宋軍が守りを固める淤口関(おこうかん)を前にしながら、遼軍の韓昌がなおも追撃を命じたのは、女将軍・楊延琪が率いる若い女兵たちがそこへ逃げていったからです。
そこで楊延昭は、諸将を集めて作戦計画を立てました。楊延昭が部隊の要員を組織してまもなく、敵である遼軍の韓昌も再び大軍を率いて淤口関(おこうかん)に迫ってきました。
遼軍の韓昌は、楊延昭が兵を退却させたのを見るや、全軍へ猛攻撃を命じました。これに対し、城を守る宋軍の孟良、焦贊らは石弓の兵を指揮して、敵軍へ雨のように矢を降らせます。さらに城壁にずらりと据えられた大砲が天を震わす轟音を上げると、寄せ来る鉄甲騎兵でさえもなかなか城門を突破することができません。
ここで紹介する「楊延昭伝奇」は、筆者が民間に伝わった逸話のいくつかを要約・抜粋したものです。千年にわたって中華民族に語り継がれてきた英雄譚を、読者の皆様にお伝えします。
日本トレンドリサーチは、「永楽堂」と共同で「日本刀のイメージがある好きな歴史上の人物」に関するアンケートを実施し、結果をサイト内にて公開したので紹介します。
2024/02/13
中国の史書には、無実の人を殺戮する武将が応報に遭うという話がたくさん記載されています。『明史』と『史記・李将軍列伝』から抜粋した二つの話をご紹介しましょう。
2021/05/02