[リマ 11日 ロイター] – 南米ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領が11日に死去した。86歳だった。長女のケイコ氏がXへの投稿で明らかにした。長らくがんで闘病していたという。
日系人として初めてペルー大統領を務めた。1990年の初当選時は知名度が低かったが、在任中にハイパーインフレを鎮静化し、国営企業の民営化を推進、関税を引き下げるなどして混乱した国内経済を立て直した。
一方、10年にわたる政権運営で汚職スキャンダルが続出し、世論を敵に回した。92年に軍用戦車を使って議会を閉鎖し、自由市場改革と厳しい対テロ法を推し進めるため憲法を改正したことから、国民の間では独裁者との批判も出た。
2000年に3選を果たした直後、側近である国家情報局顧問ブラディミロ・モンテシノスの汚職が発覚。滞在中の日本から辞表を提出した。
日本で事実上の亡命生活を送っていたが、政界復帰を目指して05年に帰国を決意。チリに向かったが、現地警察に逮捕され、07年にペルーに引き渡された。09年に起訴され、禁錮25年の有罪判決が言い渡された。
<「フジ・ショック」>
胃潰瘍、高血圧、舌がんを患っていたフジモリ氏は23年12月に釈放され、今年5月には悪性腫瘍と診断されたことを公表していた。
1938年7月28日のペルー独立記念日にリマで生まれた。数学者で農業技師だった同氏は90年の選挙で左派の支持を得て著名作家マリオ・バルガス・リョサ氏を破り、世界を驚かせた。
自らを白人エリートに代わる存在と訴え、ペルーの多くの先住民や混血の人々から支持された。
ハイパーインフレとの闘いでは過激な対策は取らないとしていたにもかかわらず、就任直後に突如として食料品への補助金を打ち切る措置などを実施。「フジ・ショック」として知られるようになった。短期的にインフレは悪化したが、この賭けは功を奏し、最終的には経済を安定させた。
リマにある日本大使公邸人質事件では1997年にトンネルを掘るという計画を考案。奇襲攻撃で犯行グループ14人全員を殺害した。
私生活では2度結婚。大統領在任中に最初の妻スサナ・ヒグチ氏と不仲になり、ケイコ氏をファーストレディーに指名した。元妻との間にはケイコ氏のほかにも3人の子どもがいる。
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