フェミニズムや解放的な性教育…多感な若者、マルクス主義の犠牲に=米作家

共産主義がもたらす問題に詳しい作家のジェームズ・リンゼイ氏によれば、多感な若者世代はフェミニズムや解放的な性教育といった価値化を注ぎ込まれ、不安定にさせられている。その目的は、社会を不安定にして共産主義者が権力を握れるようにすることだという。

「Race Marxism」や「Cynical Theories : How Activist Scholarship Made Everything about Race, Gender, and Identity and Why This Harms Everybody」の著者であるリンゼイ氏は24日、大紀元の映像コンテンツ「Epoch TV」の中で語った。

「これはマルクス主義者が少なくとも1910年代から採用してきた意図的なプログラムであり、ハンガリーで始まった。子供を性的に目覚めさせ、性的・ジェンダーの面で混乱させることによって、他の議題を代弁する政治活動家にさせようとするものだ」とリンゼイ氏は述べている。

リンゼイ氏は、ハンガリーの熱心なマルクス主義者であるルカーチ・ジェルジュを取り上げた。彼は、短命だったハンガリー・ソビエト共和国時代の1919年に教育副委員長を務め、初等教育の段階で子供たちに性教育を導入した。

 共産主義の問題に詳しい作家のジェームズ・リンゼイ氏(Brendon Fallon/The Epoch Times)

「ルカーチは、ハンガリーの子どもたちを家族から引き離し、宗教や国・文化から引き離すために、性的感化を行った。子供たちは……このような考えに染まり、家に帰ると両親に『あのね、物事は変わったのよ、聖書は間違っているわ、私たちの宗教も伝統も間違っている』と言うようになった」とリンゼイ氏は語った。

次に登場したのがフランクフルト学派の著名なメンバーのヘルベルト・マルクーゼである。リンゼイ氏によれば、マルクーゼは「性的エネルギーの解放」に力を注いでおり、1965年に発表した「Eros and Civilization」という著作で、マルクス主義の思想を応用してこれらのテーマを掘り下げ、1960年代の性革命の知的基盤となった。これが、今日のアメリカの学校における包括的な性教育プログラムにつながっている。

その後、1980年代から1990年代にかけて、「ポスト構造的フェミニズム」運動が台頭してきた。これらのフェミニスト活動家は、ポストモダンの理論を用いて、ジェンダーは社会的に構築されたものであり、性役割分担は抑圧の一形態であるという考え方を提唱した。

「彼らはポストモダンの理論を使って、『ジェンダーのみならずセックスやセクシュアリティなどのすべてが社会的に構築されたものである』という概念の境界を取り払った。そして、そういう人たちが支配するようになってしまった」と彼は語る。

現代のマルクス主義者は、「100年前の旧来のマルクス主義者に比べて、ジェンダーやこれらの概念の社会的流動性に多くの焦点を当てているが大筋は同じだ」と付け加えた。

「マルクス主義者は、『自分のアイデンティティを見つけよう、成長し、思春期を経て、自分が何者であるかを発見しよう』という段階にある若者たちを標的として、非常に脆弱で感受性の強い人々を見つける。その結果、若者たちはジェンダーや性の流動性、社会的に構築されたセクシュアリティについてのあらゆる考えを注入され、結局は犠牲者になっている。いっぽうで活動家は、犠牲者でもあるLGBTを守るためだと言いながら、自分の身を隠している」とリンゼイ氏は指摘する。

「マルクス主義運動は昔も今も目的は同じであり、子供たちを軟化させて、学校で行われているジェンダーや性的な指導を受け入れさせること」だとリンゼイ氏は語る。

「つまり、短期的に弱体化・不安定化させ、権力を掌握することが目的なのだ。その後、何を許容し何を許容しないかは、誰が責任者になるのかで決まる」と語った。

このようなマルクス主義的な考えが、あらゆる方面から子供たちに押し寄せている。リンゼイ氏は「学校が体たらくで生徒の教育に失敗している状況で、親にもっと責任を負わせる必要性」を強調した。

「親は第一に、自らが自分の子供を教育する役割を負わなければならない。次に、人種、歴史、性、セクシュアリティ、ジェンダーについて、子供たちが学んだことを頭の中から取り除かなければならない。現在、学校やメディアの影響を受けて、ずっと若い年齢から、親と子が性やセックスの会話をしなければならない状況になっている。10年前、15年前に比べて、親が抱えている問題は非常に難しいものになっている」とリンゼイ氏は指摘する。

「このようなことが少なくとも過去10年間、かなりの程度で横行していた。親もようやく気づき始めている」とリンゼイ氏は語った。

この記事で述べられている見解は著者の意見であり、必ずしも大紀元の見解を反映するものではありません。