アメリカ独立革命とフランス革命。同じ時代に起きた2つの革命は、なぜ全く違った結末に至ったのか。
7月14日のフランス建国記念日は1789年に起きたバスティーユ牢獄に対する襲撃を記念し、7月4日のアメリカ独立記念日とおおよそ同じ意味合いを持つ。専制政治と腐敗の象徴だったバスティーユ牢獄への襲撃は「バスティーユ・デイ」とも呼ばれ、人々はその日になるとアメリカとフランスでおきた2つの革命に想いを馳せる。
2つの革命は共和主義的な理想を掲げた点で一致する。アメリカ独立革命は信教の自由、富に対する希望、そして民主的な自由の種を備えていた。一方、フランス革命は深刻な財政破綻、極度の貧困と経済的混乱、身勝手な君主、および特権階級に対する不満から生じた「絶望」が動機となった。
その結果、フランス革命は社会秩序を破壊し、不安定化させ、その影響は現在のフランス政治、社会にまで及んでいる。
2つの革命がなぜここまで異なるのか。それは、アメリカの独立が信仰と深い関わりを持つ一方で、フランス革命は極めて世俗的な啓蒙主義に起源をもっていたことによる。フランスの共和主義は宗教および教会権威への拒絶だった。
2つの革命は同じ世俗的な政府をつくり出したが、アメリカ独立宣言が「創造主が与えし不可侵の権利」を述べたのに対し、フランスの思想家トクヴィルはフランスの「信教および自由の精神が全く逆の方向に進んだ」と指摘した。
フランス社会の基盤となっていた伝統的な教会の権威、貴族階級、君主制は革命によって崩れ去った。アメリカ独立革命の中で調和した共和制と信仰は、フランスでは敵対し、相反するものとなった。
宗教改革の試みとして始まったものが、フランスにおける大規模な信仰の放棄および宗教組織の解体をもたらす。革命が勢いづくにつれ教会および聖職者に対する敵意が増幅し、聖職者や司祭は権利や特権を失った。教会の財産やその他の資産は没収され、新しい政府の設立資金に充てられた。
フランス革命の目標は、キリスト教および教会の影響力を社会から完全に排除することだった。その代わりとして登場したのが、「理性の崇拝」だ。ノートルダム大聖堂ではキリスト教の祭壇が撤去され、代わりに世俗的な啓蒙理念による「自由の祭壇」が設けられた。大聖堂の入り口には、「哲学へ」の碑文が刻まれた。フランス社会に対する世俗化の影響は今日まで及び、1905年以降、政府は政教分離の原則を採用している。
革命で生まれた2つの宣言が与える社会契約の性質が、宗教の役割に関する違いを決定づけた。アメリカ建国の父たちは、生命、自由、および幸福の追求は「不可侵」の権利であると宣言した。それらの権利は「創造主」が与えたものであり、いかなる合法的な政府もそれらの権利を人々から剥奪することはできない。政府とは、統治される者の合意に基づいて正当な権力が授けられ、それらの権利を確保するために存在する。
一方、「フランス人権宣言(人間および市民の権利の宣言)」において「創造主」が与えた不可侵の権利に関する文言はない。フランス人権宣言(およびそれが提示した世俗的な革命精神)は神の存在に言及しなかったため、権威を持った政府が人々に権利を与えることになった。
20世紀にマルクスが説いたユートピアのように、フランス革命が目指した理想社会においては、政府は個人に対して政府の意志に従うよう強制する。その意志とは社会全体の共通利益を意味し、個人の自由に対する保護ではない。
ルソー(フランスの哲学者 )の説く社会契約を採用したフランスは、国家に対し、個人の自由を奪い国家に代表される全体の意志に従わせる権力を与えた。すなわち、国家は個人に「自由を強制」し、共通の利益のためなら個人の自由を犠牲にできる。
革命者たちは、神に代わる法の根拠を与える存在として新たな倫理的構造をつくりだす必要があった。道徳的な絶対存在(神)を欠く世界において、それは国家権力に基づく倫理体系を意味した。間もなくしてジャコバン派(フランス革命期の政治結社)による恐怖政治が訪れ、数千人のフランス市民がギロチン台に登ることになる。
