全人代開幕日、女子学生「裸」の訴え 地方政府による直訴者「口封じ殺し」の実態

2012/03/12
更新: 2012/03/12

【大紀元日本3月12日】2012年の両会(全国人民代表大会・中国人民政治協商会議)の開幕日である3月5日午後3時ごろ、全人代の会場・人民大会堂がある天安門広場で、女子学生が裸で跪いて、北京で直訴して地方政府当局者に連行された後に「自殺した」とされる母親の潔白を訴えた。中国の著名な記者であり「経済観察報」の総編集長補佐である王克勤氏が、マイクロブログ・微博で伝えた。

 地元政府による直訴者「連れ戻し部隊」

毎年3月ごろに開かれる両会や10月初めに行われる国家行事の期間中、開催地となる北京では、会場近くで手製の横断幕やプラカードなどを掲げて、地方で訴えてもまともに取り上げてもらえず、全く解決できない問題を中央に直訴するため、全国各地から上京した人々であふれる。

これらの直訴者を「治安維持」の名目で排除する北京の警察当局、および直訴者を非合法的に拘束・監禁するため地方から派遣された「連れ戻し部隊」も加わって、会場周辺は騒然となる。

その背景には、直訴者が北京の警察当局に逮捕されると、その地元の政府は人数に応じた「罰金」を中央に上納しなければならないため、地方政府も北京に人員を配置して、必死で直訴者を取り締まろうとする実態がある。また汚職や腐敗が中央に知られることを阻止するため、直訴者の行動や発言を封じたい地方政府の思惑もあると見られる。

その「連れ戻し部隊」の存在が、母親を亡くした今回の女子学生の訴えに大きく関与している。

 娘が裸で訴えた母親「非正常死」の真相

王克勤氏によると、この日、天安門広場で「裸」の訴えを行った女子学生は、山東省出身で、現在、北京にある中国人民大学に在学する李寧さん。

その夜、警察の派出所(看守所)に拘束された李寧さんは、王氏に電話で「私はどうなったっていい。母のため、説明を求めたいだけです」と告げたという。王克勤氏は、李寧さんの母親である李淑蓮さんが死亡した事件を通じて、以前から李寧さんとは知り合いであった。

李寧さんの母親である李淑蓮さん(死亡当時、56歳)は、山東省龍口市(龍口市は同省煙台市に属する県級市)に在住し、地元で自営の商売をしていた。ところが淑蓮さんは、不動産賃貸に関することで所有する財産に損害を受けたため、その後、集合商業施設を管理する地元当局を相手に、法的手段によって争うことになる。

李淑蓮さんが生前、自らネット上に公表した上告書によると、地元政府の官僚による次のような腐敗の背景があることが分かる。

「2001年4月2日、龍口市の発展管理局の元局長であった孫清波、同副局長・李慶順らが、臆面もなく、私に4万元の賄賂を要求してきた。しかし私は李慶順に金を送らなかったので、彼らは意図的かつ挑発的な嫌がらせを仕掛けてきた。同年4月10日と16日、私の倉庫に放水して商品を水浸しにした。カーテン・時計類・毛皮などが被害を受け、損失額は25万元以上に上った」

上告書は、さらに続く。

「李慶順は、これで止むことなく、2002年5月16日、何のいわれもなく私が経営する店を強制的に封鎖し、私の財産136万元を差し押さえた。李慶順はまた、私の店を封鎖する際、私の母に暴力を加えたため、母は腰と腕を負傷した。そのわずか9カ月後、私の母は無念を噛み締めたまま死んだ」

このこと以来、李淑蓮さんは、2009年10月に死亡するまで約8年間にわたって、煙台市や北京での提訴や直訴を繰り返した。王氏によれば、李淑蓮さんはこれまで地元当局によって8回、合計87日間も拘束・監禁されているという。

 当局発表は「自殺」、しかし遺体には無数の傷痕が

2009年の9月。李淑蓮さんは、10月初めのいわゆる「国慶節」と称する国家行事の期間に合わせて、やはり直訴などのため北京に来ていた。それから約1カ月、家族から李淑蓮さんに連絡がとれない期間があったが、その間、すでに淑蓮さんの身には異変が起きていたのである。

9月3日の夜、李淑蓮さんが滞在していた旅館に、龍口の地元当局が派遣した男たちがいきなり押し入り、入浴中だった李淑蓮さんともう一人の女性・李春華さんを、一糸もまとわぬ裸体のまま拉致して連れ去った。

その後、李淑蓮さんは秘密裏に山東省東莱鎮に送還され、ある旅館の一室を改造した部屋に監禁された。

その年の中秋節(旧暦8月15日)は10月3日であった。その中秋節の前夜である2日夜に、「李淑蓮さんが、病気のため危険である」という情報が家族のもとに届く。

3日の午後、駆けつけた家族が対面した李淑蓮さんは、すでに冷たい遺体となっていた。遺体は火葬場の控え室に置かれており、寿衣(死装束)が着せられている。

当局は家族に「李淑蓮さんは首を吊って自殺した」と告げた。しかし家族が見ると、遺体には無数の生々しい傷痕がある。死因が首吊り自殺ではなく、暴行致死であることは明らかであった。

このような事態に至ったことについて当局は、「これに関係した東莱の顔役3人を免職とし、そのうち2人は逮捕した」と告げたが、その3人の氏名は明らかにされなかった。

今年、2012年の両会において、中国政府は珍しく人権問題についての「反応」を示し、中国の刑事訴訟法のなかに人権の保障を含めるなど、人権の重要性を重ねて強調した。 

しかし、その実態は全く逆であり、中国では依然として多くの人権・異見人士が圧力を受け、健全な信仰をもつ善良な人々が迫害を受けている。

北京などに向かう直訴者も、数々の困難に直面している。しかし、それでも多くの人が、危険を冒してまでも北京へ赴き、人民代表や政協委員に向かって、自分や家族の冤罪を必死に訴えようとする。この光景は、両会が終わるまで続く。

 (翻訳編集・牧)