祖先の墓を清め、祖先を供養する日として定められた中国の祝日「清明節(せいめいせつ、4月4日)」期間中、中国では昨年10月に急死した同国の李克強前首相への追悼が厳しく禁じられている。
李氏が少年時代を過ごした故郷である安徽省合肥市には、清明節前から多くの市民が花束を手向けに訪れていた。
SNSなどで人気の在米華人で、独立系時事評論家の蔡慎坤氏によると、「現地では『紅星通り(紅星路、李氏の旧居前)』が目的地の客であれば無料で乗せるタクシーも現れており、また現地の花屋さんでは弔いなどに使用される白いバラの花や菊などを仕入れ値で提供している」という。
花束とともに、市民から李氏に捧げられた手書きの追悼文には「お天道様は見ている」や「長江と黄河は決して逆流しない」など李氏が発した言葉を引用して現政権への不満を暗に表明するものも少なくない。
しかし、当局は民衆によるこうした「追悼の動き」をきっかけとして政府への抗議活動が起きることに神経を尖らせており、ついには李氏への追悼を禁ずるようになった。
「花束の海」となった李氏の旧居前には清明節期間中、市民が近寄れないように、大勢の公安や私服警官が間隔を密にして立ち、24時間パトロールが行われている。SNSには、現地を訪れたと思われるユーザーからは「警官があまりに多すぎて、写真を撮る勇気がない」という声も。
また4日にNTD新唐人テレビの取材に応じた現地の花屋によると、「李氏の旧居前には見張りが立っており、例え、客からの注文であってもそこへ花束を届けることはできない、さもなければ罰金される」という。
中国のフードデリバリー大手、美団では李氏の旧居前への配達ができないという。
いったい何を恐れての「警戒」であるのか理解に苦しむが、そうした過剰な警戒ぶりから浮かび上がる「現体制の危うさ」について、当局は隠す術をもたないようだ。
また、中国のネット上でも検閲が敷かれており、SNSのウェイボー(微博)やウィーチャット(微信)などで「李克強」と検索しても、表示される結果は李氏の死去に関する官製メディアのニュースばかりで、現在の関連情報は全くヒットしないのだ。
一部の反体制派は、「清明節期間中、李克強を追悼するな」と事前に当局から警告を受けていることを明かしている。
「(李氏は)退任したばかりだというのに、不審死を遂げた。そんな窒息しそうな政治環境では、自分もいつ同じ目にあるかわからない。誰もがある種の無力感にさいなまれているんだ。人は簡単には涙を流さないが、それでも李克強、そして失われた時代を偲んで泣いている。同時に、今の政治が作った現実に対する不満を表明しているのです」と蔡慎坤氏は自身のSNSに書いた。
「お天道様は見ている」
李克強氏の「突然過ぎる死」をめぐっては、今も話題が尽きない。
療養先の上海のホテルのプールで泳いでいたときに心臓発作で死去。とは言うが、その死に至るまでの過程で「死亡時の不自然さ」や「医療処置の不備」など、指摘される多くの謎がある。
さらには、あくまで噂ではあるが「上海武装警察総司令の陳源氏に毒殺された」など、各種の暗殺説も未だに尽きない話題になっている。
ともかくも、李氏には「習近平に冷遇された、中国史上、最も哀れな首相」としてのイメージが、中国の民衆のなかで定着しつつある。いっぽうで李氏が今年3月、約10年にわたる首相(国務院総理)の大役を終え、国務院本部庁舎前でスピーチした際に発した「ある言葉」が、再度注目されている。
その言葉とは、
「人々は、いつもこう言う。人のなすことは、お天道様が見ている。この蒼天には、眼がついているのだ。(人們常説:人在幹,天在看.看来是蒼天有眼啊)」
この一句は、李氏への弔辞のなかで、いまも多く引用されているのだ。
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