恐怖政治がもたらしたこの新しく暗い近代的現象は、20世紀に再びナチスとスターリンの登場という形で復活する。
1802年までに100万人に上るフランス市民が共和政権のもとで犠牲になり、ほどなくしてフランスの栄光を取り戻そうと始まったナポレオン戦争で数百万人が犠牲となった。トマス・ペイン(英国出身の革命思想家『コモン・センス』の著者)が『人間の権利』で語った理想は、暴力革命という混乱の前に為す術もなく、国内の秩序回復と対外的な栄光を求めたナポレオン時代の反動に押し負けた。
信教の要素以外に、当時置かれていた経済状況も革命の性質を二分した。「新大陸」アメリカの経済的機会は豊富で、一般家庭はヨーロッパのそれと比べて比較的裕福であった。アメリカに移り住んだ人々は楽観主義と自信に溢れ、労働力の稀少性が高賃金を決定づけた。数度にわたる戦争による破壊をものともせず、アメリカは繁栄した。
21世紀に生きる我々にとって、当時のヨーロッパが貧困でいかに悲惨な状態だったかを認識するのは難しい。家族経営の農家が自給自足できるアメリカに対し、フランスは土地と安定した収入を持たない小作人が全人口の8割を占めた。フランス革命前夜に結ばれた英仏通商条約によってイギリス製品がフランスへ大量に流入し、フランスの製造業は大ダメージを受けた。
経済不況はいっそう悪化し、多くの大都市で反政府運動が湧き起こった。官僚を模した身代わり人形を焼くといった運動もおこり、政府関係施設をはじめとする政権のシンボルは攻撃され、破壊された。
フランスの財政赤字は膨れ上がり、国王による税金の浪費は度を超えていた。
社会不安を増幅させた背景は、アンシャンレジーム(旧体制)時代の階級社会および富の格差にある。貴族(特権階級)たちは免税特権を享受し、土地のほとんどを支配した。
財政危機が悪化するにつれ納税者である市民は搾取され、階層が低い者ほど重い税に苦しめられた。アメリカ独立革命の際にはなかった貧困層における悲惨な経済状況こそが、社会不安の起爆剤となった。
革命はフランス経済を徹底的に破壊した。インフレが蔓延し、購買力で見る紙幣と国債の価値は10分の1にまで暴落した。今のアメリカに迫りつつあるインフレとその政治的、社会的影響を懸念する者は、過去の歴史を振り返るべきだろう。
フランス革命期のスローガンとなった「自由、平等、友愛」は、固有の相容れない矛盾をもたらした。友愛とは法の下の平等だけでなく結果の平等も意味するため、個人の持つ自然権と尊厳、および能力や素質の異なる人々の間に現実に存在する違いや区別などと相反する。
今も昔も社会主義者やユートピア思想の持ち主は、法の下の自由や平等(財産権など)を否定し、社会における結果の平等を追求する。
フランス革命を学ぶことで得られるものは、革命は永遠のものではないということだ。アメリカがかつて勝ち取った自由と平等も、専制や独裁によって覆らない保証はない。自由、平等といった不可侵の権利は、獲得した途端に失われることもある。
アメリカ南北戦争はその瀬戸際だった。今や当然のものとされるものも、それを将来永劫守り抜く態度がなければ瞬く間に失ってしまう。今のアメリカに残り続ける「政治と裏切り」は、つねに自由と正義を脅かしている。
21世紀のアメリカにとっての教訓とは、所得格差の広がりと適切な収入が得られる雇用の減少とともに貧困層、労働者、中産階級の経済状況が悪化し、より大きな社会不安を招きつつあることだ。18世紀末のフランスと比べて現在のアメリカはずっと良い状態にあるが、楽観視はできない。
この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。
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