覇権」が眼中にあり、嘆かわしいことに日本の財界人の親中化が進む中、日本が精神的に陥落してしまうと、次は台湾であり、米国との「一対一」の対立に持ち込めるため、これがその国家戦略の目標であるならば、靖国問題においては、中共に対して「譲歩することがあってはならない」との認識を示した。