車の愛好家Mr.ビーンのEV観は正しい?

2023/07/03
更新: 2023/07/04

解説
「Mr.ビーンを演じた男」として知られるローワン・アトキンソン氏は、ほとんどの人よりEVの経験が豊富である。

熱心な車の所有者であり、電気自動車(EV)を早期に購入した車の愛好者として、さらにまったく無関係なエンターテインメントでのキャリアを積む前は、電気・電子工学を学んだ者として、彼は、正しい情報に基づいた意見を持っている。

アトキンソン氏は、「EVにますます騙されたと感じており、(EVは)公言するような環境万能薬ではない」とガーディアン紙の中で述べた。

彼が「EVは万能薬で、化石燃料車が与える環境に対する影響を解決する唯一の解決策だ」と言われたなら、彼は確かにだまされていたのだ。

車の電動化については、それを支持する者でさえ、解決策のせいぜい一部だとしか考えていない。

「車の排気管からの排ガス」だけに注目したいのであれば、EVは万能薬だ。

結局、EVには排気管がないので、運転中の排出量は「ゼロ」なわけだが、重要なことは全体像がどうかという点である。気候変動が問題であるとしても全体が係る問題であるので、解決策も包括的であるべきだ。

Mr.ビーンは「EV、そのバッテリー、そして充電インフラの製造や構築には、エネルギーや材料の使用が不可欠だ。それらが再生可能でない限り大きなコストであり、EVのメリットから差し引かなければならない」と語っている。

この指摘の半分は正しい。

EVが万能薬ではないという意見は正当なものだ。現代文明を構成する産業ネットワークの一部であり、それに依存もしている。

車を電動化するといっても、それだけで自動車産業から大気に排出される物質を除去できるわけではない。EV製造には原材料が必要であり、原材料の製造にも地球からのエネルギーと資源を必要としている。

同じことがガソリン車についても当てはまり、どちらが良いかを比較できるような問題ではない。気候変動に関心のあるエンジニアなら誰でも、対策の合理的な出発点を議論するだろう。

Mr.ビーンの意見の中で直截的に指摘されていない重要な点がある。それは、電気の出自についてだ。

現在、ほとんどの電気は化石燃料で作られているが、その場合、EVは発電所の排気ダクトを車の排気管に置き換えたのと同じである。

したがって、EVは充電用電力と同程度にしか再生可能ではなく、逆に、少しばかり再生可能と言えなくもない。再生可能エネルギー由来の発電割合は、世界平均は10%程度だが、約30%まで占めている国も見られる。

EVはコストに見合う価値があるのか?

EVは、ガソリン車やディーゼル車と比較して、「気候変動」の観点から2つの利点を提供できる。

第一に再生可能エネルギーを使用する点で、第二は、エネルギーの使用量が少ない点だ。但し、発電所から車にエネルギーを移送する過程のエネルギー損失を考慮しなければならない。

この2番目の点でより効率的であれば、EVは最終的には費用対効果が高くなり、政府の優遇政策などなくても、誰もが自発的にEVを購入することになるだろう。

気候変動に敏感な人たちが総合的な見地から考慮すべき2番目の問題として、気候対策をどこで行えば最も効果的かという点である。

現行の気候変動モデリングは物議をかもしているし、その対応とレトリックは無謀であるため、殆ど注目されていない。つまり、どこで着手すれば最も有益かという対策の優先順位を持たずに、ただ、すべてを一斉に行おうとしている。

しかし、この問いかけは、科学小説の代わりにネットゼロモデルを読み、太平洋の島々よりも経済の沈下を心配する現実的な人たちにとっては重要である。

現在のEV導入政策は、すべての国がインフラを国中に張り巡らせることを要求している。また、天文学的な数のバッテリーを製造することが不可欠だ。

自家用車のドライバーの多くは、比較的短い距離を1日2回程度しか運転しないため、多くのバッテリーはEVの中で静かにほとんどの時間を費やしている。

政策立案者は自家用車をターゲットにして電動化の取り組みを推進しているが、これは最適な選択だろうか?より効果を上げる他の標的はないのだろうか?

代替となる燃料源の問題

アトキンソン氏はさらに別の視点を提起している。自家用車を再生可能にするために、電動化よりも費用効果の高い方法はないのか?

「既存の車が保有する資産を認める必要がある」という彼の主張はよくできている。

新しいEVに交換したいという理由だけで、まだ寿命が残っているのに古い車を取替え廃棄処分するのは逆効果になる。

彼の指摘のように、これら既存の車はすでに環境代価を支払っている。つまり、エネルギーと材料を使って車を製造したのだから、使った方が良いのかもしれない。

アトキンソン氏は、既存の自動車から最大の環境パフォーマンスを引き出すことを目指すべきであると主張している。彼が、合成燃料と水素のさまざまな代替燃料について論じている理由だ。そこに「バイオ燃料」も含めるべきであったろうに。

現在の技術レベルを踏まえて、多くの人たちは、アトキンソン氏が代替燃料について楽観的すぎると主張するだろう。これらの燃料は効率的に製造するのが難しく、水素の場合はさらに広範なインフラが必要になる。

長期的に見れば、私は、全体的な視点からバイオ燃料について楽観的であり、バイオ燃料製造方法も複数あると考えている。

合成燃料に対して、情報通のTwitterユーザーが予想外の反論をしている。合成燃料が依然として汚染物質を排出しているという点である。

これはバイオ燃料やその他の再生可能燃料に対する一般的な反対意見だ。繰り返しになるが、排気管にのみ焦点を当てているため、この反論は合理的なものではない。

確かに、代替燃料はCO2やその他の汚染物質を排出するが、全体で見ると、CO2を元の発生源である環境に戻すだけだ。

合成燃料やバイオ燃料を使うと、NOx(一酸化窒素や二酸化窒素)などの汚染物質が排出されるが、排出濃度は薄く、問題とはならないし、触媒コンバーターを使用すると、そのような汚染物質を制御できる。実際、これらの汚染物質を分解するプロセスは、大気からメタンを除去し、気候変動の研究から見ても良いことだ。

繰り返しになるが、全体的な大気化学の観点から、一部のNOxの排出は正味の利益をもたらす可能性さえある。

3年間のリースモデルを変更してはどうだろうか?
アトキンソン氏の記事にはもう1つの欠陥があるが、それ以外は社会的には興味深い貢献だと言える。

彼は、車の3年間リースというビジネスモデルの背景にある「ファストファッション」文化に反対している。
私は完全には同意しない。英国では、ほとんどの車は中古市場で販売され、別の購入者がそれらを購入している。重要なのは、車が長持ちするように製造されているかどうかだ。

EVはこの点ではかなり良い。EVの寿命を従来の車と比較すると、オンラインの情報源はさまざまだが、機械的な観点からは電気技術は摩滅が少なく、したがって長持ちするというわけだ。

最終的には、設計、使用法、メンテナンスに依存するが、いずれにせよ、一部のEVは最大30万マイルを走行しているため、長持ちする傾向がある。

全体として、EVが気候変動問題の軽減に貢献するかどうか、そして、それが重要かどうかについて、議論の余地がある。

重要なのは、EV市場に任せるのではなく、人々にEVを買わせることによって、私たちが迂闊にも引き起こしてしまう影響についてだ。