ウクライナで戦う台湾の志願兵「自由はタダではない」

2023/06/06
更新: 2023/06/06

台湾志願兵たちは、中国共産党による台湾侵略の可能性に備え、戦闘経験を積むとともに、ウクライナで自由と民主主義のために戦っている。

姚寬淳(音訳)氏は、台湾でコーヒー産業に携わっていた予備兵だった。ロシアがウクライナを侵略した後、自ら戦場へと志願した。過去3か月間、ウクライナに駐在している。

姚氏は、中国という大きな権威主義的な隣国からの侵略の脅威を知っており、ここで初めての戦闘経験も得ている。民主主義と自由の大義のために戦っているのだ。

「台湾海峡を巡る緊張が高まっているので、我々は準備を急がないといけない」と姚氏はRFAに語った。「敢えて侵略に踏み出すかいなかは、我々の準備次第だ。「自分で国を守ろうとしなければ、誰が救助に駆けつけてくれるだろうか?」

「『今日は香港、明日は台湾』という言葉がある」と彼は言った。これは、香港の自由が侵食されると、それが台湾でも繰り返される可能性があるという恐怖を指している。「あるいは、『今日はウクライナ、明日は台湾』とも言えるだろう」と付け加えた。

姚氏はわずか2週間ばかりの訓練を受けた後、最前線に送られた。戦闘の経験を「とても怖い」と表現した。「何をしているのか理解しているが、それでも怖い。訓練は十分でない」

採用担当者は、中国の潜入者に警戒していたようだ。「私は自分の軍事的な経験よりも、より多くの政治的な質問を受けた。これにはびっくりした」という。単刀直入に、「私が中国共産党を支持しているか、中国とプーチンの関係について知っているか」を質問したという。

「自由と民主主義はタダではない」

35歳の呂子豪(音訳)氏も志願兵のひとり。彼は「ウクライナ人が1年間とりでを守り続けているのは本当に素晴らしい」と語った。

「我々は防衛や補給兵站の面で支援した。寝ている間も爆撃された。手前に落ちても不発なら、もう一度生きる運命を与えられたと思うだろう」と、地元の市場で両親が営む肉屋を手伝ってきた呂氏は語った。

なぜ、志願したのか?「自由と民主主義はタダではない」と呂氏は述べた。「他の志願兵が、台湾と中国間の緊張について尋ねたことがある」と付け加えた。

「そうだ、台湾は長い間抑圧されてきた」と答えた。「台湾に戻ってから1か月も経たないうちに、北京はミサイルを発射してきた」と。

「その同じ日、さまざまな国の兵士7、8人から、台湾は自分たちに来て欲しいのかと尋ねられた。彼らは台湾の自由と民主主義を支持しているので、援助のために喜んで来てくれるだろう」と呂氏は語った。

戦争の目撃

36歳の李承伶(音訳)氏は台湾の海兵隊に所属し、榴弾砲を扱っていた。ウクライナ東部のハリコフ地域に9か月間駐留した李氏は「ただ助けたかっただけだ」と語り、直接の戦闘体験は「非常に貴重」であると付け加えた。

李氏によればウクライナ人は台湾に対する中国の脅威を認識しているという。「昨年8月中国はミサイルを発射した。ウクライナで非常に大きなニュースとなった」と李氏は語る。「そうだ、ウクライナ人は台湾が同様の状況にあることを知っている」

台湾の志願兵たちは、戦争の残酷さに直面していた。

「ブチャの解放後、町を調査するために市内を通過した」と姚氏は語る。「少なくとも14人の民間人が死亡し、年齢層は10代から70代にまで及んだ。彼らは地下室に閉じ込められていた。どれほどの苦しみを味わったのであろうか?」

李氏は、ロシア軍が逃げようとしている中年の民間人に発砲、殺したことを思い出した。「ロシア軍は逃げ去る民間人を見て発砲して殺し、彼の車を穴だらけにした。地面は血の海が広がった」と語った。

国連は、ウクライナで8490人の民間人がロシア軍によって殺害されたと推定しているが、実際の数ははるかに多いとされる。

侵攻されたら「皆がこうなるんだ」

ウクライナで執り行われた鄭聖光氏の葬儀でウクライナ国旗を受け取る母親(台湾外交部)

少なくとも一人の台湾の兵士が究極の代償を払った。鄭聖光(26歳)は2022年11月に戦闘で受けた傷が原因で亡くなるまで、5か月間ウクライナにいた。

生前のインタビューでは、彼もウクライナと台湾の状況は類似する点があると述べていた。「中国は台湾を侵攻したいと思っており、私は自分の国を守りたいが、まずこの国を助ける必要がある」と鄭氏は語った。

鄭氏は母親にいくつかの戦地の写真を見せてくれたという。無実の民間人の犠牲が映る写真だった。「万が一、中国共産党が台湾を攻撃した場合、皆がこうなるんだと息子は言っていた。私は納得いかなかった」と語った。

「あなたがいなくても、なんとかなるんじゃないの?」と聞いてみた。

「息子の電話には、空襲サイレンや砲撃、機関銃の発砲音などが聞こえていた。私はとても心配になって、音が何の意味があるのか尋ねた。息子は砲弾が爆発した音だと応えた」

息子の記憶が時の経過とともに薄れないよう、息子が来ていた古い軍服を近くに置き、腕には息子の姿を刺青にしている。

「息子が亡くなったとき、戦争がひどい、ひどいこと、そしてとても残酷なことに気づいた。私は二度と戦争を見たくない」と母親は語った。

(翻訳・大室誠)

大紀元日本 STAFF