日本三景・宮城の松島 「以前と変わらぬ景色」に

2011/05/06
更新: 2011/05/06

【大紀元日本5月6日】東日本大震災津波被害を受けた宮城県の名勝・松島は、地元観光局によると、今年のゴールデンウィーク期間中の観光客は例年の約3分の1となったという。しかし市の関係者や観光関連施設、ボランティアらの懸命な復旧作業により、多くの観光客に「震災前と変わらない美しさ」と言わしめる風景を取り戻した。

3月11日、1.5メートルの津波が松島地区を襲った。260もの島群には、魚網が引っかかった養殖カキのイカダが打ち上げられ、76隻あった小型遊覧船のうち15隻が消失した。沿岸道路沿いに並ぶ土産屋や飲食店は、一階部分はほぼ完全に浸水し、商品や食材は大量のゴミとなり一帯に散らばった。島と陸を結ぶ赤い3つの橋の内、木造の2つが消失した。

2、3日後には県の福祉協議会関係者がゴミや瓦礫を除去する作業を開始し、ボランティア団体も数百人単位で訪れて活動した。貴重な水の消費が少ないジェット噴射付の清掃機具を使った本格的な泥除去作業に入ると、沿岸一帯は元の美しさを取り戻した。

松島の観光協会・伊藤國雄専務理事によると、同地区観光関係施設は4月20日を目処に再開に向けて復旧活動を行ったという。「東京など首都圏のほうでは災害の自粛ムードがあったようだが、いつまでもそうしてはいられないのが現場の思い、元気になるためにも働かないといけない。ぜひ松島に来てほしい」と話す。瑞巌寺の参拝は同月10日、水族館「マリンピア松島」は24日、遊覧船の操業は29日に再開、商店街の店も連休前には4割が再開した。

沿岸部を走る一部区間が線路ごと消失したJR仙石線(松島の最寄り駅・松島海岸駅)は、先月21日から自衛隊と米軍の合同復旧作業が進められており、開通距離は着実に伸びつつある。

仙台市内から松島に来た20代の栗原さん夫婦は、「松島は子供の頃から来ているので、思い出深いところ。ゴールデンウィークまで外出を控えていたので、津波の襲った後の松島の様子は知らないが、震災前と変わらない景色で安心した」と早い復興を喜んだ。また、山形県山形市から来た50代の安居さん夫婦は、「たくさんお金を落として、復興に還元できるといい」と話した。

一階部分は完全浸水 商店街は半数が再開

島群を正面に望む浜辺の道路沿いには、45ものお土産や酒屋、飲食店が並ぶ。一階部分が完全に浸水したため、建て直しを進める店舗も少なくなく、被災地で暮らす従業員もいるため、商店街全体の営業再開には至っていない。連休中には県外に住む家族らが戻り、清掃作業を手伝う店も多く見られた。

松島の浜辺公園の正面に建つ飲食店「たからや」店長・小林敬子さんは、帰省した関東に

松島の浜辺公園の正面に建つ飲食店「たからや」店長・小林敬子さん(大紀元・佐渡道世)

住む娘と息子家族たちと共に店舗を清掃していた。たからやは1階が店舗、2階が住宅になっている。店舗奥には、汚泥まみれの洗い場がそのままになっており、海水の浸みこんだ床や立てかけられた畳、木の支柱から、磯の強い臭いがする。

1.5メートルの津波が地震発生から30分後、沿岸通りの店を襲った。小林さんは津波の襲来を携帯の速報で聞き、急いで隣町の高台へ車を走らせて難を逃れた。先月25日からは震災保障により、避難所から仮住まいする近くの民間アパートに移っている。

「食べ物を扱うところだから臭いが残るようでは営業できない」と、小林さんは建物の取り壊しを決めた。その費用は300万円かかるというが、震災補償金が出るかどうかは不明だ。しかし小林さんは、「まだこの地で建て直して、上を向いてがんばろうという気持ち。命が助かったのが何より」とはにかんだ。

東北の地酒を売る酒屋「浦霞」の店長(60代)は、「例年は沿道に人があふれるほど全国や海外から観光客が訪れるのだが、今年は少ない」と嘆く。売り上げは例年の数パーセントに満たないという。連休に向けて、店長は店舗の内装を一新させた。「あの日が戻るのには何年も掛かるだろうが、気長にがんばりたい」と話した。

自力で淡水つくって魚を保護 マリンピア松島

15年間、松島の水族館・マリンピア松島に勤務する冨樫里美さんは、水と電源が復旧する前の飼育生物の保護について話した。

「水槽の中の海洋生物は震災で何匹かは死んでしまったのだが、その後の飼育員らのケアが功を奏してか、被害は最小限に食いとどめられた」という。彼女によると、震災の翌日にはマリンピアの従業員らは施設の清掃作業に取り掛かっていた。復旧作業で特に大変だったのは、電気や水道が回復する前、淡水で生きる魚たちの為に近くの池の水を汲み、ガスボンベで温めて、温度を測りながら魚たちにとって適正な温度を保ち続けなければならなかったことだという。

西條正義館長は、23日に施設を再開すると発表した。ついに迎えた再開当日を、「待ってました!」とスタッフも観光客と共に喜んだ。「支援と励ましに対するお礼」

(大紀元・佐渡道世)

として、同水族館は営業再開日の23日~27日までの入館料を半額にし、被災者は入館料を無料にした。笑顔で受付の冨樫さんはお客を迎える。「前日まで、開園に間に合うかとハラハラしていたが、思いのほか早く迎えられて驚いた」と述べた。

石巻市から来た千葉由佳さん(28)は、「自分が子供の頃から来ているので、(再開は)うれしい。子供たちも余震に怯え、ストレスを感じているので、開放されたように思いました」と述べた。

「お坊さんも道で誘導した」地域の高い防災意識

伊藤専務理事は、「宮城沖は津波被害の多い地域、松島の防災意識は強い」と話す。震災の日、松島には1000人ほどの観光客が訪れていたが、ケガ人や行方不明者は一人も出さなかったという。松島は避難所や高台へ誘導する案内標識が多い。地区職員、商店街、自社、ホテル、水族館など、すべての住民やレジャー施設関係者が全員参加する、観光客がいることを想定しての防災訓練を、年に1回行っていた。「お坊さんも誘導を担当する」という。

松島地区の断水は1カ月ほど続いた。避難者たちは、航空自衛隊の給水車が水を運んで来てくれるまでの数日間は、災害時用に浄水機能を備える市内プール付施設の水と、周辺を流れる吉田川の水を利用したという。周辺のホテルは臨時に数日間、屋外にいた被災者らを受け入れた。

松島は「八百八島」と呼ばれる名勝だが、地震と津波でいつくもの島の外形が変わった。コモネ島は、「くぐり抜ければ長生きする」という言い伝えがある大きな空洞があったが、崩落し消失した。ドウラン島は半壊、ザイモク島は全壊した。しかしこの島群が防波堤となったため、松島は近隣地区と比較すると津波被害は少なかったという。「私たちは、260もの島に守られている」と伊藤専務理事は言う。防災対策もアピールしながら「ぜひ松島に遊びに来てほしい」と力強く述べた。

(佐渡 道世)