「2002年3月13日の午後7時頃、私が6階にある事務室に戻る時、2階の刑事課の取調室から罵声が聞こえた。私がドアを少しだけ開けて中を覗いてみると、複数の警官が拷問を行っているのが見えた。劉海波さんが全身裸にされて、手錠で虎の椅子に固定され、頭も動かないように固定されて跪いていた。2人の警官が高圧スタンガンを肛門に挿入して電撃していた。その横には、数本の折れた木の棒があった」
こう話したのは、中国吉林省長春市警察署南広場派出所の巡査部長だった霍介夫さん(51)だ。劉海波さんは、中国共産党政権に弾圧されている伝統気功グループ、法輪功の学習者である。霍さんはこの拷問の光景に衝撃を受け、脳裏に深く残ったという。2002年6月に中国を離れた霍さんは、04年1月7日に法輪功情報サイト「明慧網」で、証言を書面にまとめて実名で公開した。
長春電波ジャック事件
2002年3月5日、長春市で法輪功学習者による「3・05電波ジャック事件」が起きた。学習者らは、長春市ケーブルテレビ・ネットワークの電波ジャックを行い、法輪功が受けた迫害に関する映像を放送した。
「電波ジャックは、全国人民代表大会(全人代、国会に相当)の開催期間中に起きた。このことを知った江沢民国家主席(当時)は激怒し、吉林省トップの王雲坤・党委員会書記を叱責し、電波ジャック実行者や関与者の逮捕を命じた」
霍さんの証言によると、同年3月6日午後7時、長春市警察署の寛城分局で中堅幹部を集めて会議を行った。同分局の周春明局長は、市警察署での会議内容を伝えた。
「(会議では)すべての幹部が、江沢民を核心とした党中央委員会の下で団結し、高い政治的責任感で任務を成し遂げるよう要求された。また、われわれは、法輪功学習者に対して『常軌にとらわれることなく、厳しく処罰するように』指示を受けた。会議では、全市で6000人以上の警官を投入することも話した」
霍さんは、江沢民は法輪功学習者を「容赦なく殺せ」という密命を出し、公安省の劉京・次官を直ちに長春市に向かわせたと話した。
これを受けて、長春市警察当局だけでなく、市などの政府機関の幹部らも動員された。このため、同市の法輪功学習者5000人余りが次々と拘束され、強制収容施設などに送られ、秘密裏に拷問を受けた。
霍さんは証言の中で、「3月12日、重犯罪を扱う寛城分局の刑事警察大隊重大事件捜査2班は、電波ジャックの関与者に宿泊を提供したとして、劉海波さんと侯艶傑さんの夫婦2人を逮捕した。劉海波さんは市の春城病院の放射線科の医師だ。刑事警察大隊は、劉さん夫婦に対して長時間にわたり拷問を行った」と述べた。
3月13日午後7時頃、寛城分局の2階の刑事警察大隊で、霍さんは冒頭の拷問の様子を目撃した。
「偵察課の魏国寧さんもいた。私は艾力民隊長に『なぜこのようなことをするのか?』と聞いた。隊長は『必ず口を割らせるのだと上からの指示があった。大丈夫だ!』と答えた。そして私たちはその部屋から追い出された。部屋から出ると、魏さんは私に『(やり方が)残忍すぎる!絶対に何かをやらかすだろう』と言った。私は『彼らの上司の孫立東・大隊長に頼んで、もう殴らないようにしてもらう』と言うと、魏さんは『関わらない方がいい』と言った。私は孫大隊長を探したが、見つからなかった。オフィスに戻った私は居ても立ってもいられず、拷問を止めさせられなかったことを後悔した」
「オフィスに戻った10分後、私は3階から降りて再び孫大隊長を探しにいった。その時、2階の方から『殴るのを止めろ!』という孫大隊長の叫び声が聞こえた。ある人が『何かあったのか』と尋ねると、孫大隊長は『この部屋で人が死んだのだ』と返事したのが聞こえた。私は2階から、刑具である虎の椅子から降ろされて、床に横たわっている劉海波さんに、孫大隊長が他の警官に服を着せるようにと指示している様子が見えた。劉さんはすでに死亡していた。数人の警官が慌てて、劉さんに服を着せようとしたが、うまくいかなかった。この時、魏さんも降りてきて、この光景を見た。私たちに気づいた孫大隊長は、私たちにその場から離れるよう促した。孫大隊長は上司に報告すると言い、艾隊長にこのことを口外しないように念押しした」
警察当局は、その日の夜、劉さんの遺体を寛城病院の遺体安置所に送り、その後ひそかに火葬した。霍さんによると、警察当局のトップは3月16日の緊急会議で、劉さんは取り調べ中に「心臓発作を起こして亡くなった」と家族などに説明するよう指示した。
自作自演の「天安門焼身自殺」
電波ジャック事件が起きる1年前の2001年1月23日、北京市でいわゆる「天安門焼身自殺事件」が起きた。中国当局は、法輪功学習者に汚名を着せ、法輪功の弾圧を正当化し、世論を味方にするための自作自演だった。
