20数年国に帰れない民主活動家たち 温家宝首相「まったく人道的でない」と発言か

2012/04/10
更新: 2012/04/10

【大紀元日本4月10日】4月初め、中国は清明節を迎える。皆、祖先の墓を参り、草むしりなどをして墓を掃除する。一方、1989年に武力弾圧された学生民主運動「六・四天安門事件」で海外に脱出した学生と民主活動家たちにとって、この墓参りは叶わぬ夢だ。彼らは事件以来、一度さえも国へ帰っていない。当時、学生たちを支持した著名学者・方励之氏が最近、死去したことを受けてか、温家宝首相は、帰国を許可を最高指導部の内部で提議したという。

当時の学生民主運動が武力弾圧されてから、中国政府は20人の学生リーダーを指名手配した。そのなかの一部は国外へ脱出することに成功したが、一部は逮捕され懲役刑に処された。後に、主要な役割を果たしたとされた一部の知識人や体制内の幹部も、相次ぎ米国や欧州、東南アジアに逃亡した。その数は数十人から数百人と伝えられている。

海外の中国語メディアの報道によると、温首相は発言の中で、彼らは事実上の海外追放となり、長年帰国できないこと、亡くなった親とは最期まで会えなかったことなどを取り上げて「全く人道的でない、人情が欠けている」と語った。また、その多くは国を愛しており、政府の一部の過ちを批判したに過ぎず、悪意があったわけではない、と同首相が話したという。

また温首相は、国外の公館が、政府を批判するすべての人を「海外の敵対勢力」と定めるやり方を批判し、「もし、一国の政府が人民の批判を敵視するのであれば、この政府は必ず人民に軽蔑される」とも発言したという。

国外に脱出した民主活動家の帰国許可を最初に呼びかけたのは、中国共産党機関紙「人民日報」の総編集長兼社長であり、全国人民代表大会の常務委員会委員の胡績偉氏。胡氏は1993年夏、米国でボイス・オブ・アメリカ(VOA)本部で取材を受けた際に「六・四事件の子どもたちを家に帰らせてあげるべき」などと発言していた。

六四事件に参加し、現在、海外生活を送る6人は6日、中国最高指導部宛の公開状を公表し、一時帰国を許可するよう嘆願した。連名で「私たちは一時帰国したい―中国政府宛の公開呼びかけ」という書状を公表したのは、王丹さん、胡平さん、王軍濤さん、ウアルカイシさん、呉仁華さん、項暁吉さんの6人。中国政府に対して、政権異見者に対する入国禁止措置を取りやめるよう訴えた。

1989年当時、大学生または教師だったウアルカイシさんと呉仁華さん、項暁吉さんの3人は秘密裏の方法で国外へ脱出した。胡平さんは当時すでに米国に留学していた。王丹さんと王軍濤さんは当時逮捕され、懲役刑に服したが、国際社会の批判が高まり、王軍濤さんは1994年に、王丹さんは1998年に仮釈放され、それぞれアメリカに亡命した。後に王丹さんはハーバード大学で博士号を取得、王軍濤さんはコロンビア大学で政治学の博士号を取得した。  

一方、同じく六・四天安門事件で米国に亡命した中国著名の民主活動家・方励之氏は6日に米国の自宅で急死した。享年76歳。22年間祖国の地を踏むことができなかった。

方氏は中国の著名の天体物理学者であり、中国科技大学の副学長だった。民主の理念を提唱、中国共産党の政治政策を批判したため、1987年に共産党員の資格を剥奪され、同大学の副学長を解任された。六・四天安門事件では学生の民主の訴求を支持し、1990年に第3国経由で米国に亡命した。米国ではアリゾナ大学で天体物理学の教授を務めた。

方氏の死去を伝える香港や台湾メディアの報道は、中国本土のウェブサイトに転載されたが、すぐさま削除された。中国国内では方励之氏の関連情報はすべて封鎖されている。

米国にいる王丹さんは香港紙「明報」の取材に対して、帰国できるかどうかについて、「平常心を持ちながら、待ち望んでいる」と答えた。

温首相が六・四天安門事件の関係者の帰国を促しているとの報道について、現時点ではその信憑性がまだ確認できていない。英紙フィナンシャル・タイムズは3月、同首相が最高指導部の会議で同事件への再評価を提案したと報じている。

(翻訳編集・叶子)