中国共産党(中共)軍事委員会副主席・張又俠と連合参謀部参謀長・劉振立が拘束される直前、約1年間空席だった「北京衛戍区(えいじゅく)司令官(北京首都防衛区の司令官)」に、元武警上海総隊司令官の陳源が就任。今回の人事は、習近平による張・劉の拘束に向けた布陣だったとの分析が出ている。
中国メディア「財新網」の2月4日の報道によると、2026年に入ってから、北京衛戍区のほか、上海警備区や安徽、山西、陝西、海南、吉林、四川の各省軍区党委員会会議が相次いで開かれ、新たに就任した軍区指導者が多数姿を見せた。上海警備区司令員の張占禮、安徽省軍区政治委員の王金良、山西省軍区司令員の陳軍棟、陝西省軍区司令員の張文忠、海南省軍区司令員の丁勁松、吉林省軍区政治委員の王青雲、四川省軍区司令員の柳森らが含まれる。
「北京日報」によれば、陳源は1月14日に開催された北京衛戍区の党委員会全体会議に「衛戍区指導者」として出席した。
同日の会議には、北京市党委員会書記で北京衛戍区党委員会第一書記の尹力が出席し、演説を行った。また、北京市党委員会常務委員で北京衛戍区政治委員の朱軍が、いわゆる「党が武装を指導する」業務について評価を行った。
報道では陳源の具体的な職務には触れていないが、慣例から判断して、陳源が空席だった司令官のポストに就いたとみられる。
公開資料によると、陳源は53歳で、長年にわたり武装警察部隊(武警)で勤務してきた。2018年前後に武警江蘇省総隊副司令員を務め、2019年前後には武警士官学校校長に就任。2021年に武装警察広西総隊司令員に昇進し、同年に少将警銜を授与された。遅くとも2023年1月までに武警上海総隊司令員となり、最近になって北京衛戍区の指導部に異動した。
北京衛戍区の前司令官である付文化は、かつて旧瀋陽軍区第16集団軍に長く在籍し、張又俠の旧部下だった。
張又俠は2007年9月から2012年10月まで瀋陽軍区司令を務めた。中共第19回党大会後、張が軍事委員会副主席を務めていた時期に、付は2020年4月に北京衛戍区司令員に昇進し、2022年6月には北京市党委員会の軍服常務委員を兼任。2024年に北京市党委員会常務委員を退いた。2025年3月10日、付は武装警察副司令に異動し、中将に昇進。同年10月には再び陸軍に戻り、陸軍副司令員に就任した。その後、北京衛戍区司令員は異例となる約1年間の空席が続いていた。
「御林軍」とも呼ばれる北京衛戍区は、中南海などの重要部門を警護し、有事の時には中共上層部の撤退を支援する役割を担う。北京衛戍区をオントロールすることは北京の半分を掌握することに等しく、その司令官は歴代、軍事委員会主席が信頼する人物を直接指名する。
時事評論家の李林一氏は、どの派閥の将官が衛戍区司令官に就くかは、軍内部の権力闘争の行方を示す重要な指標だと指摘する。
1月24日、張又俠と劉振立が突然失脚した。
台湾国防安全研究院国防戦略と資源研究所の蘇紫雲所長は、習近平が張又俠を拘束する前に陳源を呼び寄せたことは、習が以前から張らの排除を計画しており、地方から信頼できる人物を衛戍区司令官に登用したと述べた。
軍事評論家のマーク氏も、これは習近平が張又俠摘発する前に、信頼できる人物に北京衛戍区を掌握させたと指摘する。張又俠が大量の護衛を率いて抵抗した場合、中央警衛局の戦力だけでは不足し、北京衛戍区が重要な予備戦力になるため、陳源の配置は、習近平の身辺を固める意味を持つという。
陳源は、すでに失脚した元軍事委員会副主席の何衛東と江蘇省東台市の出身で、旧南京軍区で接点があったとされる。張又俠と習近平の対立は長年に及び、習近平の側近である何衛東がこの権力闘争に関与していたと考えられる。
独立系評論家の杜政氏は2月4日、台湾の「上報」に寄稿し、何衛東と苗華が張又俠を陥れるため、習近平を支援して河北省で正規軍体系から独立した私的武装組織を構築したと指摘した。この部隊は、何衛東の失脚後、同じ福建派とされる蔡奇の手に渡ったという。
杜氏はさらに、中央国家安全委員会は中共で唯一、軍を調整できる中央意思決定・調整機関であり、蔡奇はこの立場を利用して、習近平のために張又俠へのとどめの一撃を企画・実行したと分析した。
時政評論家の袁斌氏は2月15日、大紀元に寄稿し、張又俠を拘束した理由として、四つの要因を挙げた。すなわち、張又俠が公然と習近平の軍権に挑戦したこと、張の権力が肥大化して習近平の許容範囲を超えたこと、台湾侵攻に反対したこと、そして習近平が予言を信じ、張又俠に強い恐怖心を抱いていたことだという。
袁氏は、これら四つの要因は重点こそ異なるものの、いずれも張又俠が習近平の権力基盤に脅威を与えていた点で共通しており、それが習近平が張又俠に手を下した決定的な理由だと指摘した。
杜氏もまた、張又俠は軍内だけでなく政界全体でも高い威信を持ち、中共元老の支持を得ていたとし、張又俠が「軍中で王となる」状況が続けば、中共第21回党大会で習近平が張又俠派に取って代わられる可能性を習が強く警戒していたと分析した。これこそが、張又俠失脚を招いた「権力闘争の臨界点」だったとしている。
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