法輪功は1992年、李洪志氏によって長春で公に伝えられた。「真・善・忍」に基づき、穏やかで柔軟な五式の動作があり、健康づくりと道徳の向上に顕著な効果があるため、1999年時点で、中国国内に1億人の人が法輪功を学んでいた。当時、中国紙『羊城晩報』や『医療保健新聞』などは、法輪功が国民の中でブームになっていることを報道した。一般の庶民や各界のエリートだけでなく、共産党内の高官やその家族も法輪功を習っていた。
法輪功の強い人気に嫉妬した江沢民は、最高指導部の他のメンバーの意見を押し切って、独断で1999年7月20日に法輪功弾圧政策を始めた。江沢民らは弾圧政策を早期に成功させるため、天安門焼身自殺事件をでっち上げた。
中国旧正月の大晦日であった2001年1月23日、団らんを楽しみながらテレビを見ていた国民は、突然、天安門広場で5人の法輪功学習者が体にガソリンを撒いて火をつけたという衝撃的な映像を目にした。これを機に、同年1月31日からの4日間、官製メディアの新華社通信と中国通信社オンライン版は、法輪功学習者を糾弾する記事をそれぞれ107本と64本掲載した。14以上の省・市・自治区の「各界の人」も相次いで法輪功学習者を強く非難した。その1カ月後には、国内2000以上の新聞社、1000以上の雑誌社、数百のラジオ局、テレビ局に全面的に協力するよう指示し、全国民に法輪功への憎悪感情を植え付けた。
これを受けて、長春市の一部の法輪功学習者は真実を伝えるため、電波ジャックを計画した。2002年3月5日、長春市ケーブルテレビ・ネットワークの8つのチャンネルで、一斉に「焼身自殺なのか、それともねつ造か?」「法輪大法が世界各国に広く伝わっている」などのドキュメンタリー映像が流れた。
米誌「ウィークリー・スタンダード(The weekly Standard)」は2010年12月、長春電波ジャック事件について調査報道を行った。記事は、「法輪功の放送は8つのチャンネルで50分間放送され、視聴者は100万人を超えた。市民は互いに電話をかけ、テレビの電源をすぐに入れてと言った」と伝えた。
電波ジャックは直ちに北京の最高指導部に報告された。共産党政権による自作自演の「天安門焼身自殺」が暴かれたことに、江沢民は激怒した。江沢民の命令で、長春市は厳戒令を発令し、法輪功学習者に対する大規模な逮捕を始めた。わずか数日間で、5000人以上の学習者が当局に逮捕された。当局が認定した電波ジャックの主要参与者18人は残酷な拷問を受けた。候明凱さん、魏修山さんなど複数の学習者は拷問で亡くなった。他の学習者は最大20年の懲役刑を言い渡された。
一方、霍さんは上司に対して「(拷問を実施して)人が亡くなったのだから、国が賠償しなければならない。法輪功に対する取り締まりは、法的根拠に欠けている。今は人々の道徳観が低下しているから、法輪功のような団体が必要だ」などと主張した。このため、霍さんは停職処分を受けた。
さらにその後、霍さんは「法輪功を支持している」という理由で、当局に15日間拘留され、解雇された。
霍さんは証言の中で「中国政府がうそをついている。いわゆる『ニュース』は政府が作ったものだ。しかし、人々はあの恐ろしい自殺や殺人の光景に騙された。共産党は『うそが大きければ大きいほど、より多くの人がそれを信じてしまう』というヒトラーの考え方を信奉している。それに騙され、危害を受けるのは真相を知らない人々だ」と語った。
電波ジャックが発生してから19年、「容赦なく殺せ」という江沢民の指示を実行した長春市の各レベルの警官、裁判官に大きな変化があった。
前述の市警察署寛城分局の孫立東・大隊長は、2004年初め、オフィスで急死した。52歳だった。孫大隊長は生前、当局の法輪功弾圧政策に積極的に関与し、劉海波さんを含む多くの法輪功学習者を拘束した。同氏の急死は、長春市で波紋を呼んだ。一部の市民は、警官として弾圧政策に関わっている家族に転職を促したという。
長春市の警察・検察・司法を管轄する市共産党規律検査委員会の劉元俊・元書記は、2006年5月4日、肝臓ガンのため死去した。54歳だった。
さらに、電波ジャック事件の審理を担当した長春市中級人民法院(地裁)刑事第1法廷の張暉・裁判長は、2006年3月に脳溢血で亡くなった。46歳だった。
田中林・副市長兼警察署長、宋利菲・市中級人民法院院長などは、2011年以降、汚職容疑で失脚した。
(編集・張哲)
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